228 ぬりかべ令嬢、懐かしむ。

 大公家の厨房で、マリアンヌが作ってくれたチーズケーキが完成した。

 異世界のレシピを再現したというそのチーズケーキはふわふわで、口の中に入れるとしゅわっと溶けてしまう不思議な食感のケーキなのだ。


「うわぁ! すごく美味しそう!」


「まぁあ……! チーズケーキってこんなに膨らむんですの?! どんな味か気になりますわ!!」


 ミーナもマリアンヌが作るチーズケーキに驚いている。

 いつも食べているケーキはこんなに膨らんでいないから珍しいのだろう。


「ほう。生地を湯煎で蒸し焼きにするとは。ケーキの作り方でこのような方法は初めて知りました」


 ケーキの完成を聞きつけたマルセルさんが、マリアンヌのチーズケーキを興味深そうに眺めている。


「えっと、このチーズケーキは温かいうちに召し上がっていただくのが一番美味しいんですよ」


「じゃあ、早くお茶を用意しないといけませんわね!」


「では、私がお淹れいたしましょう」


 クルセルさんがお茶の用意を申し出てくれた。彼自身、チーズケーキの味が気になって仕方がないようだ。


 それから私たちは厨房の隣にある使用人の休憩室で、チーズケーキを食べることになった。

 貴族令嬢のミーナが使用人の使う部屋へ来ること自体珍しいのに、そこでお茶をするなんて前代未聞かもしれない。

 だけど、応接室に戻るまで我慢出来ない気持ちはよくわかる。スイーツはそれほど魅惑的なのだ。


「……何だか、ウォード家を思い出しちゃいますね」


「……うん。私も思い出してた」


 私とマリアンヌは小声で会話する。

 どこの屋敷も使用人の休憩室は同じ雰囲気なのか、大公家の休憩室を見て懐かしく感じてしまう。


 ウォード侯爵家で、義母様たちに使用人のように扱われていた日々はとても辛かったけれど、それでもマリアンヌやデニスさん、ダニエラさんたち使用人のみんなは、私にとても優しく接してくれた。

 久しぶりに休憩室の空気に触れると、昔のことをたくさん思い出す。

 仕事の合間のちょっとした時間に、こうしてみんなでお茶を飲む時間はとても楽しかったのだ。


「我々がいつも飲んでいるお茶なので、お口に合うかどうか……」


 私が昔を懐かしんでいると、クルセルさんが申し訳なさそうにお茶を置いてくれた。


「構いませんわ! お気になさらないでくださいまし!」


 ミーナはミーナでこの状況をとても楽しんでいるようだ。休憩室の中を興味深そうに見渡している。


「では、切り分けますね」


 マリアンヌがチーズケーキをみんなに配ってくれた。キメが細かい断面に、みんなの期待は最高潮に高まっている。


「ふわぁあ……っ! な、何ですのこれっ?! ふわっふわですわ……っ!!」


「これはすごい! こんなにやわらかいチーズケーキは初めてです!」


 マリアンヌ特製チーズケーキを食べたミーナとクルセルさんは、その美味しさにうっとりと恍惚の表情を浮かべている。


「いくらでも食べられちゃいますわっ!! 1ホール丸々イケますわっ!!」


「うぅむ……! まさにこれは禁断の味……っ!!」


 チーズケーキといっても、マリアンヌ特製のこのケーキはどっしり濃厚な味ではなく、軽くてさっぱりしているのでいくらでも食べれてしまう。

 そういう意味ではまさに禁断の味だと思う。「禁断の甘味シリーズ」に追加決定だ。


「冷やして召し上がっても、しっとりとして美味しいんですよ」


「なっ?! しっとり、ですの……?!」


「むむっ!? また違う味わいが楽しめる……?!」


 マリアンヌの言葉にミーナとクルセルさんが超反応している。

 この様子からすると、しばらくマリアンヌはチーズケーキ作りに駆り出されてしまいそうだ。


 三人の様子を見ながら、私はクルセルさんが淹れてくれたお茶をそっと浄化してみた。もしかすると使用人さんたちが飲んでいるお茶にも<呪薬>が含まれているかもしれないからだ。


(……良かった。このお茶は大丈夫みたい)


 使用人さんたちが飲むお茶は汚染されていないようだとわかった私は安心する。

 もし屋敷中が汚染されていたら、この問題は大公家だけの問題では済まないと思う。


「美味しい食べ物には美味しい飲み物ですなぁ! ちょっと失礼しますよ」


 チーズケーキがよほど気に入ったのか、上機嫌になったクルセルさんは席を立つと、棚からお酒を取り出した。


「これは俺のとっておきで、大公閣下から譲り受けたものなんです。この酒を少量だけ入れると、お茶の風味が豊かになるんですよ」


 クルセルさんが宝物のように持っている酒瓶を見た私はギョッとする。


 私が慌ててマリアンヌを見ると、彼女も驚いた顔をしていた。やはり私と同じものが視えているようだ。


 クルセルさんが蓋を開けている姿を見た私は我に返る。そしてお酒を入れようとしたクルセルさんを慌てて止めようと声をかけた。


「ま、待ってください!」


「え?」


 クルセルさんが不思議そうな顔で私を見た。

 とりあえず手を止めたものの、その理由がわからないのだと思う。


「えっと……っ、勤務中にお酒を飲まれても怒られないのですか?」


「私に敬語などは不要ですよ。お気遣い有り難うございます。入れるのは数滴なので、酔うことはありません。これでも私はお酒に強い方なので、たとえこの瓶を空にしたとしても酔いませんからご安心ください」


 クルセルさんはそういうと、お酒をお茶に入れてしまった。


「うわっ!!」


 驚いたマリアンヌが悲鳴に似た声をあげる。思わず出てしまったようで、慌てて口を塞いでいるけれど。


「え? え?」


 マリアンヌの声に動揺しているクルセルさんに向かって、私は誤魔化すように声をかけた。


「あの、お茶の香りを確かめてみてもいいですか?」


「あ、ああ、はい。どうぞ……」


 訳がわからないという顔をしているクルセルさんだけど、それでも素直にお茶が入ったカップを差し出してくれた。

 そんなクルセルさんの態度を見て、この人は呪薬と無関係なことがわかる。


 ほっとした私はカップを包み込むようにそっと触れると、急いでお茶を浄化する。


「すごく良い香りですね。有り難うございます」


 私は手を払って軽く香りを吸い込むと、満足げにカップをクルセルさんにお返しした。


「あ、いえ……」


 まるで狐につままれたようにぽかん、としていたクルセルさんだったけれど、私たちが何事もなかったかのようにお茶を飲むと、一緒に飲み出した。


「ねぇ、マリアンヌ。このチーズケーキのレシピを教えていただけないかしら? もちろん、その対価は支払わせていただきますわよ?」


「えっ?! そんな、対価をいただくのはちょっと……っ! 私はこのレシピを開発したのではなく、再現しただけなので……」


 よほど気に入ったのだろう、ミーナがチーズケーキのレシピを買いたいと言う。正直、先ほどまでの気まずい空気を変えてくれて助かった。


「わたくしはマリアンヌのレシピが気に入りましたの。もし気になるのなら、作り方を教えていただく授業料と思ってくださいな」


「……なるほど。それなら大丈夫、かも……?」


「そうしていただけると有難い! 私もぜひ教えを乞いたいと思っていたのですよ!」


 ミーナ同様、チーズケーキを気に入ったクルセルさんも大喜びだ。何だかマリアンヌを師匠と崇めそうな勢いがある。


「あ、えっと、お役に立てるかわかりませんが、よろしくお願いします……」


 クルセルさんの勢いにマリアンヌが若干引いている。熱意がすごくて圧倒されているのだろう。


「ちなみに、このケーキはチーズケーキという名前なのですか? 他のチーズケーキと違うように思うのですが」


 クルセルさんが言うように、マリアンヌのチーズケーキは全く別物だと思う。何か別の名前をつけた方が差別化出来るだろう。


「え? 名前、ですか? それはえっと、『スフレ』チーズケーキになるかと……?」


「まあ! それは良いですわね! じゃあ、これからはそうお呼びいたしましょう!」


 そうして、マリアンヌはまた後日、スフレチーズケーキの作り方をクルセルさんに教えることになった。


 ──マリアンヌのチーズケーキが大公家が持つ商団を通して販売され、帝国中で大ヒットとなるのは、少し後のお話。


 ちなみにスフレチーズケーキの商品名は「クロウおじさんのチーズケーキ」となった。

 名前を付けたのはもちろんマリアンヌで、名前の由来を聞くと言いにくそうに「創業者の方の名前にちなんで……」と言っていた。


 きっと、異世界でもそれに似た名前で存在していたのかもしれない。







 ──話は戻り、スフレチーズケーキを堪能した私たちは、再び部屋に戻って一息ついた。


「マリアンヌのレシピ、すごく好評だったね!」


「あ、はい。皆さんに気に入ってもらえて、すごく嬉しいです」


「わたくし、以前マリアンヌが作ってくださったプリンをもう一度食べたいですわ。次回は是非プリンを作ってくださいまし!」


「わ、わかりました! またの機会に!」


 ミーナはすっかりマリアンヌが作るスイーツのファンになったようだ。きっとこれからも異世界スイーツ再現レシピは大活躍するのだろう。私も美味しいものが食べられてとても嬉しい。


「スイーツのことはさておき、さっきクルセルさんが持っていたお酒なんだけど……」


「あ! あれ! 私も驚きましたよ! あのお酒、怪しいですよね!」


 マリアンヌも私と同じように、酒瓶に纏わりつくような黒い靄を目撃したらしい。


「まぁ……! お酒が怪しいんですの? 先ほどお二人の様子がおかしかったのも、それが原因ですのね?」


「うん、そうなの。ミーナはあのお酒のこと知ってる?」


「お酒のことはちょっと……わかりませんわね。お父様が戻られましたら、お話を聞いてみますわ」


 大公は今、宮殿で執務をこなしているらしい。


「珍しく宮殿に参りましたから、急務のお仕事かもしれませんわね。帰りが遅くなければ良いのですけれど……」


「あ」


 ミーナの言葉に、何か思い当たることがあるらしいマリアンヌが声を上げた。


 そういえば、マリウスさんが大公に仕事を手伝ってもらうって言っていたっけ。


 遠い目をしているマリアンヌを見て、きっと大公の無事を祈ってるんだろうな、と何故かわかった。



 * * * * * *



お読みいただき有難うございました!

チーズケーキのモデルは大阪名物で有名なあのお店のです。

以前は600円ほどだったんですけどね。値上がりして1000円ほどになってしまいましたが、それでも安いんだろうなーと。(聞いてない)

また今度執筆のお供に買ってみようと思ってます。


次回のお話は

「229 ぬりかべ令嬢、ヒントを得る。」です。


次回もどうぞよろしくお願いいたします!( ´ ▽ ` )ノ

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