第五章 呪殺鉄輪の法
その翌日、6月24日の未明、漁業組合長が自宅の寝室前の廊下で倒れているのが家人により発見された。まだ夜明け前であったから、正剛の自宅に家人が走り往診を依頼した。台風の影響で激しい雨の降る中、正剛が寝ぼけ眼をこすりながら駆け付けた時は、すでに組合長は心肺停止の状態であった。
組合長はこの1週間ほど、身体の不調を訴えており、5日ほど前に診察したときは、特に悪いところは見当たらなかった。ただ、悪夢に悩まされ眠れず食欲がないとのことだったので、睡眠薬を処方しておいたのであった。従って、正剛にとって組合長の突然の死は意外であった。死因について、これと言って特定できるものはなく、また他殺の痕跡も見当たらなかった。
漁業組合長の死は、重大ニュースとして、瞬く間に全島に伝わった。諒輔、理紗、神崎がこのニュースを知らされたのは、メイン棟のレストランで朝食をとっていたときである。3人の席に拓馬がやってきて、島の重大ニュースを伝えたのだ。
その話を聞いた3人がすぐに思ったのは、反対派の旗頭である漁業組合長が至道一味に殺害されたということであった。それは直感ではあるが、確信でもあった。至道一味の犯行を裏づけるものがないか調査しなければならない。諒輔たちは食事を早々に終えた。
諒輔は直ぐに診療所に行くことにした。正剛から組合長の死について、詳しい状況を聞くためである。理紗と神崎はその間に、真俊に事情を説明し、反対派の主要メンバーを集める作業と会合で配布する資料の作成にあたることにした。
診療所には、8時頃に着いた。風雨はやや収まっていたが徒歩で行ったのでびしょぬれである。診療所のドアの鍵はすでに開けられていて、人気のない待合室を抜けて診察室に入ると、正剛が診察用のベッドで眠っていた。未明からの往診で疲れたのであろう。起こすのは悪いとそっと診察室の外に出ようとしたが、人の気配を感じたのか正剛が眼を覚ました。
「おや、諒輔じゃないか、こんな朝早くどうした?」
「起こしてしまって御免、実は組合長が亡くなったと聞いたものだから、事情を聞きたくて」
「おぉそうか」
正剛はベッドから起き上がると大きく伸びをし「何が聞きたい?」と言いながら自分の椅子に座った。
諒輔が昨日、神崎から得た至道一味の情報を掻い摘んで伝えた上で、組合長の死に不審な点が無かったか質した。ただ、呪祖のことやサリンのことは伏せておいた。
「ふーん、奴らはそんなに危険な連中だったのか……実は組合長の突然死については俺も納得が行かなくてな」
「どういう点が納得行かないの?」
「死因が分からんということだよ……死亡診断書の死因は不詳とする積りだ。自宅での突然死だから、警察にも届け出ようと思っている」
「すると他殺の可能性があるということ?」
「うむ、だが外傷はないし、薬物を盛られた形跡もない」
「それじゃ、サリンなどの毒ガスで殺された可能性は?」
「何だ、彼等はサリンを所有しているとでも言うのか?」
「いや、そう言うわけじゃないけど、ちょっと気になったものだから」
「ふーん、まぁいいか……サリンなどの神経ガスにやられた場合の特徴はな、瞳が異常に縮む、縮瞳と言う症状が起こるんだ。しかしそんな症状は無かったな。それにもしサリンが使用されたとしたら、多数の人が死んだはずだ」
「うーん、すると矢張り、呪祖で殺されたか……」
諒輔は考え込み、独り言のように呟いた。
「呪祖だって? そう言えばユタの咲江おばぁも、漁業組合長は祟られているとか言ってたぞ」
看護師と結衣が出勤してきたようで、二人の朝のお喋りが聞こえる。
「おーい、結衣ちゃん、諒輔に話をしてやってくれないか」
結衣は最初何事かと緊張した面持ちであったが、あばぁのことと知ると表情を和らげ、諒輔の質問に答えてくれた。
結衣の話によると、咲江が漁業組合長に呼ばれて、自宅に行ったのは正剛の結婚式の翌日の21日のことであつた。咲江は組合長に、どこが悪いのか聞いたところ、連夜恐ろしい夢をみて眠れない、食事も喉に通らないと組合長は訴えたらしい。そこで咲江は祈祷をし、一心に祈ると神が憑依してお告げを述べた。そのお告げとは『恐ろしく強い力を持つ、邪悪な何かが、組合長に取り憑いている』というものであった。組合長とその家族は咲江に、その邪悪なものを取り祓ってくれるよう嘆願したが、咲江は自分一人の力量ではとても敵わぬ相手だと告げ、他の島のユタに協力を求める必要があるとして、その場でのお祓いをせずに帰って来たとのことであった。
諒輔は、咲江から直接話を聞きたいと思い、結衣に住所を聞き訪ねることにした。台風は遠ざかり、早くも真夏の太陽が雲間から顔を出している。今日は蒸し暑い一日になりそうだ。そんな日差しの中を歩いて訪ねた先は、村営住宅の中の1棟であった。ユタということで、赤瓦の古い民家に住んでいると勝手に想像していたが、咲江は村営住宅に住んでいたのだ。部屋に上がると早速、質問を開始した。
「その邪悪なものは、姿や形がありましたか?」
「最初や黒々としたもぬが蠢くばかりやったが、次第ん姿(すがい)が現れてきたさぁ」
「どんな姿をしていたのですか?」
「それがな、なま思い出しても恐ろしい姿でな、頭(ちぶる)に冠んようなもぬを被り、身体中細い蛇ようなもぬを何本も生やしておった。そして冠んかいや3本ぬ火が灯っておって、うぬ明りんかいゆらゆらする形相やまさんかい鬼であった」
「3本の火だって?」
「あぁ、揺れていたから、あれや蝋燭ぬ明かりやさや」
これは呪殺鉄輪の法そのものではないか。
「それで取り憑いたものの正体は分かりましたか?」
「長いこと、海蛇(いらぶー)やら海豚(ひいとぅ)やらぬ殺生をしてきたちゅあんくとぅ、定めしそれらん祟りと思うていたぬだが、あれや人(ちゅ)ぬ姿をしておった。女(いぃなぐ)やさぁ」
「組合長に取り憑いたものは、恐ろしく強い力を持っていたそうですね?」
「わんも長い間ユタをしてきたが、あんなんかい凄い力を持つ憑きもんかいや初めて出会った。わん一人ではいっぺい敵わねえ。ユタが10人集まっても勝つぬや難しいやんやー」
“呪殺鉄輪の法”であれば、その呪祖力はさぞ強大であろう。咲江の話を聞き、組合長が至道の呪祖により殺害されたという確信を更に深めた。
諒輔は“ヴィラ星の砂”に戻った。ちょうど昼時だったので、理紗と神崎に報告がてら一緒に昼食をとることにした。
理紗と神崎に、組合長が“呪殺鉄輪の法”で殺された確率が高いことを伝えると、理紗は気味悪げに顔を顰めた。神崎は表情を変えずに、昼食を食べ続けていたが、諒輔の報告が一段落すると、食事の手を止め、反対派の集会について諒輔に説明した。
「金城社長に反対派が危険な状況にあることを説明しました。サリンや呪祖のことはもちろん伏せております。金城社長は我々の話を聞いて、驚いておりましたが、『緊急事態だ』と言って、反対派の主要メンバーを今夜参集する手配をしてくれました。それから、島の治安にも係ることなので、駐在にも出席するよう声を掛けるとのことでした」
「その駐在さんだけど、どうにも一人じゃ頼りないなぁ。日野さんに頼んで、もう何人か警察官をこの島に常駐させることは出来ないものかな」
諒輔は昨日会った駐在の顔を思い出して言った。
「そうね、諒輔の話だとその駐在さん、人は良いけど、頼りにはなりそうにないものね」
理紗も同様のことを心配したらしい。
「分かりました、葛城さんを通じて頼んでみます。あ、それから用件を済ませたら、島を一回りしてきます。島の様子が全く分からんものですから」
神崎は、急いで食事を終えると、葛城に連絡するため自分のコテージに戻って行った。諒輔と理紗は夜の集会まで時間があったので、ポルトガル村に行くことにした。カムザ関係者の宿泊施設になっているという旧ホテルも実際に確かめてみる積りであった。
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