第八章 往診

 6月27日、二日酔いもすっかり抜けて、爽やかな朝を迎えることが出来た。朝食を済ませ部屋に戻り寛いでいると、ノックする音が聞こえた。ドアを開けると、不安そうな表情をした結衣がいて、その後ろに富紀が立っている。

「あれ結衣ちゃん、富紀さんも一緒にどうしたの?」

 二人が揃ってやってくるとは何事だろうと訝しく思いながら、二人を室内に招じ入れた。

「何か起こったのですか?」

諒輔は二人に椅子を勧め、自分も向かいの席に座った。

「実は、昨夜、正剛さんが戻らなかったのです」

富紀は一晩中眠れなかったのだろう、憔悴した様子である。

「えっ! 結婚早々に無断外泊したんですか?」

 冷蔵庫から飲み物を持ってきた理紗が驚いて口を挟んだ。

「いえ、結衣さんから戻らないことは連絡していただきました」

「どういうこと、結衣ちゃん話してくれるかな?」

 諒輔から説明を求められて結衣は困惑した表情で話し出した。

「昨日の朝、診療所が開くと同時に、男の人が来たんです……急患が出たので、直ぐに往診して欲しいと言って、車に先生を乗せて連れていったんです」

「何処にいったか分かっているのかい?」

「カムザリゾートに行くと先生はおっしゃいました」

「カムザリゾートに?」

 飲み物をグラスに注いでいた理紗も驚いて手を止めた。

「えぇ、西神坐島に行くから、帰りは午後3時頃になるだろうと言って出かけられたのです」

「だけど、帰らなかったんだね」

「そうなんです。先生の携帯に電話したのだけど繋がらないので、カムザリゾートに電話しました」

「うん、それで」

「社長室長と名乗る人が電話に出て、『先生は確かに往診に来ていただいています。ただ治療が今日中に済まないので明日まで、こちらに留まっていただくことになっています』って……」

 その時のやりとりを思い出し感情が昂ったのだろう、結衣は今にも泣き出しそうである。応対した社長室長の態度がよほど悪かったに違いない。富紀が宥める様に結衣の肩を抱いていたが、結衣はようやく感情が治まったようで話を再開した。

「その社長室長が言うんです『先生が明日までこちらに居ていただくことは、村長も了承しています。不審なら村役場に問い合わせ下さい』って……それで村役場に確認したら、確かに村長の許可が出ているようなのです」

富紀は結衣の話に一々頷いていたが、結衣の話を引き取った。

「それで、結衣さんが私に連絡してくれたのです。でも正剛さんから、一言も連絡ないなんて心配で……昨夜は一睡も出来ませんでした。それで今朝、こうして結衣さんと一緒にやってきたというわけなんです」

 富紀と結衣が心配するのは無理もない。KAMZAの社長と道真神威教がどんなに恐ろしいか二人とも知っているからである。カムザリゾートが正剛に往診を頼んだ理由は分からないが、彼等が約束通り今日中に正剛を戻すかどうか疑わしい。富紀も結衣も、正剛が戻されないことに恐れを抱いて相談に来たに違いない。

「分かりました、私も父のことが心配です。カムザリゾートに直接行って事情を確認してきましょう」

 富紀と結衣は諒輔の言葉を聞くと、口々に礼を述べ「どうぞよろしくお願いします」と何度も繰り返して帰って行った。

 

 この数日、神崎は西神坐島の調査に余念がないようであったから、ここは是非とも神崎の協力が必要である。神崎に電話すると幸い部屋にいた。神崎に事情を伝え、カムザリゾートの資料を持って部屋に来て欲しいと告げると、数分もしないうちにノックする音がして、神崎が入って来た。

「神崎さん、昨日、西神坐島に行って色々調査してきたようですが、どんな様子でしたか?」

「港やリゾートに至る道には“リゾート開発反対”の看板が林立していました。地元民とカムザの関係は想像以上に険悪です。カムザ側は反対派の妨害を恐れて、リゾートの周辺に厳重な警備体制を敷いています」

「すると簡単には、リゾートの内部には入れないのですか?」

「えぇ、車道は正面入り口に通じる舗装道路と、裏手に通じる林道の二つしかありません。メイン車道にはゲートが設けられていて、24時間体制で警備しています。裏手の林道はカムザ川の中流の河川桟橋に通じていますが、その桟橋にも警備員が詰めているとのことです」

「その警備ポイントを迂回して、車道に入り込むことは無理ですか?」

「迂回して入り込んでも、車道には要所、要所に監視カメラなどのセキュリティシステムが設置されているでしょう」

「うーん、その他に侵入する方法はないのかな?」

「その他の方法は無いではないですが、非常に困難を伴います」

「どんな困難なのですか」

「車道以外には獣道のような細い道がありますが、この道はジャングルで覆われており、鉈やナイフで枝葉を切り開いて進まねばなりません。しかし我々はどうにか通れたとしても、先生をこのルートで連れ帰るのは無理でしょう」

正剛を連れ帰るためには、車道を使って車でリゾートに行く以外に方法はないようである。一緒に聞いていた理紗もどうしたものかと俯いて考え込む様子であったが、何か思いついたのか顔を上げた。

「いきなり押し掛けて、面会を求めるより、先ずは電話で申入れをしてみてはどうかしら。諒輔は先生の息子なんだし、父に会わせて欲しいと申出れば、もしかしたら会わせてくれるかもしれないわ」

そんな甘い相手ではないが、一度は申入れをしておくべきと思い直し、“だめもと”で電話してみることにした。諒輔がカムザリゾートに電話すると、社長室長の星嶋という者が出て、『現在、先生は患者の治療中なので、どなたであってもお会いすることはできません』と無機質な調子で答え、『父は何時、診療所に戻れるのか』という問い掛けには、『患者の容態次第と聞いております』とこれまた、取り付く島もない。星嶋の誠意のかけらもない対応には腹が立ったが、想定の範囲内のことである。3人は改めて協議を開始した。

その結果、正剛を連れ帰ることが目的であり、諍いを起こさないで済むように務めることを基本とし、それが叶わない場合は、呪力を含む実力を行使してでも正剛を連れ帰ることにした。また車を用意して、カムザリゾートの正面に通じる舗装車道から進入すること、およびに、西神坐島には諒輔と神崎の二人が行き、理紗は連絡役として東神坐島で待機することが確認された。


 諒輔と神崎の二人が西神坐港に着いたのは正午を少し過ぎた頃であった。西神坐港はこの島で唯一、大型船が停泊できる港であったが、漁港も兼ねており、桟橋にはカムザ建設用の船舶と漁船が入り混じって係留されていた。拓馬に頼んで調達したクルーザーを、神崎は桟橋の空いている箇所に巧みな操船で横付けした。神崎が車の運転のプロなのは知っていたが、船舶の運転もこんなに上手だとは知らなかった

 桟橋の先には、定期船の待合室や漁業組合の建物などがあり、その周辺の至る所に開発反対の看板が立ち並んでいる。更に歩いて港の外れに行くと、そこに軽トラックが一台置かれていた。拓馬があれこれ手をつくしてやっと確保した車である。学生時代のアルバイトで軽トラックを運転した経験のある諒輔が運転席に座り、神崎が助手席に座った。あまりにもぼろい車だったので、果たしてエンジンがかかるか危惧したが、意外や一発でエンジンがかかった。

“リゾート建設反対”“環境破壊を許すな!”などの看板が両側に立ち並ぶ道をしばらく走ると、前方にゲートが見えて来た。ゲートには2名の警備員しかいないようだ。これぐらいの相手なら難なくゲートは突破できるだろう。ゲートの手前で車を止めると一人の警備員が駆け寄って来た。

「カムザリゾートに行かれるのですか?」

「えぇ鮫島社長にお会いしたいのだが」

「約束はとられているんでしょうか?」

「いや、とってはいない」

 警備員は怪しい奴と判断したのだろう、片手を上げて、もう一方の警備員に注意を促した。注意を受けた警備員は胸に留めていた無線機のマイクを手に持ち、何かあればすぐ通報する体勢である。

「それでは、通すわけには行きません。お引き取り下さい」

 警備員は腰のケースから特殊警棒を取り出すと、柄の先を引き伸ばした。この警備員、言葉遣いは丁寧だが、良く訓練されているようで油断ならない。警備員の制服の胸や肩袖にドーマンの九字紋が縫い付けられている。この警備員たちは道真神威教の信徒に違いない。

「それでは社長室長の星嶋さんに伝えて貰おうか、先刻電話した三輪諒輔が父に会いに来たと……」

 社長室長の名前を持ち出すと、無碍に追い払うわけには行かないと思ったのであろう、警備員は無線機を持っているもう片方の警備員に星嶋に連絡するよう指示した。

(さて星嶋はどう出るか)

 もし、星嶋がゲートを通さないようなら、いよいよ実力行使である。神崎はすでにやる気満々で、何時でも飛び出せる姿勢をとっている。無線機の警備員は報告した後、じっと相手の返答を待っているようであったが、ようやく星嶋から指示が帰ってきたらしくこちらにやってきた。

「通していいそうです。社長室長の指示です」

 報告を受けた警備員は、忌々しげに舌打ちすると、特殊警棒を元に戻し、ゲートに向かった。二人の警備員がゲートを押し開ける。諒輔は警備員に向かい敬礼の仕草をして、ゲートを通り過ぎた。

 

 カムザリゾートの本館は、ベージュ色の3階建、九十九折の急な坂道を上り詰めた先にあった。建物は背後と左右の3方が密林で囲われており、いかにもジャングルリゾートらしい。設計図によれば、視界が唯一開けた前面に、レストラン、結婚式場、コンベンションホールなどの主要施設を配置していて、それらの施設からは海が遠望できるレイアウトになっているようであった。

豪勢な造りの車寄せに、ポンコツの軽トラックを止めるのは気が引けたが、ホテルの制服を着た者が数人待ち構えていて、停車した軽トラックのドアを開けた。

「社長室長がお待ちしています」中の一人がそう言って、諒輔と神崎を館内に案内した。

 入口を入ると、そこは3階まで吹き抜け構造になっており、壮大な熱帯植物園といった趣になっている。ただ、工事途中の箇所がいくつかあり、作業員があちこちで造成工事をしている。ホールの中央と思われる箇所には、水を湛えた円形の噴水施設のようなものがあった。

突然、その施設に水しぶきが上がった。見上げると、天井付近から大量の水が落下している。人工の滝にしても、落差がこれほどあると迫力である。

 滝のモニュメントの横を通り過ぎると、前方にフロントがあり、痩身長髪、黒のスーツ姿の男が立っていた。諒輔と神崎が近づくのを、無表情にじっと見つめている。縁なし眼鏡の底の冷たい眼差し、削げた頬、あの男が社長室長の星嶋であろう。

「カムザリゾートにようこそ、社長室長の星嶋です」

 無機質な声で、星嶋が挨拶した。

「三輪諒輔です、父を迎えに来ました」

隣で会釈する神崎を星嶋は無視した。

「三輪先生は、現在、患者を診ておられます。しばらくすれば患者への処置が終わるでしょう。それまでの間に、社長の鮫島があなたにお話したいことがあるそうです」

「ほう、実は私も鮫島社長にお会いしたいと思っていました」

「そうですか、ではご案内します。そちらの方はあちらのロビーでお待ち下さい」

 有無を言わせぬ口調でそう言うと、先になって歩き出した。神崎の背後には、フロントの奥から出て来た数人の警備員が寄り添い牽制する。諒輔は目顔で『抵抗するな、言われた通りしろ』と神崎に指示し、星嶋の後に続いた。

 

 三階の一番奥まった部屋に諒輔は案内された。スイートタイプで豪華な造りではあるが、社長専用の部屋というわけではなさそうで、宿泊客向けのもののようだった。そのリビングのソファに巨漢という形容がぴったりの男が葉巻をくゆらせて座っていた。幕内の相撲力士ほどの体格であるが、白い長袖のシャツを着て、生成りのズボンを赤いサスペンダーで吊っている。年の頃は50前後か、ヒトラー風に七三に分けた頭髪の下の顔色が異様に白い。小さな目と分厚い唇がなんともアンバランスである。諒輔が近付いても腰を上げようとせず、呆けたような表情で諒輔を眺めている。

「社長、三輪先生の息子さんをお連れしました」

至道が微かに頷き、葉巻の煙を吐き出した。星嶋が諒輔に席に座るよう言い、自分は至道の背後に回り、両手を前で組み待機の姿勢をとった。

「三輪諒輔です、父を迎えに来ました。父は治療処置中とのことですが、終わり次第、連れて帰ります。よろしいですね」

 至道は、諒輔の話しに興味が無いというように、眼を合わせようともしない。

「君の父君は立派な医者だな、先生のお陰で、たらちね様は一命を取り留めることが出来たよ」

 至道は諒輔の問いに答えず、自分の言いたいことだけを述べる。至道が我儘勝手であるとの情報は当たっているようだ。

「たらちね様?」諒輔の疑問の声に対しても至道は反応を示さない。

「それにしても、危ういところだった。まさか穏の長者があの島にいたとはな」

 至道の口から穏の長者の名が出たので諒輔は緊張した。至道は諒輔が穏の長者だと知っているのだろうか。

「君の恋人なのかね、安倍理紗とかいう娘……安倍晴明の直系の子孫らしいな」

 至道はどうやら理紗が穏の長者と思っているらしい。悪霊払いを理紗がしたという噂話が早くも、至道の耳に入ったのだろう。

「いいか、その娘によく伝えておけ、早急に神坐村から出て行けと……今回はたらちね様の命に別条なかったから報復することは止めておくが、島から立ち去らない場合は容赦しないとな」

 その時、携帯電話の鳴る音がした。後ろに控えていた星嶋が携帯を耳に当てる。何やら報告を受けているようだったが、携帯を耳から外すと至道に向かい「処置が終わったようです。ご教祖様の容態は安定しているとのことですが、どういたしますか?」と伺いを立てた。

「息子さんがこうして迎えに来ている、こちらに先生をお連れしろ」

 至道はそう言うと、気だるそうに“あっちへ行け“というような仕草で手を振った。

「間もなく先生は戻ってきます。先生の部屋まで案内します」と星嶋は告げ、諒輔に退室するよう促した。

諒輔は傲慢無礼な至道の態度に腹が立ち、自分が穏の長者であることを明かして、この場で至道を懲らしめてやりたいとの誘惑に駆られた。しかし父の救出を何よりも優先させなければならない。じっと我慢して、言われるまま席を立ち退室した。

 

 案内された正剛の部屋も三階にあり、スイート仕様であった。正剛はまだ戻っておらず時間つぶしに窓から外を眺めてみた。この部屋からは海は見えないが、樹海のようなジャングルの樹上が見渡せる。そのジャングルに埋まるようにして、古代遺跡のような建造物が見え隠れしている。カンボジアのアンコールワット遺跡を模したものだろうか、その遺跡風の建造物は熱帯樹林に覆われており、荒廃した廃墟のようでもある。人工のものとしては中々良くできている。カムザリゾートの設計図にも確かこのような遺跡風の施設が描かれていたようだったが、どのような利用目的かなど詳細を神崎から説明を受けなかった。後で神崎に聞けば、この施設がどのようなものか分かるだろう。

 外を見るのにも飽きてソファに座った時、ドアが開く音がした。諒輔は立ち上がり部屋の入口に向かった。

「おう諒輔! 迎えに来てくれたんだってな」

 現れた正剛は意外にも元気そうである。

「無事だったんだね、みんな心配したよ」

 正剛の後ろに星嶋が居るので、詳しい事は後で話し合うと決め、正剛に帰り仕度をするように言った。正剛はそこらに散らばっている品を無造作にバックに詰め込んだ。

「これは先生の携帯電話ではありませんか?」

 星嶋が手にしたものを正剛に見せる。

「おっ! 探していたんだよ、どこにあった?」

 正剛は携帯電話を受け取り嬉しげだ。

「エレベーターホールに落ちていたそうです、掃除係が見つけました」

「あぁそうか、見つかってよかったよ」

 正剛は疑うこともなく、携帯をズボンのポケットにしまうと諒輔に声をかけた。

「それじゃ行こうか、お前そっちの医療鞄持ってくれ」

 正剛は帰り支度を瞬く間に終えた。正剛も早く帰りたい一心なのかと可笑しく思いつつ諒輔は医療鞄を手にした。

 星嶋は、社長が礼を言うため自分の部屋で待っていると告げた。しかし正剛も諒輔もその申出を断った。星嶋は一瞬困惑した表情を浮かべたが、すぐに元の無機質な顔に戻り、神崎が待つ一階ロビーに案内した。


 診療所に着いたのは午後5時を少し過ぎた頃であった。電話で連絡してあったので、診療所には結衣と看護師の他に、理紗、富紀、真俊、拓馬も待っていて正剛の無事帰還を喜んだ。諒輔は帰りの船の中で、正剛からカムザリゾート往診のあらましを聞いていたが、まだ何も聞かされていない者たちは、正剛から話を聞きたがった。正剛は求められるまま、その一部始終を語り出した。


 昨日の朝、迎えの車に乗って北港に行き、KAMZAのクルーザーで西神坐島に向かった。向こうの港には社長室長の星嶋が出迎えにきており、リゾートに向かう車の中で患者の様子を正剛に伝えた。患者は至道の母で道真神威教の教祖、鮫島サイであり、80過ぎの老婆である。しかし単なる病気というのではなく、サイはいわゆる植物状態であり、人工心肺と人工栄養によりかろうじて命を永らえていた。最新の医療設備と専任の看護師に守られてここ暫くずっと安定していたが、昨日の未明、突然、生命維持装置が危険信号を発した。看護師は自分の手では対処できないとして、主治医の指示を求めたが、生憎、東京在住の主治医は海外の学会に出かけていた。仕方なく脳病理学に精通した専門医を求めて、必死で探したところ、意外にも直ぐ近くに該当する医師がいることが判明した。それが正剛と言うわけであった。正剛は以前、東京の大学病院で脳外科の医師として勤務した経験があったのである。

 カムザリゾートに着くと、鮫島社長が待っており、人目も憚らず、たらちね様を助けて欲しいと正剛に哀訴した。たらちね様とは母親のサイのことで、道真神威教では、サイのことを、ご教祖様とか、たらちね様と呼んで崇敬しているようであった。

 正剛が案内されたのは、ジャングル内の遺跡のような建造物であった。内部は迷路のようになっており、リゾートのアトラクション「古代遺跡ラビリンス」として建造されたとの説明であった。この建造物の深部にサイの為の医療施設があり、直接通じるエレベーターに乗り込みサイのもとに向かった。

 診察すると、かすかに自発呼吸があり、脳波も見られたので脳死してはおらず、植物人間状態であることに間違いなかった。植物人間とは遷延性意識障害の俗称であり、重度の昏睡状態に陥った患者のことを指す。脳波を分析したところ、極度の興奮状態となった形跡があり、今もまだかなり興奮しているようなので、沈静剤を投与し、しばらく様子を見ることにした。一緒についてきた至道は、その間も取り乱した風で正剛に哀願を繰り返したかと思うと、次の瞬間怒りを爆発させ「穏の長者め、この仕返し必ずしてくれる」などと喚いた。こちらにも鎮静剤が必要だと思いつつ待つ内に、サイの状態がかなり安定してきた。脳機能がかなり低下しているので、ドーパミン系の薬剤を投与すると、サイの状態は更に安定度を増してきた。

正剛が危機を脱したことを至道に伝えると、至道は正剛の手をとって泣きながら感謝の言葉を述べた。そして村長の許可もとっているので、今日一泊して明日も治療をして欲しいと訴えた。仕方なく一泊することを正剛は承知した――――

 

 正剛の話を皆、熱心に聞いていたが、話が一段落すると、結衣が不満顔で問いかけた。

「でも先生、何で一言連絡してくれなかったのですか? 富紀さんとても心配したんですよ」

 富紀も理紗も一緒に頷く。

「いや、済まん。一泊することになった時に電話しようとしたのだが、どうしても携帯が見つからなかったんだよ」

「それは父さん、彼等が隠したに違いないよ」

「そうかな、彼等が俺の携帯を隠さなきゃならん理由があるのか?」

「彼等は父さんが直接交信できる状態にして置きたくなかったんだよ……上手く回復しない場合はずっと留め置くつもりだったかも知れないし、サイが死んでしまうなんてことになったら、至道は父さんを無事帰したかどうか」

「なんだ、薄気味悪い事言うなよ」

「今回は治療が上手くいったからよかったけどね」

 自分の父親ながら、疑うことを知らない医者馬鹿ぶりに諒輔は苦笑した。

 

 正剛の報告を聞き、元気そうな正剛の姿を見て安堵した一同は、それぞれ仕事に戻ることにした。理紗や真俊たちと共に“ヴィラ星の砂”に向かう車の中で、諒輔は、真俊を襲った生霊がサイであり、諒輔の反撃に会い打撃を受けたという確信を深めていた。至道が呪殺鉄輪法により、植物人間のサイを生霊と化して真俊を襲わせたに違いなかった。


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