240 ぬりかべ令嬢、覚悟を決める。


 イルザ嬢と別れ、休憩室を後にした私は、用意してもらっていた別の休憩室でぬりかべメイクを落とし、いつもの使用人の服に着替えた。


 ずっと使用人として働いてきた私にドレスは重くて動きづらかったから、脱いだ時の開放感が半端ない。


(うーん、やっぱりドレスより使用人服の方が落ち着くなぁ……)


 着替え終わった私は、いつものように髪の色と顔を変えると、気を引き締めて部屋から出る。


(よし! 今からが本番だ!)


 これから私は舞踏会で給仕係となり、汚染されている貴族を浄化するつもりだ。


 浄化するのに怪しまれず、一番手っ取り早いのが聖水を飲ませることだった。

 だからといって手当たり次第貴族たちに聖水を飲ませる訳にはいかないので、私が給仕係になって、さり気なく対象の貴族たちに聖水入りの飲み物を配る手筈になっている。


 本当は初めから給仕係として参加したかったけれど、私の提案はマリアンヌとミーナに阻止されてしまった。

 二人がどうしても私にドレスを着せたがっていたこともあり、二人の希望を聞き入れて少しの間だけ令嬢として舞踏会に参加することにしたのだ。


 ……結局ぬりかべメイクだったから、二人には申し訳なかったけれど。





 そうして再び戻った会場は賑やかで、始めの頃より大分砕けた雰囲気になっていた。


 私は厨房に用意されていた飲み物を、トレーに乗せて運びながら会場の中を歩く。


 目指すは中央にいる、いかにも大貴族だと思われる集団だ。


 帝国貴族の中でも最高位に位置する大公を中心に、錚々たるメンバーが集まっている。

 実は汚染された貴族を浄化するために、大公があらかじめ集めてくれていたのだ。


 改めて見ると、瘴気に汚染されている人は全員侯爵以上の家門の人たちだった。


(よくよく考えてみたら汚染されている人たちって、法国やクリンスマン侯爵にとって邪魔な存在なんだよね? だったらこの人たちを味方につければ……!)


 私の頭の中で何かがひらめいた。だけどそのひらめきは形になることはなく、霧散してしまう。


(ダメダメ! 今はこっちに集中しないと!)


 思考を切り替えた私は、周りを確認しながら大公がいる集団へと向かう。


 大公たちを取り囲むように中位貴族らしき人たちがたくさんいるけれど、チラチラと様子を見ているだけで、その集団の中に入っていこうとする人はいない。


 それもそのはず、国の重鎮が集まってにこやかに談笑する姿は、側から見たら往年来の友人のように見える。しかし、その実水面下ではお互いの腹の中を探ろうとする思惑があったり、壮絶な心理戦が繰り広げられているのだ……と、お父様が言っていた。


 ナゼール王国では有名人なのに社交嫌いなお父様が、貴族たちと関わりたくない一番の理由がこの心理戦なのだそう。


 そんな駆け引きが行われている中に入って行くなんて、中位の貴族たちは恐ろしくて出来ないと思う。


「ああ、ちょうど良いタイミングで飲み物が来ましたね。皆さん、喉は乾いていませんか?」


 私が近づいて来たことに気が付いた大公が、話していた大貴族たちに飲み物を勧めてくれた。自然に話の流れを変える様はさすがだな、と思う。


「そう言えば喉が渇きましたな」


「ついつい話し込んでいたようだ」


「喉が乾いた時は酒より水が一番ですからね」


「おお、それでは私も水をいただきますかな」


「では私も」


 大公の言葉を受け、そこにいる大貴族たち全員が水を選んだ。


 そんな様子に、いかに大公の発言力が強いのかがわかる。


 全員が貴族派ではないだろうけれど、それでも大公の言動が貴族たちにかなりの影響を与えていているのはひとえに、彼の社交的な性格がなせる技だと思う。


(大公が味方になってくれて本当に良かったよ……)


 もし大公が未だに汚染されていて、ハルの敵対勢力だったら……と思うとゾッとする。


 もう皇位継承権はないとはいえ、ハルにとって大公は政治的にも外交的にも脅威的な存在のはずだから。


「こちらをどうぞ」


 私は汚染された貴族に聖属性の魔力を付与した水を配り、そうで無い貴族には普通の水を配る。


 渡す時にそっとグラスに魔力を流し込むのがコツだ。


 あっという間の早業に、誰一人として気付いていない。

 我ながら見事だと自画自賛してしまう。


「……おや。何だか身体が軽くなったような気がしますな」


「そう言えば、私も胃がすっきりしたような……?」


 汚染されていた貴族が聖水に浄化され、早速効果が現れたようだ。

 私の目から見ても、聖水を飲んだ貴族から瘴気が消えているのがわかる。


「はっはっは。水分が足りていなかったようですね。こまめに水分を摂らないと、身体によくありませんからね」


「閣下のおっしゃる通りですな。私が飲む物と言えばいつも酒でしたからね」


「私もですよ。これから少しは酒を控えねばなりませんなぁ」


 浄化されたからか、先ほどより貴族たちの雰囲気が柔らかくなったような気がする。

 もしかすると聖水が精神にも影響を与えたのかも……なんて考えすぎかな?


 とにかく、汚染されていた貴族たちの浄化が無事終わったことを確認した私は、大公に会釈するとその場を離れ厨房へと戻った。


(はぁ……。何とか無事終わって良かったよ……)


 ミーナの恋の応援や、汚染されていた貴族の浄化も終わり、ようやく肩の荷が下りた。


 まだ舞踏会は続いているけれど、自分がやるべきことは終えたので、私は部屋に帰ることにする。

 ここしばらく忙しかったから、ゆっくり休もうと思ったのだ。


「ミア」


「えっ?! ……あれ? マリカ?!」


 部屋に戻る途中、私は突然現れたマリカに呼び止められた。フードを深く被っていたので、一瞬誰だかわからず驚いてしまう。


「どうしたの? これから舞踏会に参加するの?」


「参加しない。面倒」


「……まあ、そうだよね」


 マリカは筆頭宮廷魔道具師だから、貴族でなくとも舞踏会に招待されていたはず。


 だけどマリカは賑やかな場所が苦手だし、会場でも姿が見当たらなかったし、それに貴族とは違って強制参加じゃないから、てっきり不参加だと思っていた。


「ミーナのことが気になった」


 私は舞踏会に全く興味がないマリカが、わざわざここに来た理由に納得した。


「そうなんだ。私も二人がどうなったかずっと気になってるんだよね」


 結局、イルマリさんとダンスを踊っている姿を最後に、ミーナには会えないままだった。きっと明日になったら彼女の方から来てくれると思うけれど。


「ついでに『宝石姫』と『青薔薇姫』も見たかった」


「ああ、なるほど」


 ミーナの恋の行く末を心配しているのはもちろん、噂のご令嬢たちに興味を持ったマリカは本人たちを見に来たのだそうだ。

 そして会場の外から中を覗き、二人を探したのだと言う。


「『宝石姫』は見た。アレはヤバい」


「……え?」


 マリカが「ヤバい」って言うなんて。

 もしかして、マリカの目にもトルデリーゼ嬢がすごく魅力的に映ったのかな……?


「アレは『宝石姫』から『魔石姫』に変えるべき」


「え? は? 魔石?」


「そう。宝石の中に魔石も混ぜていた」


 私はトルデリーゼ嬢の顔ばかり見ていたから気付かなかったけれど、彼女が身につけているドレスや装飾品には、確かにたくさんの宝石がついていたように思う。


 ……もしかして『宝石姫』って、そっちの意味なの……?


「へ、へぇ〜。宝石と見間違うような魔石なら、宝石より高価かも。クリンスマン侯爵家ってかなり裕福なんだね」


「それはそう。だけど問題はそこじゃない」


「え?」


 意外と固いマリカの声に驚いた。


「あれらの魔石には色んな種類の魔法が付与されている。その中には弱いけど<魅了>もある」


「ええっ?! <魅了>?! ……あっ!」


 驚きで思わず出した声を、私は慌てて引っ込める。

 この帝国でも<魅了>の魔法は御法度なのだ。もし誰かに聞かれたら不審者と思われるかもしれない。


「もしかして、<魅了>以外にも良くない魔法があったりする?」


「する。他には<人目を惹く>だったり<魅力を引き上げる>とか。微妙に<威圧>もあった」


「ええ〜……。それって……」


 私がトルデリーゼ嬢から感じたカリスマ的オーラは、彼女が身につけている魔石による効果だったようだ。


「ん。承認欲求の塊? 目立ちたがり? とにかくヤバい」 


「そうなんだ……。ちょっとガッカリ……かも……」


 私が初めて彼女を見た時、彼女の持つ威厳と気品に圧倒されたけれど、それらが魔法のせいだったなんて……!


 マリカから種明かしされて、持っていた彼女への対抗心がどんどん萎んでいく。


 だからと言って、ハルを絶対渡さない、という気持ちに変わりはないけれど。


「あ、話の続きは部屋でしない? もうすぐマリアンヌも仕事が終わるだろうし、お茶でもしながら話そう?」


「ん。行く」


 私とマリカは賑やかな会場を背に、使用人の部屋があるエリアへと向かった。


 人気がない、しんとした廊下はひんやりとしていて、頬を掠める冷たい空気が気持ちいい。


 こうして静かな場所に来ると、今日あった出来事がどんどん浮かび上がってきて、頭の中がぐるぐるしてしまう。


「ミア、大丈夫?」


「……あ、うん。大丈夫だよ。ごめんね、色々考えちゃって」


「ん。相談に乗るから何かあったら言って」


「有り難う。マリカがいてくれてすごく心強いよ」


 ずっと考え事をして黙っていたから、マリカに心配をかけてしまった。


 外の空気で身体は冷えたけど、気がつけば頭の中はショート寸前だ。このままでは知恵熱が出ちゃうかも。

 

 ──だけど、それでも、私は考える。


 今日舞踏会に参加して、気付いたことを。


 それはずっと後回しにしていたけれど、いつか絶対やらなきゃいけないことで──


 今まで私は、ハルを目覚めさせることだけを考えていた。

 もちろんそれが一番大事だけれど、未だに解決方法が見つからない今、ハルが目覚めた時のために、私が出来ることをやろうと思ったのだ。


 そうして私はハルのために、反乱分子であるクリンスマン侯爵家を断罪し、帝国での自分の地位を──使用人でも、他国の貴族令嬢でもない、将来の皇后としての地位を確立しようと覚悟を決めた。



 * * * * * *



お読みいただき有難うございました!

宝石姫が魔石姫だった件。

地震のお見舞いと暑中お見舞いも兼ねて連日更新です!(あれ?もう残暑?)

どうぞ皆様、くれぐれもお身体ご自愛くださいね。ほんまに。


次回のお話は

「241 ぬりかべ令嬢、決意表明をする。」です。

女子会もやってます。


次回もどうぞよろしくお願いいたします!( ´ ▽ ` )ノ

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