第一章 八重山諸島神坐村
石垣島直行便の機内から、諒輔と理紗は眼下に広がるコバルトブルーとエメラレドグリーンで彩られたサンゴ礁の海を眺めていた。今日は6月18日、梅雨が明けた八重山地方は快晴で絶好の飛行日和であった。
着陸するため、機体はかなり降下している。サンゴ礁に当たって砕ける白い波まではっきりと見ることが出来た。理紗はそんな景色を着陸するまで眺めて「綺麗!」「すてき!」など、感嘆の声を連発していた。
石垣島空港に着陸すると、荷物受取所のカウンターから旅行ケースをピックアップした。今回は父の結婚式に参列することが主な目的であり、2週間の長期滞在を予定していたので、二人とも海外旅行用の大型ケースを持ってきている。カートに積み込み出迎えロビーに出ると、アロハシャツを着た若い男性が歩み寄って来た。
「諒輔さんと理紗さんですね」
そうだと答えると「始めまして、“ヴィラ星の砂”の金城拓馬です。東神坐(かむざ)島まで案内します」と日に焼けた顔で笑いかけて来た。
「どうぞ、こちらです」
拓馬はカートを諒輔から奪うと、タクシー乗り場に向け、足早に歩き始めた。石垣島の日差しは強く、理紗は日除け用の大きな帽子を被っている。それが白いリゾートウエアに良くマッチしていた。諒輔は持参してきたサングラスを掛けたが、こちらはあまり似合っているとは言い難かった。
石垣港の離島ターミナルでタクシーを降りる。東神坐島に行く為には、ここから船に乗らねばならない。夏休み前で観光客はまだ少なく、待合室のベンチに座る人はほんの僅かであった。出発まで少し時間があるので拓馬に父の様子を聞いてみることにした。
「父は元気にしておりますか?」
「先生は元気さぁー、20歳以上も若い人と結婚する位ですから」
「そりゃそうだけど……でもそんな若い人とどこで知り合ったのだろう」
父の結婚式に参加するためにやってきたのに、その相手がどんな人か、全く知らされていなかったのである。
「あいえなー! そんなことも知らないでやって来たんですか?」
「お父様は照れていらっしゃるのよ。息子にはそういったこと、話し難いものじゃないかしら」
理紗の言う通りかもしれない。60歳で再婚するのである。結婚するに至った経緯を、息子に一々説明するのは嫌だろう。
「先生が石垣島の県立病院に勤めていた時に知り合われたそうです。富紀さん、あっ、先生の奥さんのことですが、そこで看護師をされていたと聞いています」
父が知り合うとすれば、そんなところだろう。
「先生は籍だけ入れれば良いと、言っておられたようですが、神坐村の連中が、何が何でも結婚式を挙げるのだと騒ぎ立てて、それで先生も仕方なく……」そこで拓馬は腕時計を見て「あぁ、そろそろ時間です。乗り場に行きましょう」と腰を上げた。
諒輔と理紗がこれから訪れる神坐村は、東神坐島と西神坐島、それに幾つかの無人島で成り立っていた。村役場は琉球王朝時代から開けていた東神坐島に置かれており、正剛が勤める村立診療所も東神坐島にある。
西神坐島は、海抜4百メートル級の山がある島であり、海岸は断崖絶壁が続き、全体が熱帯のジャングルで覆われていた。そのため、開けた平地が少なく、港もごく限られた場所にしか無いことから、開発が遅れていた。
東神坐島は観光の島でもある。住民は千人にも満たないが、年間の観光客は三十万人にも及ぶ。島の北部には、石垣と屋敷林に囲まれた赤瓦屋根の民家が建ち並ぶ昔ながらの農村集落が残っていた。その集落を水牛車に乗り、見て回るというのが、この島の最大の観光の売りであった。別の観光施設としては、島の南海岸にポルトガル村というテーマパークがあるが、人気がなく、今や閉園寸前といった状態であった。
石垣島に近いので、これほど多くの観光客が訪れるのだが、ほとんどの観光客は水牛車で一周りすると帰ってしまい、宿泊する客が少ないのが悩みの種であった。
高速船に乗り、20分もすると東神坐島の北港に到着する。船を降りて拓馬の案内で桟橋を進む。拓馬は待ち受けていた数台のマイクロバスの一つに、諒輔と理紗を案内した。バスの前に若い娘が待っている。
「めんそーれ、神坐村にようこそ」と少し恥ずかしそうに言って拓馬に近寄った。
「結衣さんです。診療所の事務をしています」
拓馬が紹介する。二人は寄り添うようにしている。どうみてもこの二人は恋人同士だ。
「診療所に先に行かれますか、それとも宿にしますか?」
諒輔は宿で寛いだ上で、父の診療所に行きたかったが、理紗が「先ずはご挨拶でしょう」と至極もっともな見解を示したので、素直に従うことにした。旅行ケースは拓馬が、“ヴィラ星の砂”に運んでくれるとのことであった。
父、三輪正剛が所長をしている村立診療所は北部の集落近くにあり、所長の他は、看護師と事務員の結衣がいるだけであった。診療所の建物はコンクリート造りの平屋で外壁が白く塗装されており、南国の青い空に映えていた。
結衣が診療所内に先に入り声を掛けると、白衣を着た看護師らしき女性が出て来た。一瞬この人物が父の結婚相手の富紀かと思ったが、その女性は、中年太りしており、年の頃は50歳前半といったところか。
「遠いところをよくお出で下さいました。先生は今、今診察中で……いえ、患者はいつものおばぁですからすぐに終わります。さ、どうぞ中にお入り下さい」
待合室に通されしばらくすると、診察室のドアが開いて、一人の老婆が出て来た。その後ろ姿に向かって正剛が声を掛けている。
「薬を毎日きちんと飲まなきゃ駄目だよ」
老婆は聞こえているのか、聞こえていないのか、返事をせずに待合室の椅子に腰かけた。
結衣がそんな老婆に声を掛ける。
「おばぁ、先生が何時もあぁ言って下さるでしょ。薬、毎日飲まなきゃいけないよ」
「わんや他ちゅが造った薬(くすい)や飲まねーんぞ。ユタや、薬は自分で作るもんじゃ」
結衣は困った顔をして、諒輔と理紗に老婆を紹介する。
「私の祖母です。島のユタをしているんですが、薬を飲みたがらなくて……」
ユタとは沖縄地方に古くから伝わる霊能者であり、神が憑依してお告げをする霊媒者であった。
結衣はおばぁの手をとり出口まで見送る。
「いやぁ、すまん。待たせたな…….おっ、こちらが理紗さんか」
診療室から白衣を着た正剛が現れ、理紗を見て、満面の笑みになった。身長は諒輔ほど高くないが、60歳にしては長身で、贅肉の無い引き締まった身体つきである。頭髪は白髪が目立つが、日に焼けた顔と良くマッチしている。
諒輔が理紗を紹介し、理紗が挨拶を終えたところで諒輔は肝心なことを聞いた。
「ところで父さん、花嫁を紹介して貰えないかな?」
理紗も「うん、うん」と頷き正剛の顔をじっと見る。
「富紀は今頃、家でお前達を迎える準備をしている筈だ。俺はもう少しここに居なければならんので、お前達、先に家に行って待っていてくれんか」
自宅は歩いても10分位ということなので、結衣に案内して貰って行くことにした。
正剛の自宅は昔ながらの伝統的な赤瓦の民家で、石垣と南国の木々に囲まれていた。入口近くにはノウゼンカズラが、庭にはハイビスカスが咲いており、南国情緒を醸し出している。
結衣が開け放たれている座敷に身を乗り入れるようにして、声を掛けると奥から「はぁーい」と応答があり、富紀と思われる人が、エプロンを外しながら縁側に出て来た。
「よくいらっしゃいました。お迎えにも行かず失礼しました。どうぞあちらの玄関からお上がり下さい」
示された右側に玄関があり、入るとそこは広い土間になっていた。靴を脱ぎ座敷に上がり、初対面の挨拶が交わされた。色白細面で和服が似合そうなタイプの人である。結衣の話によれば富紀は秋田出身であるらしい。
正剛が6時過ぎに帰って来て、シャワーを浴び、甚平に着替えると早速に酒宴が始まった。諒輔は父から借りた甚平姿、理紗は富紀から借りたムウムウを着ている。
狭い島のことである。診療所の先生の息子とその恋人が島にやって来たことは、瞬く間に島中が知るところとなっていた。酒宴は身内だけで行われる筈であったが「先生! 味くーたー魚持ってきたよ」「あきさみよ~! 美人(ちゅらさん)ちゅやんやー」など口々に言いつつ次から次に、島人がやってくる。そして勝手に上がり込むと酒盛りに加わった。そんな勝手組の一人に拓馬の父の金城真俊がいて、正剛と富紀の前に座り込んで盛んに話し込んでいる。真俊は“ヴィラ星の砂”の社長で、結婚式の進行段取りを全て任されている人物だ。
訪れる人は大人だけでなく、子供たちも縁側の近くにきて中を覗き込んでいる。三線を持ち込んだ者が弾き語りを始めると、座敷の人々は次々に立ち上がり踊り始めた。理紗は三線に興味を持ったらしく、三線を持つ男の近くに行き、その手元を繁々と眺めている。
酒宴は延々と続くようであった。諒輔は時期を見計らい理紗を外に誘った。二人手をつなぎ、教えられた道を海岸に向かって歩いて行った。夜風が酒に酔った身体に心地良い。行く手から波の音が聞こえて来る。蘇鉄の灌木を抜けると、そこが海岸で、空を見上げると満天の星が輝いていた。
「あれが天の川なのね」
夜空に横たわる壮大な星の流れに、理紗はうっとりとしている。
「うん、すごい星の数だね」
「もうすぐ七夕、織姫は一年振りに彦星に会ったら最初に何て言うのかしら?」
「そりゃ決まっているよ」
「そうなの……何て?」
「ハイサイ!」
ハイサイとは沖縄方言で『元気にしてる?』という意味に使われる言葉である。
「諒輔ったら……」
二人は肩を寄せ合い砂浜に座り、波の音に耳を澄まし、そして夜空を見上げた。
流れ星が天空を斜めに走って消えた。
ムード満点のシチュエーションである。諒輔はキスをしようと、理紗に顔を近づけた。
「諒輔、こんな素敵な景色、犬麻呂と牛麻呂にも見せてやりたいわね」
突然話しかけられて、諒輔はあたふたした。
「そ、そうだね……」
キスをし損ねたのは残念だったが、理紗の言う通りだと思い直した。
「分かった、あの二人にも見せてやろう」
諒輔は呪を唱えて、犬麻呂と牛麻呂を呼び出した。
「はら、見てごらんなさい、あれが天の川よ」
現れ出た二人の式神に理紗がやさしく声をかけている。安倍の血筋がなせる業であろうか、最近、理紗も式神の姿が半透明位には見えているようだ。
犬麻呂と牛麻呂は夜空を見上げ「ほう!」「おう!」と感嘆の声を上げた。しかし夜空を見るのはすぐに飽きてしまったようで、二人は波の音に誘われて、波打ち際に行った。最初はおっかなびっくりして波が寄せると逃げていたが、そのうちに馴れたらしく、寄せては返す波と戯れて飽くことを知らなかった。
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