それでも続く生活の 3

 Dは夢をみていた。


 もう二度とユキノには逢えない。来世さえ、さらにその先でさえ。永遠に歯車は外れたまま、おのおの勝手にから回りしている。


 灰色の空に、ペンギンが飛んでいた。おうさんだ。必死に羽ばたいている。飛んで――飛んでいる? ペンギンが、空を。


 その時、カチリと頭の中で音がした。高原で風に吹かれて、何もかも理解してしまった。


 鳥が自由で軽やかなものだという認識は、間違っていた。千切れるほどに羽ばたいて、やっと手に入れた空の世界だったのだ。


 王さんはどこまでも飛んでいく。


 小さな歯車が、空から一つ降ってきた。から回る二枚の歯車の間にピタリとはまって、動き出して、それから。



 Dは目を覚ました。


「…………」

 王さんを探す。Dのベッドの脇で居眠りしていた。自分がたせいで熱を出したと勘違いしているのだろう。もちろん、フリッパーでしたたか打たれたのは痛かった。だけど、寝込んだのは知恵熱のせいだ。


 あの幼馴染のヤンキー女子のことをずっと考えていた。


 だって、だってさ。


「王さん、おれ、ユキノのことは尊敬してるんだ。大切にしたいし、大事にしてくれてるんだろうな、俺のこと。――だけど、それだけじゃ、もう」


  ✕


 驚天動地。その日、D家と三好みよし家に衝撃が走った。

 あのDが、三好ユキノに告白したのである。


 以前と同じように三好家に走って転がり込んできたDは、居間でシラトリのための餌を用意しているユキノの両手を取って、「好きだ!」と言った。


 カリカリ餌がザラザラ音を立てて床に落ちた。


 目を白黒させて、しかしほのかな期待を何度も裏切られてきた経験から「何が?」と返したユキノに、もどかしげにDは返した。


「ユキノ! きみが!」

 今度こそ、ユキノはかぁっと赤面した。

 今、言うか? 最近食欲がないシラトリのためにウェットフードとカリカリを混ぜようとしている、今?


 幸か不幸かその日三好家では、二人の母親が「ベランダ野菜の作り方」をテーマに徹底討論していた。そこへ、突然のDの告白。

 ――――――――!!

 母親たちは、およそ人間では知覚できない周波数の悲鳴を上げた。

「見ました? 見ました奥さん!」

「うふふ、見ましてよ奥さん。よかったわねぇ、ユキノ」


 混沌をきわめた自宅の様子に、ユキノは顔を真っ赤にしながらも、つとめて冷静に、Dに伝えた。

「と、とりあえず、シラトリさんにご飯あげるから……」

「あっ、そっか」

 ぱっと手を離すとDは、手伝おうか? と平気で続けた。

「……シラトリさん呼んできて」

 いつものやり取り。

 しかし、何かが変わる予感がした。


  ✕


 毎週、Dも王さんも休みの日に河原で飛行訓練をしている。訓練は王さんたっての希望だ。終わった後、喫茶店に寄って少し贅沢なランチを食べるのだけが楽しみで、Dはいつもしぶしぶ付き合っていたのだが。


 いつもの練習。熱にうなされて見た夢。


「王さん!」

 強い風とともに、王さんの体はふわりと浮かんだ。ひたすらに、ただひたすらに羽ばたいている。重たい体を押しのけて、空へ空へと昇りゆく。


「飛んでる! 飛んでるよ、王さん!」


 Dは土手を走って追いかけた。いつもの休日、いつもの練習。うんざりするような希望と、優しく包みこむ絶望。そんな、漫然と続くDの人生が、すっかり別のものに変わってしまったのだ。


 生活の片隅、小さな町の川辺で、ペンギンは空を飛んだ。


 「わっ」

 落ちてきた王さんDはしっかり受け止めた。ほんの数秒、確かに彼は飛んだのだ。草っぱらの中、手とフリッパーを取り合って一人と一匹は歓声をあげた。


「なんだ、あいつら」

 シラトリとのんびり散歩をしていたユキノが土手を歩いていると、聞き慣れた男の声がした。Dだ。王さんも珍しく興奮して、トランペットみたいに鳴いている。


 足を止めて見ていると、いい歳した男たちが手とフリッパーを取りあってランラン踊って喜んでいる。


 「へんなの」


 そう言いながらまぶしそうに眺めているユキノの微笑みを、シラトリはずっと昔から知っている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る