第十章 鬼女の家系

 「ぼやっとしてるんじゃないよ、さっさと荷物を車に運びな!」 

鮫島穂来は、隣に立ち竦んでいる秘書の掛川を怒鳴り付けた。掛川は弾かれたように動き出すと、足元のスーツケースやら鞄やらをランドローバーの後部座席に運び入れ始める。その間に穂来は助手席に納まった。

「一体何者ですか?」

運転席に乗り込んできた掛川が、萎縮する風もなく穂来に問いかける。穂来にはいつも怒鳴られており、この位ではなんともない。

「三輪諒輔、穏の長者……」ポツリと穂来が呟く。

「穏の長者! あのにやけたのっぽ野郎が?」

驚いて掛川は動きを止めたが、穂来に足を蹴飛ばされて、慌ててエンジンを始動させる。

「何でこの島にいるんだろう? なにか嫌な予感がするね」

 穂来は自問自答するように言いながら、車道の両側に建つ並ぶリゾート建設反対の看板を眺めた。 

 しばらく行くと、ゲートが見えてきた。近づく車を見て二人の警備隊員は逃げ出しにかかる。ゲートの手前で停車し、車から降りた掛川が呼びかけると、警備隊員は漸く踏み止まりゲートに戻って来た。掛川が警備隊員を怒鳴りつけ、ゲートを開けさせる。

「警備隊員が逃げ出すとはどういうことよ」

憤懣やる方ないといった調子で、運転席に戻った掛川に文句をつける。

「あの二人がまた戻ってきたと勘違いしたようです。彼らには手ひどくやられたばかりだと言ってました」

「道真神威教の精鋭と言われる警備隊員がこんな体たらくでは、先が思いやられるね」

 穂来は毒づいて、掛川に車をスタートするよう命じた。

 

九十九折りの急な坂道を登り切ると正面にベージュ色の建物が見えて来た。道の両側には何台もの車が乗り捨てられている。車体が妙に傾いているので、多分パンクしているのだろう。

(いったい、どうなってんだい!)

 ますます不快な気持を昂らせるうちに、カムザリゾートの正面玄関に到着した。


 至道は三階のスイートルームで穂来と対面した。至道の後方には星嶋が、穂来の後方には掛川がそれぞれ立ったまま控えている。

「穂来、よく来てくれたな」

至道は小さな目を更に細め、分厚い唇を押し曲げた。それが至道の精いっぱいの笑顔であることを穂来は知っているが、苛立ちはまだ収まっていない。

「何よ、港に迎えも寄越さないで」

「まぁそう怒るな、それよりこのリゾートはどうだ? 気に入ったか?」

「気に入るも何も、港と途中の道路にリゾート建設反対の看板が林立しているじゃないの。宿泊客はあれを見たら、端から興ざめよ」

「反対派に対する手立ては打っている。直に反対派は一人もおらぬようになるだろう」

(兄のことだ、どうせ強圧的な手段を行使する積りなのだろう)と苦々しく思うがそれは口に出さず別なことを聞く。

「それにしても、穏の長者には大分やられたようね」

 触れられたくない所を突かれたというように至道は表情を歪めて言い返す。

「いや、あの小娘が穏の長者とわかっていたらあのような不覚はとらなかったのだ」

 さすがの至道も穂来に対しては防戦一方で、言い訳がましくなる。

「あの小娘……それって誰?」眼に力を込めて至道の顔を覗き込む。

「安倍晴明の直系の子孫の…..ほれ安倍理紗とかいう」

「至道、あんたは穏の長者があの小娘だと思っているの」

穂来は呆れ果てたというように、大仰に天を仰いだ。

「おい、至道と呼び捨てにするな。何度言ったら分かるんだ、仮にも俺はお前の兄だぞ!」

 至道は兄としての鷹揚さを装うのに堪え切れずに怒りを現す。

「穏の長者は三輪諒輔よ、安倍理紗じゃない」

 至道の怒りなど歯牙にもかけず、ぴしゃりと言い放つ。

「三輪諒輔? もしかしてあの医者の息子か」

 至道は振り向いて後方に控えている星嶋に問うた。

「そうです、先日この部屋で会ったあの若者です」星嶋も驚きを隠さない。

「うーむ、穏の長者と知らず、ここで相対していたのか」

「知っていたらどうしたと言うの?」

「決まっているだろう、我が一族にとって千年の怨敵、知っておれば必ずや仕留めていた」

 穂来は皮肉な笑みを浮かべると、我儘な子供に言い聞かせるように至道に告げた。

「いい事、あぁ見えても、三輪諒輔はあの月瞑を打ち負かしたのよ。穏の長者なの。知らずに何もしなくて正解よ」

 反論できずに押し黙ってしまった至道を更に問い詰める。

「ところで“呪祖鉄輪の法“を使ったというのは本当なの?」

「うむ、反対派のリーダーの漁業組合長がそれは頑固でな、漁業補償だの、港の使用制限だの言い出しおって放っておけなかったのだ」

「あぁ、何て事! それじゃまた母さんを生霊にしたのね」

「仕方ないだろう、俺一人じゃ“呪祖鉄輪の法“は使えない」

「今すぐ、母さんのところに案内して! 母さん大丈夫なんでしょうね」

「大丈夫だ、今は安定している。よし、それでは一緒に“たらちねの間”に行くとするか」

 至道は振り返り星嶋に、“たらちねの間”行きの手配を命じた。


 ラビリンスの地下に通じるエレベーターに乗り、一行は“たらちねの間”に着いた。穂来は病室の奥の透明のカーテンを押し開き、管と線に全身を繋がれたサキの姿を見ると一瞬息を飲み立ち竦んだが、ややあって「あぁ母さん…….辛くはないの?」と絞り出すような声を発した。

 サキが植物人間状態になってから、もう10年が経過している。若い人ならこのように長い期間を植物状態で生存を続ける例はあるようだが、サキのような高齢者がこんなにも長く生き続けることは奇跡に近いことである。サキの脳の力が尋常ではない強靭さを持っているということであろう。

 穂来は見るに堪えないというように、眼を閉じると隣に立つ至道に囁いた。後ろに控える星嶋と掛川に聞こえないようにとの配慮である。

「ねぇ、いい加減母さんに頼るのは止めたらどうなの?」

「今回は仕方なかったんだ、いつも母さんに頼っているわけじゃない」不貞腐れたように至道は呟く。

「至道、あんたもいい歳なんだしここらで親離れしなさいよ」

至道は不服顔でそっぽを向いている。そんな至道を見つめて、穂来は母サイや子供の頃の記憶を蘇らせていた。


 ≪至道と穂来の母のサイは蘆屋道満の血を引き継ぐ者として、幼い頃より呪術の力を発揮して周囲の大人たちを驚かせていた。そんなサイの才能を聞きつけた当時の阿修羅教団の幹部に身柄を引き取られた。そしてその幹部の厳しい訓練を受けることになったが、いつしかサイはその幹部と男女の仲になり子供を産む。それが至道と穂来であった。

しかし相手の男は、好色で沢山の女に手を出し、サイは嫉妬に苦しむことになる。サイの心に鬼女の想いが宿るようになり、ある日サイは先祖から伝わる“呪祖鉄輪法”を使って男をとり殺してしまう。つまり至道と穂来の父親は母に殺されたのだ。

この事件を境に、サイの呪力の力は一層強大になり、教団内部でサイに敵う者は誰もいなくなった。その力を背景にサイは教団トップに上り詰めるが、二人の子供の父親を殺した自責の念による心の傷を抱き続ける。その傷の癒しの為に、サイは長男の至道を溺愛する。一方、穂来に対しては極めて冷淡であった。至道は身体が大きいというだけで、平凡な才能しか持ち合わせていない子供だったが、サイは盲目的に愛情を注いでいった。そもそも、蘆屋道満の呪力は、女系に引き継がれるので、穂来にはその才能がある筈であつたが、サイは穂来の才能を認めず無視した。

穂来もそんなサイに反発した。呪祖などの力に頼らず生きて行くことを決意し、高校生の時から親元を離れて暮らし、東京の大学では経営学を専攻した。卒業すると普通の会社に就職したのだが、その後、月瞑がシュラ・コンサルタンツを設立すると、招かれてその幹部社員となったのであった≫


 子供の頃と同じように不貞腐れて黙り込む至道の横顔をみて、穂来は軽くため息をついた。母のこともさることながら、カムザリゾートの開業に向けた対策をこれから協議しなければならない。少なくとも反対派に対する、暴力行為などの強圧的対応は、即刻辞めさせないと大変なことになる。しかし、我儘勝手な至道の性格を思いやるとつい溜息が洩れてしまうのだった。

一行は地下施設の教主の部屋に移動して協議を始めたが、案の定、至道は自説を曲げず反対派をあらゆる手段で排斥して来月にも開業するのだと頑強に言い張った。こうなるとまるで子供で、いくら道理を尽くして説得しても耳を貸そうとはしない。そんな至道の性格を熟知する穂来は話題を変えることにした。

「ところで穏の長者は何をしにここに来たの? 父親を連れて帰ったのでしょ、もうここには用がないはずなのに」

「彼等の目的が何なのか俺にも分からん、だが“たらちねの間”にいたところから判断すると、漁業長を襲った生霊の正体を調べに来たのかもな」

(確かにその可能性はあるな)と穂来は思いつつも、別の疑念が湧いた。

「ねぇ、ほんとにサリンはここに貯蔵していないの?」

 諒輔たちはサリンの貯蔵について調べに来たのではないかと思ったのだ。

「いや、サリンなどここにはない」

穂来は至道の小さな目が泳ぐのを見逃さなかった。それは嘘をつくときの至道の癖である。

(やはり、サリンを隠している)と穂来は内心思ったが、これまた追及したところで素直に白状するような兄ではない。今日はこれ位で切り上げたほうがいいだろう。

「少し疲れたわ、ホテルで休みたいから案内して頂戴」

 そう口に出すと、本当に疲れがどっと出てきた。

「あぁ、そうしたらいい、今日は良く休んでまた明日協議するとしよう」

 穂来の追求から逃れられると思ったのだろう、ほっとした表情で至道が答えた。


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