第十章 桜坂
理紗の安全が気になったが、葛城が夜間の外歩きなどの場合は身辺の警護をすると言うのでしばらく様子を見ることにした。理紗にあまり心配掛けない程度に注意すると、「私には、危険察知能力があるから大丈夫」と言って気にかけない。何かあれば直ぐ連絡するように約策させたが、それでもまだ少し心配である。
諒輔については、阿修羅教団側は何も気付いていないようなので、これまで通りにして置いた方が良かろうという判断から、八王子のアパートに住み続けることにした。
そんな訳で陰の長者になった後も、諒輔は相変わらず、栗原運輸のアルバイトを頼まれたりしていた。それは諒輔にとって気が紛れることであり、社長や八百子と過ごすのが楽しかったからでもあった。しかし忠彬の葬儀などで忙しくなってきて、そうもしていられなくなり、諒輔は社長と八百子にあの財団に就職する旨を告げて、アルバイトを止める事にした。
納骨を済ませ、葬儀に関する当面の行事が終わると、葛城は相続について相談したいと諒輔と理紗に申し出た。財団事務所を二人に見て貰いたいとの葛城の思惑があり、相談は財団事務所で行われることになった。
理紗は教えられた場所をインターネットで調べてみた。そこは地下鉄の溜池山王駅からほど近い桜坂の中程の所であった。桜の咲く頃、何度か訪れたことがある場所である。葛城は迎えの車を出すと言ったが理紗は断り、諒輔と溜池山王で待ち合わせして、一緒に訪れることにした。諒輔と二人で桜坂を歩くのも悪くはないと思ったのだ。
その日の理紗は白いブラウスにベージュのタイトスカートでセミロングの髪を自然に下ろした姿である。スカートの深いスリットが気になったが、多少の色気も必要だろうなどと思いつつ、理紗は先に待っていた諒輔に歩み寄った。諒輔はちらっと近づく理紗の姿を見やったがどうやら理紗とは気付かない様子である。少し腹を立てて、無言で諒輔の目の前を行き過ぎ、モデルターンをし、ヒールの音を殊更立てて戻ると諒輔の前に立った。
「あぁ理紗さんか、一瞬誰かと思ったよ。何時も和服だったから」
「まぁ、諒輔さんたらいけずやなぁ」
つい京言葉が出てしまった。諒輔は狼狽気味に言い訳するが、服装と髪型が変わった位で見損なうとは諒輔もどんくさい。まぁ、それがどこか憎めない要素にもなっているのだろう。
二人は連れ立って歩き出した。九月も中旬になり、ようやく残暑が一段落したのと、夕方の五時を過ぎて陽も傾いたので、地上を歩いても苦にならない。目指す建物は桜坂の途中にあるキリスト教会の隣にある三階建の古ぼけた小さなビルであった。古風なデザインのビルの表面に蔦が絡まった様子は瀟洒であり、隣のチャペルと良く調和がとれていた。一階入り口に小さな看板があった。《桜坂画廊 営業時間 10:00~17:00》とある。ここが目的のビルだ。諒輔がドアを開けて、理紗を先に中に入れる。理紗は内心『ヘぇ、中々気が利くじゃない』と感心する。左手に部屋があり画廊になっているようだ。額縁を模したような窓枠のガラス窓があり、そこから中を見ることが出来る。ユトリロ風の風景画が数十点掛けられている。ユトリロが好きな理紗は中に入ろうとして、画廊に通じるドアに手を掛けたが、鍵がかけられているようで中に入れない。あきらめて諒輔に続いて更に奥に進むと狭いエレベーターホールがあり、案内表示の看板が立ててあった。
〈一階 桜坂画廊〉〈二階 画廊事務所〉〈三階 財団法人 日本伝統行事研究保存協会〉
エレベーターに乗り込むと諒輔が三階のボタンを押した。アールデコ調の装飾が施されたエレベーターはゆっくりと動作して三階に止まりドアが開いた。その部屋はかなり広いが、来客用の応接セット、書棚、事務用のスチール机と椅子が数人分あるなど、ごくありふれた事務所の佇まいである。
「これはこれは、諒輔様、理紗様、良くお越しいただきました。お迎えも致しませず誠に申し訳ございません」
葛城は恐縮の体である。部屋には葛城の他にもう一人の男性がいて辞儀をした。
「いいえ、桜坂と聞いて歩いてこようと諒輔さんに私が言ったのです」
「そう、桜の季節ですとデート、いえ散歩には打ってつけの場所なんですけど……あっ、こちらは遠山です」
紹介された二十四,五歳と思えるその男は小柄で、どことなく葛城に似ている。どこかで見たような気がすると理紗は記憶を巡らせ気付いた。
「あぁ、あなたは病院の霊安室にいらした」
黒の上下のスーツに白い手袋をしていたあの若い男だった。
「遠山と申します。ご挨拶が遅れまして失礼いたしました」
遠山は、七三に分けた頭を律義に下げた。
「実は遠山は、姉の息子、つまり私の甥でして、財団の経理全般を見て貰っています」
理紗にとってその男が葛城の甥というのは意外だが、諒輔は意に介する風も無く、気さくに遠山と握手などしている。
その時エレベーターの扉が開き、別の男がもう一人入って来た。葛城はその男が近づくのを待って声をかけた。
「異常はありませんでしたか」
「はい、尾行された形跡は認められません」
そう答える男を葛城は諒輔と理紗に紹介した。
「既にお見知りかと思いますが……」
いつもは詰襟の制服姿だが今日は普通の背広姿だった。
「神崎です。どうぞよろしくお願いします」
神埼は慇懃に礼をした。贅肉の無い筋肉の引き締まった体つきをしており、顔の表情も精悍そうである。
「こちらこそよろしくお願いします」
理紗は挨拶を返した。
「神崎は空手の達人です。元自衛官で銃器などの武器のエキスパートでもあります」
理紗は葛城の説明を聞いて頼もしく思ったが、先程、神崎が口にした尾行という言葉が気になった。
「あのぅ、神崎さん、先ほど尾行された形跡とかおっしゃいましたよね」
理紗は気になっていたことを口にした。
「はい、阿修羅教団の者どもがお二人を尾行することも考えられますので、失礼ながら監視させていただきました」
理紗はその返事を聞いて急に怖くなって、隣の諒輔を見やったが、諒輔は平然としている。そう言えば先程から、何もかも承知しているという様子である。
一通り挨拶が済むと葛城は「それでは早速ですが、財団の本部事務所にご案内しましょう」と歩き出した。理紗はここがその事務所とばかり思っていたので不思議に思った。
「財団の本部事務所って、ここではないのですか?」
「ここも財団の事務所ですが、言わば表の事務所です。五時までは職員が何人かいたのですが、定時に退社するようにしているので今は居りません。二階に会長室もありますがご覧になりますか」
理紗にはよく理解できない説明であったが、財団本部というものを早く見たかった。
「いえ、結構です。その本部事務所というものを見せていただきます」
葛城は頷くと二人に付いて来るよう促し、一同全員でエレベーターに乗り込んだ。定員五名とあるからこれが乗り込む限度である。エレベーターの扉が閉まると、遠山が一階のボタン、二階のボタン、三階のボタンを何回か押した。出鱈目に押しているようで不思議に思ったが、ゆっくりとしたスピードでエレベーターは下降して行く。一階に付くのに嫌に時間が掛かると思った時、やっとドアが開いた。降りたところは、一階ではなく地下であるらしい。それもかなり深い地下のようだ。眼の前に連絡通路のようなものがあって、ずっと先に続いている。遠山が通路入口の壁にある操作パネルに暗証番号を入力する。多分赤外線センサーなどのセキュリティを解除したのだろう。
「どうぞ、こちらです」
葛城が先頭になって案内する。
「この通路は坂下にある神社の地下に通じています。そこに財団の本部事務所があるのです」
理紗は大掛かりな施設に驚いた。敵対する者達への備えなのだろうか。
「これほど厳重な防備がなされているとは……想像をはるかに超えています。敵対する者達が多かったからなのでしょうね」
「いえ、当時は敵対勢力とは和解が出来ておりまして、攻撃を仕掛けてくる者はいなかったのです。あの阿修羅教団はこの十年程で先鋭化し、当方に攻撃を開始したのはごく最近のことです」
「すると、当時はこんなに厳重な防備が施された施設を造る必要はなかったのじゃありませんか?」
「この施設を造った頃は、忠彬様が金融取引を積極的にやっておられた時でして、国税庁や証券監視委員会などの査察や捜査に備えるという意味合いが強かったのです」
葛城の説明は理紗にとって腑に落ちないものだったが、理解を超えていたので話題を変えることにした。
「阿修羅教団と言いましたか……その敵にはまだこの事務所の存在を知られていないのですね」
「えぇ、今のところ察知された兆候はありません。しかし、阿修羅教団の者達は、最近しきりに当方へ探りを入れている模様です。決して油断できません」
それを聞いて理紗は少し不安になったものの、まさか自分に危害が及ぶとは思わなった。
連絡通路の突き当たりに扉があり、遠山がセキュリティを解錠して一行を中に招じ入れた。本部事務所は幾つかの部屋があるようで、先ず案内された部屋の壁面には液晶パネルがいくつも設置されており、机の上には数十台の情報端末とパソコンが置かれている。壁面のパネルには株価、為替相場、金利などが時々刻々と変化する数字を表示していた。
「ディーリングルームです。昔はこの部屋で忠彬様が金融取引の指揮を直接採っておられましたが、この二十年程はディーリングルームとしては使用しておりません。ただ保有資産の管理のために役立つと申しまして、遠山が時折使っておるだけです」
葛城は説明が終わると、次の部屋に二人を案内した。そこは監視セキュリティルームであった。壁面に沢山のモニター画面がある。それらの画面には画廊の入り口、画廊の一階通路、エレベーター内部、三階事務所など桜坂画廊の至るところが映し出されている。神社の境内や神社の建物はこの施設の地上にある神社であろう。雑木林に囲まれた建物の外部とその内部は世田谷の屋敷だろうと理紗は推察した。
「このセキュリティルームの責任者は神崎です。何かご質問があれば神埼にお尋ね下さい」
理紗が首を振ると、葛城はまた別の部屋に案内した。
「こちらが本部会長室です。どうぞお入り下さい」
諒輔と理紗が部屋に入ろうとすると、神崎が「私達はこれで失礼いたします。別室で控えておりますので御用があればお申しつけ下さい」と告げ遠山と共に去って行った。
部屋の中は、大手企業の役員室とさほど変わらぬ仕様で、床には分厚い絨毯が敷かれ、扉、壁、調度品はマホガニーや紫檀などの木製品で統一されている。皮張りの応接セットは十数名が座れるような大きなもので、諒輔、理紗、葛城は一番奥に向かい合って腰かけた。
「意外と普通の部屋なんですね。クラシックカーが趣味だと聞いていたので、自分の部屋は、重厚な英国貴族風かと思っていました」
理紗は率直な感想を口にした。
「忠彬様は、『私の趣味はディーリングルームだけで充分だ』と言われて、ご自分の部屋には頓着しなかったのです。それでこのようにありふれた部屋になっているのです」
葛城は部屋をぐるっと見渡し感慨深げな表情を見せた。それでもすぐにいつもの調子に戻り、二人に好みの飲み物を聞き、それを内線電話で伝えると居住まいを正した。
「早速ですが遺産相続についてご相談させていただきます。先ずはこれをご覧ください」
葛城は資料を二部取り出し、諒輔と理紗に一部ずつ手渡した。
「それは、忠彬様の遺書のコピーです。本物は顧問弁護士が保管しており、詳細については後日、弁護士から説明があります。本日は私が、この遺書の概要を説明いたします。尤も諒輔様は忠彬様の記憶を引き継がれておられますので、先刻ご承知でしょうが、一緒にお聞き下さい」
『あぁ、そうか、諒輔さんは何もかも知っていたんだ。だから平然としていたんだわ』
理紗は内心呟き納得した。
「忠彬様がこの遺書を書かれたのは、亡くなる一週間ほど前でして、理紗様が陰の長者を引き受けてくれるかどうか分からない時でした。ですから陰の長者が忠彬様の代で絶えることもあり得るという前提に立っての遺書になっています。まぁ、内容は後ほどよく読んでいただきたくとして、遺産相続の要旨ですが、忠彬様個人名義の資産の内、四分の三を理紗様に、四分の一をクリスチーナ様に相続するということです。当財団の会長には陰の長者が就任し、その所有する資産の管理も陰の長者に委ねられます。因みに次代の陰の長者が不在となってしまった場合については、財団は解散し、所有資産は国庫に納める事になっておりました」
葛城はここで言葉を区切ると、諒輔と理紗の顔を交互にじっと見た。
「色々と質問があると思いますが、もうしばらく私の説明を聞いて下さい。さて問題は世田谷の屋敷の相続です。土地も建物も忠彬様の個人名義ですが、遺書には陰の長者が管理するべきものとされております。なぜならあの屋敷には、代々の陰の長者を祭祀する祭壇があり、これを守るのは当代の陰の長者の務めだからです。忠彬様はこの20年ほどホテル住いでしたが、代々の陰の長者の祥月命日などの式日には必ず、世田谷の屋敷に行かれていました」
葛城の話に理紗はすぐ反応した。
「あのう、私、そんな広い屋敷に絶対住みたくないです。ましてや先祖の祭祀の間があるような所、とても怖くて近づけません。遺書の通り諒輔さんが住むなり管理してくれたら嬉しいです。それよりも……」
理紗は言葉を区切りおずおずと訊ねた。
「あのう、こんなこと聞いて、はしたないと思うかもしれませんが……私に相続される資産て、どの位の額なんでしょうか?」
「詳しい額は、顧問会計士が株式などの時価評価をして算出します。私もどの位になるか見当がつきませんが、金融資産だけでも数億円単位にはなることでしょう。でも、高率の相続税が課せられますから、手取り額はその半分以下になります」
思っても見ない事態に理紗は茫然としている。
「ついでと言ってはなんですが、財団の所有資産についても理紗様に簡単に説明しておきます。財団資産は陰の長者である諒輔様が引継ぎ管理して行くことになります。財団には表と裏があることは、もうご理解いただけたでしょうが、表の資産はわずかなものです。裏の資産、我々は財団本部と言っておるのですが、その資産は中規模の銀行程度だと言っておきましょう」
巨大な資産ということは理解できだが、具体的にそれがどれ位の額なのかは理紗には分からない。
「このような巨額の資産を保有するに至った経緯や、その方法などは私が説明するより、忠彬様の記憶をそのまま引き継いだ諒輔様の方が、ずっと詳しいので、説明は諒輔様にお願いしたいと思いますがよろしいでしょうか」
葛城は諒輔の顔を窺った。その時、ノックがあり、遠山が飲み物を持って室内に入って来たので、ひと先ずコーヒーブレイクにすることにした。
飲み物を飲んで一息つくと、諒輔が「話は長くなるけど」と前置きして話し出した。その概要は次のようなものであった。
忠彬が陰の長者を引き継いだのはちょうど二十歳の時だった。それは太平洋戦争が終結した翌々年の一九四七年(昭和二十二年)のことであった。
忠彬の父、顕平は戦時下においてその能力を買われ、天皇陛下からの諮問に応えるなどしていたが、終戦間際においては徹底抗戦派の将校等のクーデター鎮圧に尽力するなど活躍した。
戦後は占領軍司令部と皇室存続について裏面交渉を行ったりもした。しかし、長年奔走した疲れと、安倍家の経済的な逼迫から気力を失い、息子の忠彬が成人するのを待って陰の長者を引き継いだのだった。裏土御門安倍家は多くの農地を所有する大地主でもあったが、占領軍の農地解放政策により、その大半を失った。また東京大空襲で自宅を始め、貸家のほとんどが焼失する被害もあって、家計を逼迫させたのであった。
陰の長者を引き継いだ忠彬は、まだ大学生であり、家計の苦しい安倍家の当主として四苦八苦した。このような自身の経験もあり、これからの時代は経済力の時代になると予見し、経済、財政、金融などの最新知識の吸収に努めた。数少ない家財や土地を売り払い、海外留学をして欧米流の投資理論も習得した。知識は学ぶのではなく、脳に直接転写する方法で行われたから、短時間の内に、忠彬は世界トップクラスの質と量の投資理論と技法を習得できたのであった。
忠彬は経済関連だけでなく、あらゆる分野の知識を吸収していったので、望めば総理大臣でも、大学の総長でも、大企業の社長でもなれる能力を持っていた。しかし陰の長者は世の表に出ること、多くの人に知られることは禁忌であったので、何事も人知れず行う必要があった。
忠彬は若く、自信に満ちており、自分の能力を存分に発揮したいと切望した。それは抑え切れない若い性の衝動のようなものであった。そこで忠彬が情熱を注いだのが、投資と投機であった。自分の能力を存分に発揮することが出来て、念願の経済力が手に入る。正に一石二鳥であった。
忠彬は投資と投機に没頭した。戦後の高度経済成長期でもあり、運用する資産は膨張した。運用先は株式、債権などの金融取引の他、商品相場、為替相場、不動産など多岐に亘った。
莫大な投資収益があったが、税務申告をすると、世間やマスコミに忠彬の存在が知られることになるので、税務申告はしないことにした。忠彬の類ない才覚をもってしても、多額の資金の運用は当局が察知することになる。が、そうなった場合も、国税当局や証券監視委員会と渡り合い攻防することが当時の忠彬の生き甲斐になっていたのである。
そのような時に造られたのがこの財団本部事務所であり、ディーリングルームであった。しかし息子の忠成が家を飛び出し、妻がその心労で亡くなると忠彬は投資と投機への関心を一挙に無くしたのであった――――
理紗は諒輔の説明が一段落したところで、疑問を投げかけた。
「すると、財団本部の巨額な資産は脱税による違法なものなの?」
「それについては私から説明いたしましょう。国税当局と交渉したのは私でしたから」
葛城は諒輔の方に眼をやり、諒輔が頷くのをみて説明を続けた。
「現在は国税当局にすべて申告して、過去の分も含め税金を支払っているので違法なものは一切ありません。脱税の時効は長くて七年です。金融商品取引法違反なども七年で時効が成立します。その期間を過ぎれば法的には罪に問われることはないのです。しかし忠彬様は時効になった分も含めて納税すると国税当局に持ち掛けたのです。その代わりに世間への公表は一切しないという約束でした。いわば一種の司法取引のようなものでしたが、当時の国庫状況も現在同様に逼迫していましたので、案外と順調に事が運びました」
「それを聞いて安心しました。諒輔さんが違法なことをしなければならないのかと心配しました」
「財団本部の資産については遠山が管理しています。詳しいことをお知りになりたければいつでも遠山にお尋ね下さい。えーそれでは財産相続の件はひとまずこれで終わりにして、次に阿修羅教団への対策について相談させていただきたいのですがよろしいですか」
二人が頷くのを見て葛城は話し始めた。
「それでは、理紗様の為に、先ず阿修羅教団のことをご説明しましょう。阿修羅教団の原型となるものは戦国時代に形作られました。織田信長が比叡山を焼き討ちしたのはご存じと思いますが、信長はこの時、僧侶、学僧、上人、児童の首をことごとく刎ねたと言われています。これに恨みを抱いた者や、恐れを抱いた者達が密かに徒党を組み、信長への復讐を誓ったというのがその原点です。その後、時の権力者によって宗教者が弾圧される歴史が続きましたが、それ等の者達に手を差し伸べ救済することで勢力を伸張させ現在に至っているのです。豊臣政権から徳川政権にかけて迫害されたキリシタン、明治維新の廃仏毀釈により排斥された僧侶、明治以降に弾圧された数々の新興宗教の信者などが取り込まれていったのです。そのような種々雑多な者を受入れてきた結果、教団の教義は天台・真言両密教を基盤にしていますが、黒魔術やオカルト的な呪術なども取り入れて今や仏教とは異質のものになっているようです」
葛城は一息つき、飲み残しのコーヒーを飲んだ。
「あのう、阿修羅って言えば、奈良の興福寺の阿修羅像が有名だけど、阿修羅とはどういう意味なのですか?」
理紗は気にかかっていたことを質問した。
「阿修羅は仏教の守護神とされており、常に闘う心を持ち、その精神的な境涯の者が住む世界を現すとも言われています。つまり阿修羅教団とは迫害や弾圧に対抗し、常に闘争することを厭わない者達の集団という意味合いが込められているのです」
「よく分かりました。でもどうして、彼らは私達に敵対するのでしょう」
「それにも深い理由があるのです」
葛城は深刻な表情を浮かべ、話を続けた。
「先ほどの説明でお分かりかと思いますが、阿修羅教団は時の権力者にとって極めて危険な存在でした。特殊な能力を駆使して要人の暗殺をしたり、政権転覆の陰謀に加担したりしたからです。そこで時の権力者が頼りにしたのが、阿修羅教団を凌駕する能力を有する裏土御門すなわち陰の長者だったのです。陰陽道は、天文、暦などを司ってきた為に、常に時の権力者に必要とされ、密接な関係を保ってきました。安倍一門としては権力者の要請を無碍にすることは出来なかったのでしょう。そのような次第で、裏土御門が阿修羅教団との戦いの矢面に立ったのです。その後長い抗争の歴史がありましたが、忠彬様のお父様の顕平様の代になってようやく和解が成立して抗争に終止符が打たれました。ところが十年程前に過激急進派が阿修羅教団の実権を握ると、和解を破棄し我々に対して敵対する事を鮮明にしたのです」
葛城は説明を終えると、『理解していただけましたか』というように理紗を見つめた。
「それで彼らからの攻撃に備えなければならないのですね」
「その通りです。正にそのことをお二人にご相談したいのです」
理紗は今まで、自分の身に危害が及ぶことはないと漠然と思っていたのだが、葛城の説明を聞いて急に恐怖心が湧き出した。
「あのう、すると、私も攻撃されるかもしれないのですか?」
「彼らは陰の長者への攻撃を最優先する筈です。理紗様が陰の長者を引き継いだと彼らが看做した場合、理紗様を襲う可能性があります。しかし彼等は理紗様が陰の長者になったかどうか判断を決めかねている様子なので、すぐに攻撃されるという状況ではないと思っています」
葛城はそう言って、諒輔の同意を求めるような目付きをした。諒輔が同意を示すと、葛城は更に説明を続けた。
「理紗様、彼らは当財団の会長に誰が就任するか見届けようとしているのです。財団の会長に理紗様が就任しないと分かれば、理紗様は陰の長者でないと彼らは判断するでしょう。ですからなるべく早く諒輔様に会長を就任していただかねばなりません。」
「でも、会長に諒輔さんが就任したら、今度は諒輔さんが狙われることになるのでしょう?」
理紗は心配気に諒輔の方を見た。
「僕は陰の長者です。襲われたところでどうにも対処できます。今は理紗さんの安全が大切です」
葛城は二人のやり取りを見守っていたが、ここで口を挟んだ。
「何はともあれ会長就任の手続きを急ぎましょう。しかし関係者の同意を得るなどそれなりの手続きと時間が必要です。それまで万一に備えて理紗様は安全な場所にお住いになっていただきたいのですが如何でしょう?」
理紗は今住んでいる下町のアパートを、住めば都とそれなりに気に入っていたが、身の安全が第一である。
「えぇ、引越しするのは構いませんけど、どこか良いところありますか?」
「はい、それはもう私共にお任せ下さい。すでに候補をいくつか手配していますから」
葛城は内線電話で神崎に理紗の住いに関する資料を持ってくるよう指示をした。すぐに 神崎が資料を持って現れ、理紗と相談して青山一丁目のセキュリティが厳重なことで定評のあるマンションに住まう事を決定した。これでその日の主要な打ち合わせは一通り終了した。
世田谷の屋敷の問題は、取りあえず理紗が相続し、諒輔が住むなり管理するということにした。将来のことはその内、二人で世田谷の屋敷を訪れ、現場を見た上で検討しようということで合意したのであった。
理紗は諒輔と六本木辺りで夕食を共にする積りであったが、諒輔は葛城と更に詳細な打ち合わせがあるのでここに残ると言う。理紗は仕方なく一人、神埼の車で自分のアパートへ帰る事になった。諒輔は矢張りいけずでどんくさい。
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