第56話 〜として主張する?

 「〜として」ということを理由に行動する人がいるが、それもやりすぎると問題である(どんなものでも、過剰なのは問題だが)。


 人間(日本人?)は場面や状況によって自分の立場を変えるものだから、そういうものを判断の基準に据えること自体は問題ではないが、何でもかんでもそういう基準に則って行動するのは問題だ、という主張である。たとえば、「親として言っているんだ」とか、「教師として言っているんだ」などと言う人がいるが、そういう人は自分が相手にとっての親や教師ではなかったら、そういうことは言わないのだろうか。もちろん、言わない可能性が高いが、そのように断ったあとで言うことは、基本的に一般論であることが多いわけだから、相手が誰であろうと言って良いはずである。要するに、縁がないから、という理由で言わない方向に向かおうとする、ということである。


 当然ながら、それがいけないという話ではない。自分だってそういうものを判断の基準にすることがある。ただし、自分が親以上に人間なのか、教師以上に人間なのか、あるいは、人間以上に一つの存在なのか、ということをある程度留意しておく必要があると思う。

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