190 ぬりかべ令嬢、予感する。
「……え、えっと、もしかすると私の勘違いで、似たお茶と間違ってしまったかもしれません」
まさか貴族しか飲まないお茶だと思わなかったのだろう、マリアンヌがマリウスさんの質問にしどろもどろに答えている。
(もしかして、マリアンヌが淹れてくれたお茶は異世界の……?)
マリアンヌが好きだったというお茶は侯爵家で飲んだ事がないお茶だったから、きっと異世界にも存在するお茶だったのだろう。
「そんなに似ているのですか? ならばそのお茶の名を教えていただけませんか? ナゼール王国産でしょうか? 正直このお茶は帝国でも高価でして、同じ味で安価で手に入るのなら是非購入させていただきたいですね」
マリウスさんが更に追い打ちをかけてくる。そんな様子にマリアンヌの方は大丈夫なのかハラハラしてしまう。
ここは私がフォローに入った方が良いかも、と考えたけれど、マリアンヌの表情を見て思い止まった。
──キリッとした表情のマリアンヌに、彼女が何かを決意したのだと思い至ったのだ。
「……申し訳ありません、飲んだのは随分前なので、同じものを紹介する事は出来ません。ですがお茶の名前は覚えています。それは……」
マリアンヌは下手に隠さず正直に答える事にしたらしく、覚悟を決めた表情で言った。
「……ほうじ茶、です」
マリアンヌが告げたお茶の名前は私が初めて聞く名前だった。
お茶の種類は数え切れないぐらい存在するし、ほうじ茶もその中の一つだと思うけど、マリウスさんの様子を見る限りほうじ茶がただのお茶じゃない事は明白だった。
「……お答えいただき有難うございます……やはり貴女は始祖と──」
マリウスさんが驚きに目を見開き、ぐっと言葉を飲み込んだ。
どうしたのかと思っていたら、“ガタッ”と勢いよく立ち上がり、ツカツカと一直線にマリアンヌへと向かって行く。
「ひぇ……っ!?」
マリウスさんの突然の行動にマリアンヌが驚いているけれど、マリウスさんはマリアンヌの前までやってくると、ガシッと彼女の肩を掴んで言った。
「素晴らしい……! やはり貴女は『転生者』なのですね! まさか自分が生きている間に会えるとは……!!」
「え? え?」
マリウスさんの目がキラキラと輝やいている。いつもはクールな印象だったのでそのギャップに驚いた。
(……あれ? そう言えば以前ハルが言ってたっけ。マリアンヌが帝国に来たらマリウスさんが喜ぶって)
私は王国の舞踏会でハルから聞いた話を思い出す。
あの時は意味が分からなかったけれど、マリウスさんは『転生者』にすごく興味を持っていたんだ。
「貴女の身柄は責任を持って私が引き受けます! 全身全霊を持って貴女をお守りいたしますので、その知識を私にもお分けいただけないでしょうか?」
「ふぇっ!?」
マリウスさんの言葉にマリアンヌがあわあわと慌てふためいている。今の言葉って聞きようによってはプロポーズに聞こえるものね。
あまりの衝撃にしばらく固まっていたモブさん達が意識を取り戻したらしく、口々に驚きの声を上げる。
「なっ……っ!? なん……だと!?」
「え……嘘やん……」
「これは……夢?」
ハルもそうだけど、マリウスさんも女性に対してかなりそっけない態度を取っていたのだろうな、と三人を見ていてよく分かった。
だって師団員の人達はいつも二人の態度の違いに驚いているし。
きっと『転生者』の事よりマリアンヌに対する態度の方が意外なんだろう。
そんな中、のんびりとお茶を飲んでいるマリカとディルクさんが目に入る。どうやら『ほうじ茶』をとても気に入ったようだけど……。
「えっと、マリカとディルクさんはマリアンヌの事に驚かないの?」
私の質問にマリカはカップをソーサーに置くと淡々と告げた。
「知ってた」
「えっ!」
マリカの言葉にはマリアンヌも驚いたようだ。まさか『転生者』だという事が知られていたとは夢にも思わなかったのだろうけど。
「マリアンヌさんの言動を見ていたらこの世界には無い言葉が多かったしね。僕もマリアンヌさんが『転生者』だと聞いても“やっぱり”という感想だね」
ディルクさんの意見に「ですよねー」と思う。馬車の中でも散々異世界の言葉を使っていたものね。マリアンヌ的には隠しているつもりだったかもしれないけれど、鋭いマリカやディルクさんにはバレバレだったみたい。
ゴンドラ内の人々が色んな反応をする中、ただ一人話が見えていなかったアル王子だったけれど、周りの様子に大体の話を把握したらしく、「転生者……!! なにそれ格好良いー!!」と凄く興奮している。
……マリアンヌが「姐さん」と呼ばれる時も近そうだ。
皆んなの反応に我に返ったマリアンヌが、自分の今の状況に気付いたらしく、真っ赤な顔でマリウスさんに言った。
「……あの、マリウス様、手を……」
「はい?」
マリアンヌに声を掛けられたマリウスさんは、自分がマリアンヌの肩を掴みっぱなしだと気が付いたらしく「これは大変失礼しました」と言いながらそっとその手を離した。
「……ごほん。えっと、話の続きなのですが、帝国の宮殿には始祖様が残された文献など異世界の言語で書かれた書物が存在しておりまして、その言語の解読がかなり難航しているのです。その解読に貴女の協力が得られれば大変助かるのですが……」
気を取り直したマリウスさんの話では、始祖様が残された書物は四種類の言語で書かれていて、中でも複雑な文字の解読にかなり時間が掛かっているのだそうだ。
「四種類……? 複雑な文字……もしかして『漢字』?」
マリアンヌはその文字の事に思い当たるフシがあるらしい。
(……という事は、始祖様とマリアンヌがいた世界は同じ……?)
マリアンヌの呟きを拾ったマリウスさんは凄く驚いた表情をした後、更に目をキラキラさせて再びマリアンヌに迫る。
「まさかあの文字は“カンジ”と呼ぶのですか? 昔から権威ある学者達が解読しようと試みたものの、作業は一向に進まず難航していたのです。もしマリアンヌ嬢が異世界言語の専門家として協力して下さるのなら、成果によって爵位を賜ることも出来ますし、助成金も……」
間断なく話し続けるマリウスさんにマリアンヌが待ったをかける。
「ちょ、ストップストーップ! マリウス様落ち着いて下さい!」
マリアンヌの言葉にマリウスさんがハッとして言葉を止める。
「大変見苦しい姿をお見せして申し訳ありません。どうも『トラノマキ』の事になると我を忘れてしまいまして……」
「は!? 『虎の巻』!?」
マリウスさんが言った『トラノマキ』にマリアンヌが超反応する。マリアンヌはこの言葉の意味も知っているみたいだ。
「始祖様が書かれた書物の名前が『トラノマキ』なのですよ。今は帝国皇室禁秘項目の一つである禁書に指定されています」
「禁書……! 何だか格好良いですね! では、今は閲覧不可なんですか?」
「原本は閲覧できませんが、写本が存在していますので、今はそちらで研究されていますね」
「なるほど……」
何だかマリアンヌが凄く楽しそうに会話している。
元々帝国へは始祖様の事を知りたくて来たけれど、まさかこんなに早く話が進むなんてマリアンヌにとっても予想外だろう。
だけどマリウスさんの提案は彼女にとってとても魅力的だろうし、きっとこの話を受けるんだろうな、と思っていたのだけれど……。
「大変興味深いお話ではありますが、私はミア様の専属侍女です。私の最優先はミア様の身の回りのお世話で、この役目は誰にも譲るつもりはありません。ですので専門家云々のお話はお断りさせていただきます」
意外な事に、マリアンヌはマリウスさんの提案をピシャリと突っぱねた。
「そもそも私が禁書を解読できるかまだ分かりませんし、そんなに期待されても困ります」
マリアンヌの言葉にマリウスさんは「確かに……」と考えるそぶりをした後、私に向かってニッコリ笑って言った。
「では、マリアンヌ嬢の手をお借りしたい場合はユーフェミア様に許可をいただけばよろしいでしょうか?」
「ふえっ!?」
マリウスさんが私に確認を取るのを聞いてマリアンヌが驚きの声を上げる。てっきり諦めたと思ったのだろう。
(うーん、マリアンヌの気持ちはとても嬉しいけれど、マリアンヌだって禁書が気になるよねぇ……)
マリアンヌは私を最優先と言ってくれるけど、禁書の解読には興味津々なのは見ていてよく分かる。私は二人の都合や立場を踏まえて何が最善か考える。
「わかりました。マリアンヌの手が空いた時、彼女の同意があった場合のみ協力を許可します。ただし、決して彼女の負担にならない程度で、無理強いは絶対させないと約束して下さい。……マリアンヌ、これでいいかな?」
「えっ……ミア様がそう仰るのなら……私は大丈夫ですけど……」
「禁書の解読は帝国──ひいてはハルの為にもなるし、私個人としても協力してくれるととても嬉しいなって。あ、でもマリアンヌがやりたい事があるならそっち優先だからね」
「ミア様……! そうですよね、レオンハルト殿下の為になるのならミア様の為にもなりますものね! 分かりました! 私頑張ります!」
マリアンヌは凄く乗り気になったらしく何だかやる気が満ち満ちている。そんな生き生きとしたマリアンヌの表情を見るととても嬉しくなる。
「ユーフェミア様、寛大な措置を賜り有難うございます。マリアンヌ嬢には決して無理をさせないと誓います」
マリウスさんが私にお礼を言い、マリアンヌに無理をさせないと約束してくれる。マリウスさんならきっとマリアンヌを大切にしてくれるだろう。
「『虎の巻』って確か『参考書』って意味だったっけ? 何が書かれてるんだろ〜……って、私に読めるかな……」
マリアンヌは禁書の内容が気になるのか、異世界語を交えて何やら呟いている。そんなマリアンヌをマリウスさんがとても優しい瞳で見つめている。
(あら? あらあら? これはもしかして……?)
──禁書の解読をきっかけに何かが始まりそうな予感がするけれど、その予感が的中するのはもう少し後のお話。
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次回のお話は
「191 ぬりかべ令嬢、悪巧みを知る。」です。
お読みいただき有難うございました!
次回もどうぞよろしくお願いいたします!( ´ ▽ ` )ノ
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