252 この世界の裏側で──エヴグラーフ


 エヴグラーフはアルムストレイム神聖王国のとある商家で生まれ育った。


 残念ながら次男だった彼は商会の後継者にはなれなかったが、その優秀さから聖堂聖省入りを果たす事が出来た。


 聖堂聖省はアルムストレイム神聖王国の聖職者と信徒の規律監視以外にも、国の財政や税金などを管理する役目を持つ中央行政機関の一角だ。


 エヴグラーフは聖堂聖省でその実力を発揮し、若いながらもどんどん出世していった。


 そんなエヴグラーフがいつものように大量の書類を処理していたある日、上司から呼び出しを受ける。


 何かミスでもやらかしたのだろうか、と思いながらエヴグラーフが呼び出された場所に行ってみると、そこには聖堂聖省の長ではなく、福音聖省の長が待っていた。


 実質、アルムストレイム神聖王国を支配していると言っても過言ではない、ホルムクヴィスト枢機卿がこの場にいることにエヴグラーフは驚いた。


 福音聖省の長で中央行政機関のまとめ役であるホルムクヴィスト枢機卿はエヴグラーフにとって雲の上の存在だ。

 しかも彼は教皇アルムストレイムの腹心でもある。一聖徒でしかない自分がそう簡単に合える存在ではないのだ。


「君がエヴグラーフ君だね。君の優秀さは彼から聞かされているよ」


 未だ驚愕しているエヴグラーフに、ホルムクヴィスト枢機卿が笑みを湛えながら話しかけてきた。

 自分を称賛してくれるホルムクヴィスト枢機卿と、ここにはいないけれど自分を評価してくれた福音聖省の長に、エヴグラーフは感激する。


「もったいないお言葉をいただき恐悦至極に存じます……! この国のために貢献出来たのなら、こんなに嬉しい事はありません!」


 そう言って感動するエヴグラーフに、ホルムクヴィスト枢機卿は満足げに頷いた。


「大した心構えだ。うむ、気に入った! そんな君を見込んで、特別な任務をお願いしたい」


「はい? 特別な任務、ですか……?」


 ホルムクヴィスト枢機卿の言葉に首を傾げるエヴグラーフに、彼は続けて言った。


「──うむ。君には商人としてバルドゥル帝国に潜入して貰いたい」






 ──そうして、エヴグラーフはホルムクヴィスト枢機卿に抜擢され、バルドゥル帝国へと向かった。


 ホルムクヴィスト枢機卿からの命令はただ一つ──それは、バルドゥル帝国を内側から弱体化させる事だ。


 その手段は問わず、金銭面でも物資の面でも全面的に協力する、とホルムクヴィスト枢機卿から約束されている。


 当然、エヴグラーフに拒否権はなかった。

 彼が選ばれたのは商家出身で、商人を装うのに適した人材だからだろう。


 初めは戸惑っていたエヴグラーフだったが、アルムストレイム教の一聖徒として、ホルムクヴィスト枢機卿の期待に応えようと決意した。


 バルドゥル帝国に渡ったエヴグラーフはまず、帝国の内情調査から始める事にする。


 ある程度帝国について知識は持っていたが、実際帝国で過ごしてみるとあまりの快適さにエヴグラーフは驚愕した。


 そして如何にこの国が発展し、栄えているのか……エヴグラーフは感動すると同時に感銘を受け、そして羨望の念を抱く。


 ──法国を帝国のように豊かな国にしたい、そのためにはこの国が持つ知識や技術を何としても手に入れなければ、と。


 エヴグラーフはホルムクヴィスト枢機卿が帝国を滅ぼすのではなく、弱体化させるように命じた理由を理解する。

 そしてこの国を綺麗なまま手に入れる必要がある、という事も。


 攻め入って支配するのは最終手段だ。なるべく破壊せずに帝国を手に入れる事が最善だと判断したエヴグラーフは、どうすれば余計な血を流さずに済むか考えた。

 それには今まで戦いに無縁だったエヴグラーフが、血を見るのが苦手だという理由もあるのだが。


 初代皇帝を天帝と崇める帝国民は、意外にも貴族平民問わず信仰深かった。これにはエヴグラーフも感心するほどだ。

 そんな彼らは自国の皇族を、しかも優秀な皇太子を”忌み子”などと蔑む法国に対し、良い感情を持っていない。

 エヴグラーフが良い条件で交渉を持ち掛けても、きっと法国出身だからと門前払いされてしまうだろう。


 そこでエヴグラーフはあちこち調べ、自分の求める人材を探し回った。

 その結果、大貴族で権力も高く、強欲なジェミヤン・クリンスマン侯爵に目を付けたのだ。


ジェミヤンは常に何かを欲していた。

そんな彼は利益になると思ったものには喜んで飛び付く性格らしく、ジェミヤンの持つ商会に有利な条件で取引を持ちかけると案の定、疑う事なく了承する。


 初めはジェミヤンのことを心の中で蔑んでいたエヴグラーフだったが、自己中心的で尽きることがない欲深さを持つ彼を、次第に評価するようになっていた。


 何故なら、ジェミヤンは利益さえ与えていたら、決して裏切らない人間だと理解したからだ。


 エヴグラーフはある日、ジェミヤンの欲をさらに引き出そうと、ある提案を持ちかけた。


「──これほど優秀なジェミヤン様なら、皇族でなくともこの国を意のままに出来るでしょうに……勿体ないことです」


 初めは戸惑いの色を見せていたジェミヤンだったが、エヴグラーフが狙った通り、彼は自分の提案を受け入れた。

 しかも自分を法国のスパイだと知った上で協力すると申し出てきたのだ。


 結果、エヴグラーフはジェミヤンを信頼する事にした。その方がより一層確実に計画を成功させる事が出来ると判断したからだ。


 ジェミヤンから全面的な協力を得たエヴグラーフは、彼に法国の秘儀である呪薬や呪術の存在を明かす。

 彼ならその権力を以て、有効に使用してくれるだろうと思ったのだ。


 エヴグラーフの期待通り、ジェミヤンは帝国戦力の主力であるレンバー公爵に呪薬の中でも最恐といわれる<光を貪る邪鬼>を飲ませる事に成功する。


 騎士団の士気を低下させれば、法国に有利に事を運ぶ事が出来るはずだ。


 しかし、順調に計画が進んでいると喜んだのも束の間、エヴグラーフはとある出来事を境に、妙な違和感を感じ取る。


 ──その出来事とは、忌み子が突然飛竜師団を率いて帝国を出国した件だ。


 後ほどエヴグラーフが聞かされたのは、『八虐の使徒』と『悪の爪<マレブランケ>』が第十三神具を以て忌み子を攻撃したものの、返り討ちに合い全滅したという内容であった。


「……馬鹿な……っ、<死神>は対魔神殲滅用の武器だぞっ?! それを受けてなお生きているなんて……っ?!」


 第十三神具だけではない。『八虐の使徒』は法国の最高戦力である大聖アムレアン騎士団に引けを取らない実力だと、ホルムクヴィスト枢機卿から聞いていた。『悪の爪』も実力者揃いのはずなのに、たった一人の人間に全滅させられるとは──!


 エヴグラーフは忌み子を──帝国皇太子に畏怖の念を抱く。


 そして、まるで人智を超える何かが、皇太子を守っているようではないか──と感じたのだ。


 この一件はアルムストレイム神聖王国にとっても想定外だったらしく、エヴグラーフの元へホルムクヴィスト枢機卿から次々と指示が飛んで来るようになった。


 それは、忌み子の様子を逐一報告せよという命令から始まり、福音聖省に所属していた元尋問官の身柄を確保する事、どんな手を使ってでも第十三神具を回収する事という命令など、無茶振りなものまであった。


 どうやら元尋問官と第十三神具を返還するようイメドエフ大公に求めたものの、彼に突っぱねられたらしい。

 しかも彼が運営する商会との取引も停止しているというではないか。


 イメドエフ大公はこちら側の人間だと聞かされていたエヴグラーフは、その話を聞いて驚いた。

 彼は呪薬に侵されているだけでなく、瘴気にも汚染されているはずだからだ。


 アルムストレイム神聖王国の駒として利用されていた彼は、皇太子の施策を邪魔していたし、ホルムクヴィスト枢機卿に忠実だと聞いていた。


 だから自分から接触する必要はないと、敢えて放置していたのに──。


 結局、命令を聞かないイメドエフ大公に、ホルムクヴィスト枢機卿が脅しをかけるつもりで、法国から暗殺者を送り娘を襲わせたものの、たまたま居合わせた飛竜師団員たちに邪魔をされたという。


 娘の襲撃に失敗した次の手として、ホルムクヴィスト枢機卿の命令を受けたエヴグラーフは、大公一家を汚染させようと呪薬入りのお茶を贈り物の中に忍び込ませた。

 ところがいつまで経っても、大公家の人間が倒れたという話は流れてこない。


 しかも本来なら汚染されたイメドエフ大公が、ホルムクヴィスト枢機卿に助けを求めてもいい頃合いなのに、それすらもないという。


 さらにエヴグラーフを悩ませたのは皇太子の調査だ。

 様子を報告しなければならないのに、肝心の皇太子はずっと表に出てくる気配がない。


 死亡したという話を聞かないから、まだ生きてはいるはずなのだが、探ろうと思っても宮殿の厳重な警備に守られて近づくことすら出来ないのだ。


 エヴグラーフは万が一の時の保険として、ジェミヤンの娘を使って皇太子を籠絡させるつもりだった。

 さらに皇太子を呪薬か呪術で汚染させれば、計画は成功したも同然だ。

 それなのに、公の場に皇太子が現れなくなって一ヶ月以上が経過してしまう。


 せっかく様々な魔法を付与した魔石を用意し、ジェミヤンの娘に与えて社交界での地位を確立させたとしても、皇太子を籠絡出来なければその成果は無いに等しいのだ。


 エヴグラーフは何かがおかしい、と違和感を感じたものの、きっと気のせいだと思うことにする。いや、そう思い込みたかった。


 この計画はホルムクヴィスト枢機卿、延いては教皇アルムストレイムの願いでもある。そんな計画が──神に愛された教皇の宿願が叶わない訳ないと、エヴグラーフは信じて疑わない。


 本当の意味で神に愛されている者が──神から寵愛を授かりし愛し子が、計画を阻止するとは夢にも思わずに。



 * * * * * *



お読みいただき有難うございました!

年末なのに地味なお話ですみません!

新年からは元に戻ってミアのお話ですから!

ある意味大掃除?(言い方)



次回のお話は

「253 ぬりかべ令嬢、伝言を受け取る。」です。

王国から届いた伝言の内容は?!……みたいな。


次回もどうぞよろしくお願いいたします!( ´ ▽ ` )ノ

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