201 ぬりかべ令嬢、介護する。

 ハルの部屋の、更に奥にある寝室の扉を開くと、花緑青色の光りに包まれたベッドに、ハルが静かに眠っている。


 帝国に着いて、ハルと面会してからずっと魔力を注いでいるけれど、未だにハルが起きる気配は無い。


「ハル、おはよう。来るのが遅くなってごめんね」


 私は返事がないとわかっていても、ハルに話し掛ける。

 ただ反応できないだけで、声はハルに届いているかもしれないからだ。


「今日もいい天気だよ。ちょっと窓を開けるね」


 ハルに断りを入れ、天蓋のカーテンを開いて窓を開ける。すると穏やかな日差しが差し込み、柔らかい風が部屋の中を通り抜け、ハルの髪を揺らしていく。


 私は眠り続けるハルのそばへ行くと、そっと手を握り、日課である聖属性の魔力をその身体に注ぎ込む。


 ちなみに初めてハルに魔力を注いだ時、魔力が枯渇しかけてマリカ達を心配させてしまったので、今はそうならないように気をつけながら魔力量を調節している。

 それでも毎回”もしかしたら”と思ってしまい、ついついギリギリの量の魔力を注ぎ込んでしまう。マリカに知られたらジト目で睨まれるに違いない。


 今日もいつも通り頑張って魔力を注いでみたけれど、やっぱりハルは目覚めない。


 もしかして魔力の送り方が悪いのかな、とか脳に多く送らないとダメなのかな、とか色々試行錯誤してみても、全く変化がないのだ。


(うーん、あと試していないのは何だろう……?)


 取り敢えず魔力の送り方についてはマリカに相談することにして、ハルの身体をケアすることにする。


 身体のケアと言っても、やることはそう多くない。

 ハルを守っている<神の揺り籠>の中は、この次元と位相がずれているらしく、時間の流れがほぼ止まっているのだと聞いた。

 しかも常に癒やしの効果が齎されているので、この中にいると歳をとらないし体調も一番良い状態に保ってくれるのだそうだ。

 だから食事を摂らなくても餓死しないし、身体も汚れることはない。なので、本当は何もしなくても大丈夫なのだけれど、それでは私が嫌なのだ。


 ずっと寝たきりだから床ずれするんじゃないかと心配だし、筋肉の衰えも気になってしまう。時間がほぼ止まっているとは言え、油断して大変なことになるのは避けたいのだ。


「ハル、ちょっと姿勢を変えるね」


 ずっと同じ姿勢だと、ベッドに触れ体重がかかっている部分の皮膚が圧迫されて、血行が悪くなるらしい。そうなると皮膚やその下の組織が壊死してしまうので、私はハルの身体の姿勢を毎回変えることにしている。


「……よいしょっと。背中は大丈夫かな? 痛くない?」


 仰向けだったハルの身体を横向きにする。背中をさすりながら服の皺を伸ばし、床ずれにならないよう細心の注意を払う。


 身体を動かしたからか、ハルの綺麗な黒髪が顔にかかったので、そっと指で髪を梳く。ハルは寝顔もすごく綺麗で、見ていてずっと飽きないし、私の目の保養にもなっている。


 ──それでも、やっぱり目が開いた、起きているハルが見たいと思う。


 私はハルの身体が冷えないようにデュベを掛けた後、部屋の掃除を済ませて窓を締める。


「ハル、また後で来るからね」


 ハルに挨拶をした後、私は割り振られた仕事を終わらせるためにハルの部屋を出る。

 次はお昼を過ぎた頃に再びハルの部屋へ行き、また身体の向きを変えながら、ハルの身体にマッサージをするつもりだ。

 それから皇后陛下のお世話を手伝い、夕方にもう一度ハルのお世話をして、私の一日の仕事は終りとなる。


 薄暗くなった広い部屋の中、ベッドの横に備えているランプに明かりを入れ、開けていた天蓋のカーテンを下ろすと、まるでテントのような小さな秘密の部屋となる。

 優しいランプの光がハルの寝顔を照らし、カーテンに影を作っているこの光景が、最近の私のお気に入りとなっている。


 そんな世界で二人しかいないような、小さい閉ざされた世界で、私はハルにその日に見て感じた事を沢山話して聞かせるのだ。


「そう言えば、今日初めてミーナさんと会ったよ。すっごく可愛くてびっくりした。あんなに可愛い子にハルが懐かれているって知って、すごくヤキモチ焼いちゃったよ」


「ミーナさん、ハルに会いたくて仕方がないみたいだった。部屋の前で師団員さんと言い合っててね、意外と気が強いんだなって思ったよ」


「マリウスさんはすごいね。皇族のミーナさんに堂々と意見を言えるんだから。あ、マリウスさんも昔からミーナさんを知っているからかな」


「そうそう、今日皇后陛下の衣装室を見せて貰ったよ。まるでお店が一軒まるごとあるみたいだった! ドレスも宝石もすごく素敵だったな」


「何だかランベルト商会を思い出したよ。アメリアさんやジュリアンさん達元気かな」


 今やランベルト商会は皇家御用達だから、陛下の衣装室に懐かしい雰囲気を感じたのも当然なのかもしれない。


「また一緒に『コフレ・ア・ビジュー』に行こうね。ラリサさん達にも会いたいな」


 私はそう言って今日あったことを話すと、いつまでもここに居たくなる気持ちを抑えて、ハルのお世話を終わらせることにする。


 それから私はハルの身体を確認して仰向けにそっと戻すと、手を取って朝と同じようにハルに魔力を注ぎ込む。


 銀色の聖属性の魔力が小さい部屋の中を明るく照らし、まるで月の光のようだ。


 そうしてしばらく、魔力の光が消えると、部屋に静寂が訪れる。

 この静かな部屋で聞こえるのは、私の溜息だけだった。


 今日もハルを目覚めさせることは出来なくて、正直ガッカリするけれど、ハルの手から伝わる温もりが、私の寂しく思う心をじんわりと温めてくれる。


「……ハルの声が聞きたいな」


 ずっと離れ離れだった七年間のことを考えると、ハルが目の前にいて生きてくれているこの状況は、すごく恵まれていると思う。だけど欲張りな私はもっと、と願ってしまうのだ。





 * * * * * *





 ハルのお世話を終えて部屋から出ると、部屋の前にマリカが立っていた。


「マリカ! 何だか久しぶり! もしかして私を待っていてくれたの?」


「ん。ミアの様子を見に来た」


「忙しいのに有難う。私は元気だよ。あ、良かったら私の部屋に来ない? もうマリアンヌも戻っていると思うよ」


「行く」


「良かった! じゃあ、マリアンヌにお茶を淹れて貰おう! 最近お茶に凝っているらしいよ」


「楽しみ」


 マリカの笑顔にほっこりしながら、一緒に使用人の居住区域へと向かう。

 帝国筆頭魔道具師として多忙を極めているのに、時間を作って会いに来てくれたマリカの気持ちがとても嬉しい。


 マリカは今や有名人なので、部屋に向かう間は念の為にフードで顔を隠して貰った。

 マリカだとバレたらきっと沢山の人に囲まれてしまう。なるべく目立ちたくない私にとって、それはとても困るのだ。

 本当は可愛いマリカの顔を隠すのはとても勿体なかったけれど。


「ミア様! おかえりなさいませ! あれ? マリカ様もご一緒なのですね!」


 部屋へ戻ると、先に帰っていたマリアンヌが出迎えてくれた。


「マリアンヌも疲れているところ悪いんだけど、お茶を淹れて貰ってもいいかな?」


「勿論です! お任せください! 今日、マリウス様から珍しい茶葉を分けていただいたんですよ! ミア様と一緒に飲もうと楽しみにしていたんです!」


 帝国に来る時に乗ったゴンドラの中で、お茶がきっかけとなりマリアンヌを転生者だと、マリウスさんが見破った一件があった。

 それ以来、マリアンヌがお茶好きだと知ったマリウスさんが、各国から献上されたお茶をおすそ分けしてくれるようになったのだ。


「本当はおすそ分けなんて可愛いものじゃないんですよ! あの鬼畜眼鏡、私に毒見役をさせてるんです! 渡したお茶で美味しかったものを淹れろっていつも注文してくるんですから!」


 マリアンヌがプンプン怒っているけれど、それはマリウスさんなりの気遣いじゃないかな、と密かに思う。

 実際、マリアンヌはとてもお茶好きで珍しい物好きだし。


「まあ、それでこの世界のお茶には随分詳しくなりましたけどね!」


 文句を言っていた割に、マリアンヌも満更でなさそうなのが微笑ましい。

 何だかんだと言って本人も楽しんでいるのだから、マリウスさんの思惑通りなのだろう。



 * * * * * *



お読みいただき有難うございました!( ´ ▽ ` )ノ


マリウスさんの掌で転がされているマリアンヌです。(ちょ)



次のお話は

「202 ぬりかべ令嬢、相談する。」です。

メンバーは違えど、久しぶりに女の子3人でのお茶会です。

でも話題は物騒。(おい)


次回もどうぞよろしくお願いいたします!(*´艸`*)


ついでに宣伝でーす!( ´ ▽ ` )ノ

本日、拙作「ぬりかべ令嬢」書籍版の合本版が発売されるようです。

電子書籍の1.2巻を一冊にまとめたものっぽいですので、すでにお持ちの方は購入される必要はないかと?(直球)

別々で購入するよりお得だったり、さらにキャンペーンで安くなるときもあるので、お持ちでない方は安い時に是非ご購入下さい!泣いて喜びます。

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