第11話VS霜の巨人5


 鮮血が、舞う。

 巨人の頭蓋を割るために振り下ろした剣は、惜しくも咄嗟に出された腕に防がれる。だが、出された腕には剣が深く食い込んでいた。


 これまで浅い傷しか付けられなかったにも関わらず、ルーンが刻まれただけの剣がこれほどの威力に跳ね上がるのを実感して、本格的にルーンを学ぼうかと考える。

 シグルドが持っているのはこれまで使っていたのと同じ、傭兵か騎士が使っていた剣だ。それだけでは、巨人の厚い皮膚を断ち切ることは難しいが、巨人が現れた瞬間に少女が自分の持っている剣にルーンを刻んだのだ。

 何のルーンを刻んだのかは分からない。しかし、巨人が姿を現わしてから直ぐに飛び上がったシグルドの動きに合わせた少女に魔術師だけでなく戦士としても通用するかも知れないと感嘆する。


「――フッ!!」


 手を休めずに巨人の腕へと駆け上がり剣を振るう。深く突き刺さった剣が、バターを切り裂くように巨人の腕を引き裂いていく。肉が引き裂かれ、巨人が絶叫を上げる。

 腕を駆け上がるシグルドを振り下ろそうとするが、上手く行かない。振り上げた腕にシグルドはおらず、また別の箇所が切りつけられている。自分の体の近くで飛び回る虫が感嘆に殺せないように、懐に入ってしまえば対処は難しい。それもルーンを刻まれた剣を使っているのだ。これまでと違い深い傷を巨人は体に残していた。


「オオオオオオ!!」


 切りつけながら動き回るシグルドに巨大な掌が迫る。それでも、人を鷲づかみにすることなど容易い大きさの掌が迫ってもシグルドの笑みは消えない。

 迫ってきた巨人の指を全てルーンが刻まれた剣で切り落とす。

 返り血がシグルドの顔にかかり、視野を狭めるがひるまずに巨人の首を刈り取ろうと剣を振るう。巨人も黙ってやられはしない。それは反射だったのだろう。指のなくなった腕を間に滑らせることで刃を防いだ。


 自らの腕を犠牲として一撃を防いだ巨人が、先程の魔術によって赤く熱された城壁へと走り出す。近づかなくてもその熱波に肌は焼かれる。そんなことを恐れずに……戸惑いもなく、真っ赤に染まった城壁に自分の腕ごとシグルドを叩き付けた。


「きゃあっ!?」


 炎熱によって脆くなった城壁にその衝撃を耐えきる耐久力はなかった。役目を果たせなくなった城壁が崩れ、足場を失ったフードを被った少女が瓦礫と共に落ちていく。


「ちょちょちょちょちょーとストープッ!!待って待って!死んじゃう死んじゃう!!」


 手足をばたばたさせるが、人はいくら手を羽ばたかせても飛べはしない。重力に従って下へと落ちていく。そして、その落ちていく所がまた問題だった。

 下にあるのは、二度の炎柱によって地面は熱が冷めておらず未だに真っ赤に染まっており、ドロドロとした溶岩の海のようになっている。

 あんな場所には落ちたくない。まぁ、100メートルほどの高さから落ちてしまえば死ぬことになるのだが、今の彼女の頭にそんなことを考える余裕はない。


「マリア、ヨハン……お父様っ「泣くな幼女今助けてやる」……え?」


 これから自分の身に起きる悲劇を少しでも避けられるよう祈っていた少女の元に颯爽と駆けつける影が一つ。


「生きていたのか!?……というか不敬な言葉が聞こえたぞ!?」


 少女の元へと現れたのは、壁に叩き付けられたシグルドだ。

 不敬不敬と騒ぎ立てる少女を脇に抱え、落ちてくる瓦礫を足場に未だ安定している城壁へと駆け上がる。

 駆け上がって行く最中、シグルドは自らが切り落とした霜の巨人の腕を見下ろしていた。


 城壁に叩き付けられそうになる直前、シグルドはあの巨人の腕を切り落とした。そのまま、腕を駆け上がり、とどめを刺そうとした瞬間に霜へと変わり姿が視認できなくなってしまった。

 こうなってしまっては、自分では手を出せない。もう一度少女に頼もうとすると――


「○ねぇ!!」


 暴れる少女の拳がシグルドの顔面に叩き込まれた。

 何故だろう……この少女、自分に暴力を振るわなければ死んでしまうのか。というか淑女とはかけ離れた言葉遣いが聞こえたのだが……。

 この少女相手に宣誓をしたのを間違ったかも知れないなんて思っていない。ちょっとばかり……ほんのほ~んのちょっとだけ後悔してしまっただけだ。


「全く……もう少し丁寧に運べ」


 えぇ~助けたのに……と口に出しかけた言葉をすんでのところで飲み込む。これを言ったら絶対面倒くさくなっていた。自分は大人だ、気にするな。そう自分に言い聞かせ、落ち着ける。


「申し訳なかった。でも今は戦闘中だ。アイツはまた霜へと体を変化させた。そうなってしまえば、俺には手を出せない。お前にどうにかして欲しいんだが……」

「分かっている。戦闘中にこんなことを続けるほど私も子供ではない。直ぐに先程の術式を……と言いたいのだが」


 何やら口ごもる少女にシグルドは疑問に思う。てっきり物語の悪役令嬢のように手の甲を顔に添えて『おーほっほ!やっぱり私がいなければダメなのねぇ~』などと言ってくるものだと思っていたのに……。


「おい、何か変なこと考えてないか――っておい!!」


 少女を下ろすかと思われた瞬間再び、シグルドが少女を抱えて城壁の上から飛び上がる。それと同時に巨人の拳がシグルド達のいた場所を襲う。


「おい、さっきの言葉はどういうことだ?」


 城壁から飛び降り、中央の塔へと向かう通路に降りたシグルドは先程のことについて問いかける。不服な雰囲気を放っていた少女ももう何も言わなくなり、シグルドに体を委ね語り出す。


 出口のなき炎の檻――これは三つのルーンを配置して発動する魔術らしい。三つのルーンによって逃げ場すらない完璧な炎の檻ができ上がるが、一つでも欠けてしまっては、威力は半減し、その壁に隙間ができてしまうらしい。

 そうなってしまえば、霜へと変化した巨人も逃げられてしまう。


「――だから、もうあれは使えない。もう一度ルーンを配置するにしてもアイツの相手をしながらだと確実にバレる」


 そして、バレてしまったら確実に破壊しにかかるだろう。そうなる前に自分達が巨人に潰されるかもしれない。


「逃げるぞ、私も魔力が限界なんだ。一度撤退して、立ち直した方がいい」


 撤退……今度こそ討ち取るために今は逃げる。そう少女は言う。その言葉は正しいだろう。少女も確かに限界なのか、気丈に振る舞っているものの足は僅かに震えている。

 この状況を考えれば確かに撤退した方がいい。それは分かっている。だが、シグルドは首を縦に振らなかった。


「撤退はない。ここでやらなければ再び多くの人の命が脅かされるんだ。ならアイツを放っておくことはない。それに……まだあの術式の使い道がないとは限らないぞ?」

「――――何?」









 空中にが出現し、シグルドとシグルドに背負われている少女に狙いを定める。

 拳の範囲から逃げ出すために地を蹴るが、それだけでやり過ごせるほど甘くはない。片手一本切り落とした、体に深い傷を付けた。それなのにこちらに対する攻撃は緩むどころか激しさを増している気がする。


「おい、右からも来てるぞ!!」


 少女の警告がシグルドの耳に入る。右を見れば、確かに巨人の足と思われるものが迫っている。左に拳が瓦礫を蹴散らしながら迫り、上を見れば右足が踏みつぶさんと落ちてくる。そして、右を見れば地面を抉りながら左足が迫る。霜になれば、通常の体の形関係なしに攻撃を繰り出せるのか、明らかにおかしな現象が起きている。


「しっかり掴まっていろっ」


 少女の返事を聞かずに地面を蹴る。あらゆる方向から迫る攻撃に対処するためシグルドは少女に対して配慮があまりできない。一応申し訳程度に片手で支えているが、本当にまずい状況なれば少女自身の力で掴まって貰うしかない。

 迫ってくる拳に対して、真っ向から剣を叩き付けるのではなく、添えて力を受け流していく。


「らあっ!!」


 逸らされた拳が真横を通っていく。だが、それで終わりではない。拳が当たらないと判断した巨人が拳を霜へと変化する。力を逸らしていた最中の突然の出来事。体勢が崩れかかるが、無理矢理修正――している間にも追撃は止まない。上空の足がシグルドに迫る。

 体勢は崩れた今、シグルドに逃れるすべはなかった。――がそれは一人でいた時の話しだ。


「アルジズッ」


 少女がルーンを刻む。それによってシグルドの足裏に障壁が出現、それを足場にすることで回避する。普通に盾にすれば数秒ももたない魔術の障壁を足場とすることで窮地を脱する。霜から実体へ、実体から霜へ……幾度も仕掛けられるそのような変化にシグルド達は食らい付いていく。


「まだなのか!?」


 背負われている少女が背中で身を縮めながら声を上げる。中央の塔へと続く道から飛び降りた際――ルーンが配置されていた場所が、真っ赤に熱されていたため反対側に降りるしかなかった――シグルド達は、猛攻を時には逸らし、時には避け、反撃をしながらも城塞を一周回って元いた場所まで戻ろうとしていた。


「もう少しだ、保つか?」

「保たなきゃ死ぬだろ!?意地でもしがみつくわっ!!もし死んだら一生お前を恨むからな!!」

「………………理不尽」

「何か言ったか!?」


 その理不尽さがあればまだ大丈夫かと思いつつ、攻撃をいなしていく。

 目的地はもう目と鼻の先。侵入してきた敵を上から弓で討つための橋を越えれば、そこが目的地になっている。


 ――50メートル

 敵を知らすための鐘が設置されてある塔がなぎ倒され、瓦礫がシグルド達に降りかかる。


 ――40メートル

 瓦礫から少女を守るために、抱きかかえて走り続けるシグルドに建物から巨人の足が飛び出てくる。


 ――30メートル

 シグルドが体勢を崩し、ついに固い地面に少女と共に投げ出される。それでも二人は直ぐに起き上がり、別々に走り出していく。


 ――20メートル

 投石された大量の瓦礫が二人を襲う。足を止めずに少女がルーンの障壁を張り、シグルドが剣で瓦礫を打ち払う。


 ――10メートル

 まだ熱が冷めない地面を蹴りつけ、少しでも早く前へと進む。二人を掴みかからんと出現した巨人の掌を切りつけ、少女を先に進ませる。

 二人の距離が離れ、少女が目的地へと辿り着く。それと同時に巨人が霜から実体へと変化する。

 まずい、そう直感が告げる。二人の距離はシグルドならば二歩で縮めることができるが、今になって実体化するのは何かをしようとするからだ。瓦礫を投げるなら腕だけ実体化すれば良い、踏みつけるなら足を実体化すれば良い。――なら、全体を実体化した理由は何か?


 巨人の体がオーラで包まれる。そのオーラを見て地面を蹴る足にさらに力を込める。少女も巨人が実体化したのを見て、足を止めてしまったものの何が来るか理解したのか、ルーンの障壁を自らに纏った。

 万物を凍らせるオーラが放たれる。その直前、シグルドの目に少女に手を伸ばす巨人の姿が目に入った。









 少女はルーンの障壁を纏った後、自分だけでも前に進もうとしていた。

 ここには盾となる物も何もなく、自分では離れた場所にいる者に障壁を張ることはできない。ならば、魔術を発動してしまうことでオーラを相殺しようと考えたのだ。

 予定よりも早いが今死んでしまっては作戦そのものがダメになってしまう。一か八かの賭けで、魔術を発動しようとしたとき、張った障壁が軋むのを感じる。

 最初は、オーラによる物かと考えた。元より、オーラを完全に塞ぐことはできないことは確認済み。完全に壊れる前に術式を発動させようとするが、障壁から見える木のように太い指を見て、障壁のきしみの原因を知る。


「シグルドではなく私を――」


 巨人は知っていた。ルーンが少女によって発動されているのを……。この場において自身の一番の脅威となる相手を……。

 魔術を使用してこない白髪の男、体に深い傷を負わせるほどの力・技を持つあの男は脅威ではあるが、今の戦い方を続けていけば負けることはないと考えている。

 少女は殻のようなものに覆われているが問題ない。力を込めれば直ぐに割れると感触で理解する。


 掌で包み、一切の容赦なく握りつぶそうとした時、視界が傾いた。

 視界が傾くと同時に襲いかかるのは激痛だ。このオーラを放っている状況で、動けるものなどないはずなのに、防御するものなどないはずなのに……まさか――


 そう思い、自身の足へと目を向ける。

 そこには、足首から先がなくなった自身の足と自身の足を切り落とした白髪の男が立っていた。


 オーラの中を盾も障壁もなく進んだ結果、シグルドの体は凍結寸前だった。盾となるものもルーンによる障壁もないシグルドは、凍り付くかと思われた。だが、剣に刻まれたルーンによる炎の影響か……その猛吹雪の中でシグルドは少しずつだが動けていた。

 オーラが放たれる直前に見た光景、巨人は放ったオーラの中で動ける者はいないと過信しているだろう。だからこと上手く行った。巨人の足下まで何とか辿り着き、渾身の一撃を持って切断。もう少し、辿り着くのが遅ければ、完全に凍り付いていたかも知れない。


「――ぐうぅ」


 体の半分が凍り付いているシグルドは、息絶え絶えに剣を杖にしてもたれかかる。投げ出された少女は無事だろうか。巨人に潰されることはなかっただろうが、あの高さから放り出されれば、障壁があっても危険だ。

 しかし、それ以上少女のことばかり気にしてはいられなかった。巨人がこちらに標的を変えたのだ。


「ああ、くそ……まずいな」


 巨人の拳が地面を抉りながら迫ってくるのを見て、静かに嘆く。

 何度か巨人に殴りつけられたがここまで弱体化してしまったらどうなってしまうか、剣を構え、衝撃に備えたものの、その拳の重さはこれまでシグルドが受けてきたものよりも重かった。

 何度も地面を跳ねながら城壁に叩き付けられる。

 自分の手と足を両断されたにも関わらず、残った片足で大地をしっかりと踏みしめており、その姿からは弱体化しているとは思えないほどの重さ。

 もう体は限界で走り回ることはできない。


 右手と左足しか残っていない巨人が近づいてくる。

 通常より歩みは遅いが、人間の一歩よりも確実に早い。一方シグルドは這って動くことが精々だった。


「オワリ、ダ」

「くそったれが……」


 巨人が人語をたどたどしく発する。巨人の眼下では、少しでも距離を取ろうと片手で地面を這って行く。巨人はその姿に少しばかりの落胆を感じた。

 この戦士は良くやった。人間という種族の中で頂点に立てるほどの実力を持っている。その男を打ち破ることは喜ばしいことだ。――だが、願うならば最後まで立ち向かってきて欲しかった。最後の最後で浅ましく生にしがみつくような真似はして欲しくなかった。


 それでも戦士として自分をここまで追い込んできた者はいなかった。それは、あの少女と二人であったとしても、だ。

 もう諦めたのか、これまで地面を這っていた男はにぐったりと動けなくなっている。その男に向けて今の自分が出せる全力を出す。

 片手、片足で出せる全力などたかが知れている。ましてこの男は万全な状態での打撃に耐えた男だ。ならば、まずは凍り付けにしてからの方が確実に命を取れる。命を刈り取れるかどうか分からない攻撃など相手を苦しめるだけなのだ。

 巨人の体が再びオーラで包まれる。


 動かないシグルドには、もう為す術もない。

 オーラが放たれる――そのコンマ数秒前、シグルドが笑った。


「ホントに死ぬかと思ったぞ」


 その言葉とほぼ同時に、シグルドの体にが、いや、が強く光り出し、炎柱が夜の空へと上がった。


「ヴァアアアアアアアアア!!」


 炎が皮膚を、臓物を焼いていく。腕を振り回すが炎がまるで蛇のように体にまとわりついてくる。

 巨人がいたのは炎柱が上がる上に立っていたため、地面から吹き出てくる――ように見える――炎に全身を焼かれることになった。炎柱は一瞬のことだったが、体に纏わり付く炎が巨人を苦しめていた。

 片手、片足を切断され、全身に深い傷を負った巨人がついに白目をむいて膝を着く。それでも、直前に腕で体を支えたのは倒れまいとする戦士としてのプライドか……。

 巨人にシグルドが剣を携え、歩み寄る。


「……さらばだ、霜の巨人!!」


 そして、渾身の一撃を持って霜の巨人の首を両断した。

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