251 この世界の裏側で──ジェミヤン・クリンスマン
世界中に強い影響力を持つバルドゥル帝国の貴族の中でも、クリンスマン侯爵家は強い権力を持つ家門である。
現当主の名前はジェミヤン・クリンスマン。
帝国貴族院の一員である彼は、二大派閥の一つ貴族派の中でも強い影響力を持ち、社交界でも顔が広い。
そしてクリンスマン侯爵家が運営するマイスナー商会の経営も順調で、彼の人生は輝かしいものだと誰もが信じて疑わなかった。
──しかし、ジェミヤンは誰よりも強欲だった。
恵まれた環境を与えられてもそれだけでは満足出来ず、もっともっとと欲してしまう性格だったのだ。
侯爵としての地位や権力、美しい妻に可愛い娘、商会が生み出す利益──誰もが羨むものを持っているにも関わらず、それでも彼の心は満たされない。
そうして、止まらない欲望を抱えつつ過ごしていたある日、彼はとある人物と出会った。
その人物はアルムストレイム神聖王国の商人で、ほぼ国交がないバルドゥル帝国と取引がしたい、と申し出て来たのだ。
契約を持ちかけて来たその商人はエヴグラーフと名乗り、マイスナー商会に有利な条件で契約を提示しただけでなく、十分なサポートも約束してくれた。
アルムストレイム神聖王国とバルドゥル帝国が犬猿の仲だということは、世界中の共通認識となっている。
国家間の付き合いは無くても、個人間の取引は禁止されていなかったが、自国の皇族を貶める国との取引は大きなリスクを伴うと、かなりの数の商会が拒否の姿勢を見せていた。
そのため、アルムストレイム神聖王国──法国と取引する帝国の商会はイメドエフ大公が運営する商会ぐらいしか存在しなかったのだが、ジェミヤンは愛国心よりも自分の利益を優先する。
もし自分がこの申し出を受けて契約すれば、法国との取引をほぼ独占出来る──そんな打算があったジェミヤンは二つ返事で了承し、早々に取引を開始した。
法国は北に位置するため、南に近い帝国とは文化や特産品が違っていて、帝国ではお目に掛かれないような珍しい商品がたくさんあった。まさに宝の山だったのだ。
そうして、国同士は不仲でも文化交流に偏見はなくなり、エヴグラーフの商会との取引は、マイスナー商会に予想以上の利益をもたらした。
──それこそ、帝国一と称されるランベルト商会に迫るのではないか、と思われる程の利益を。
そうして仕事のことでやり取りする内に、ジェミヤンとエヴグラーフは親睦を深めていった。そうなると、自然と会う頻度も増えていく。
「ジェミヤン様はとても商売熱心ですね。しかし最近、無理に事業を拡大しているように見受けられるのですが……何か理由でもおありなのですか?」
ある時、酒の席でエヴグラーフがジェミヤンに問いかけた。
「……理由……そうだな。俺は自分の商会をランベルト商会より大きな商会にしたいんだよ。それこそ帝国一のな」
ほろ酔いだったジェミヤンは、エヴグラーフの質問に正直に答えた。
野心を持つ人間なんてそこら中にいるのだ。今の自分の言葉だって、何も恥ずべきものではない。
「まだマイスナー商会は帝国一ではないと? すでにかなりの規模だと思いますが」
「いや、まだランベルト商会には遠く及ばないさ。……昔はあの商会を手に入れられたら──なんて、思っていたこともあったけどな」
正直、今でもその欲望はジェミヤンの胸の中にある。
しかしランベルト商会会頭であるハンス・ランベルトは、商売に関して天賦の才を持っている。
欲深いジェミヤンはハンスのそんな才能すら、自分のものにしたくて堪らなかった。
「……ジェミヤン様なら、商会どころかこの国すら手に入れられるのでは?」
──そんな彼の心の隙を突くかのように、エヴグラーフが囁いた。
「……え?」
「これほど優秀なジェミヤン様なら、皇族でなくともこの国を意のままに出来るでしょうに……勿体ないことです」
「ははは……。エヴグラーフ殿は冗談もお上手のようだ。まさか俺がこの国を──なんて……」
「冗談ではありませんよ。ジェミヤン様がその気になりさえすれば、私は──いや、我がアルムストレイム神聖王国が全力で貴方をお手伝い致しましょう」
「……っ」
エヴグラーフの真剣な顔を見たジェミヤンは言葉を失った。
彼は心の底からそう思っていると、理解したのだ。
「……中々面白そうな提案だな。詳しく聞かせて貰おうじゃないか」
「もちろんです」
そうして、エヴグラーフの話を聞いたジェミヤンは彼の提案に乗ることにしたのだった。
それから、エヴグラーフと同盟を組んだジェミヤンは、彼が建てた計画の準備をする。彼が建てた計画の中で最たるものは、帝国の国力弱体化だ。
その頃にはすでに、ジェミヤンはエヴグラーフが法国のスパイだということに気付いていた。気付いていながらもなお、エヴグラーフに──法国に協力すると申し出たのだ。
そんなジェミヤンにエヴグラーフは驚いたものの、彼を信頼し高く評価してくれた。
法国の秘儀である呪薬や呪術のことをジェミヤンに教えたのも、彼への信頼の表れだったのだろう。
ジェミヤンはエヴグラーフから教えられた呪薬や呪術の存在に喜んだ。
そしてこれらを上手く利用すれば、簡単に帝国を手に入れることが出来ると確信する。
国力は様々な力で構成されているが、二人はまず手始めに戦力から削ぐ事にした。
何故戦力を選んだかというと、帝国の戦力の一角を担うレンバー公爵に対して、ジェミヤンが個人的に強い敵愾心を抱いていたからだ。
レンバー公爵家の持つ長い歴史や、皇族からの厚い信頼に現当主ゲレオンの騎士団長という肩書き、おまけに国民からの人気の高さ……どれ一つ取っても気に入らないのに、彼の娘であるイルザもまた、愛する娘トルデリーゼの皇太子妃になりたいという夢の邪魔になりうる存在だったのだ。
「目障りなゲレオン・レンバーを殺せるような呪薬はないか?」
以前、呪薬にはいくつかの種類があると聞いたジェミヤンは、その中で誰にも気付かれずレンバー公爵を殺せる呪薬がないか、エヴグラーフに質問した。
「奴は丈夫だからな。突然死は不自然だろうし、かと言って暗殺するのも難しい。徐々に身体を弱らせる効果がある物が欲しいんだが」
毒なら簡単に用意出来るだろうが、その分バレるのも早い。ならば多少手間がかかっても原因不明に出来る呪薬を使う方が効率的だろう。
ジェミヤンの質問に、しばらく熟考したエヴグラーフはある呪薬の名を告げた。
「それなら、<光を貪る邪鬼>が最適ですね」
「それは何だ? 名前からして碌でもなさそうだが」
「<光を貪る邪鬼>は、対象となる人間の生命力を糧に成長する、穢れしモノを封じ込めた呪薬です。生命力を喰われた対象者は日に日に衰弱していき、逆に生命力を喰らった邪鬼はどんどん成長していきます」
対象者の生命力を喰らい尽くした邪鬼は、瘴気を撒き散らしながら次々と人間に取り憑き、生命力を喰らうという。
成長した邪鬼は聖属性の魔力を持つ者しか消滅させることが出来ない。
その聖属性持ちは法国が独占している状態だ。どう足掻いても帝国の人間では太刀打ちできないだろう。
そうして気付かない内に帝国は瘴気に汚染され、気付いた時にはもう手遅れの状態になっているはずだ。
自分を含め、家族や協力者の身の安全は保障されている。
瘴気に怯える必要がないのなら、ジェミヤンにためらう理由はない。
「その<光を貪る邪鬼>は、法国が所有する呪薬の中でもかなり特殊なモノなんです」
「おお! それはいい! まさに打ってつけの呪薬じゃないか!」
ジェミヤンは<光を貪る邪鬼>の効果を知り嬉々として喜んだ。
それから早速、ジェミヤンは<光を貪る邪鬼>をエヴグラーフ経由で取り寄せると、疲労回復の薬だと偽り騎士団に提供した。
実際、毒の反応が出なかった事、疲労回復効果も確認された事もあり、騎士団の担当者はジェミヤンの指示のもと、騎士団員には普通の薬を、そしてレンバー公爵には呪薬を飲ませたのだ。
「……まさかこんなにあっさりとことが進むとは。呪薬というものは素晴らしいな」
レンバー公爵に呪薬を飲ませることに成功したジェミヤンは、すっかり味を占めてしまう。しかし呪薬は法国の秘儀というだけあり、希少でそう簡単に手に入るモノではない。
他にいる公爵家の当主全員分用意するのは難しい上、呪薬を飲ませるのは不可能に近かった。
とりあえず呪薬を使うのは当分先になるとして、次の手を打たなければ、というタイミングでエヴグラーフから連絡が入った。
「閣下、準備していた呪術が完成したようです」
「ようやくか! 待ちくたびれたぞ!」
呪薬の次にエヴグラーフが用意したのは呪術を混ぜた魔道具の術式だった。
魔道具の基盤部分にその術式を使うと、徐々に瘴気に汚染されていくという。
呪薬ほどの即効性はないが、その分自覚症状もないため怪しまれずに済む。
レンバー公爵の次は主要貴族たちだ。
ジェミヤンはマイスナー商会の新商品として、セラーの魔道具を貴族たちに格安で提供する。
どの貴族も屋敷にセラーを持っていた事もあり、呪術を刻んだ魔道具は順調に普及していった。
そうして、計画が順調に進んでいる事に満足したジェミヤンは、巨大な帝国が手に入った時の事を想像し、愉悦に浸っていた。
──一人の少女が帝国にやってくる、その日までは。
* * * * * *
お読みいただき有難うございました!
おっさんのお話ですみません!
次回のお話は
「252 この世界の裏側で──エヴグラーフ」です。
おっさん話が続きますがご了承くださいませ。
明日も更新しますので、どうぞよろしくお願いいたします!( ´ ▽ ` )ノ
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