第37話 一番好きと主張する意味はない

 一番好きな〜を挙げる人がいるが、その人は本当にそれが一番で良いのか、と疑問に思うことがある。


 たとえば、私には一番好きな食べ物というものはない。なぜなら、毎日食べたいものが変わるからである。これは(おそらく)自分以外の人間にもいえることだと思うが、なぜか「一番好きな食べ物は何ですか?」と訊かれると、すぐに答えられる人が多い。そういう人は、その一番好きな食べ物であれば、何日間続けて食べることができるのだろうか。もちろん、何日間も続けて食べられることが、一番好きな食べ物の必要条件とは限らないが、それでは、これが一番好きだ、と公言する意味はどこにあるのだろう、と不思議に思う。


 ほかにも、一番好きな映画を挙げる人もいる。しかしながら、これは映画に限った話ではないが、それぞれの作品には良いところと悪いところが必ず存在するし、それを含めてこの映画は最高だ、と主張するのなら良いが、そんな主張に果たして意味があるのか、とも思う。個人的には、どの人間が一番かを主張しているのと同じようなものだと思うが……。


 こういった一番好きな〜を挙げることで、自分のキャラクターを確立できる、という側面があることは認める。

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