187 聖獣様を探して2(アルゼンタム視点)

 聖獣様を探して帝国の宮殿から抜け出し三日三晩走り続けた俺は、その途中のラウティアイネン大森林で、ハル兄が戦ったらしい痕跡を見付ける。


 その時、油断していたとは言え獣化して感覚が鋭くなっていた筈の俺に全く気付かせることなく、背後を取った人間が現れた。


(俺の背後を取れる人間なんてハル兄しかいないと思っていたのに……!!)


 それだけでも驚きなのに、絶世の美貌を持つその人間を見た俺は更に驚いた。


 神官のような服を身に纏っているから、この人間はきっと聖職者なのだろう。だけど醸し出す気配はとても歪で、底しれぬ深い闇を彷彿とさせる。

 そんな深い闇を垣間見た恐怖なのかわからないけれど、気がつけば俺の獣化は解けてしまっていた。


「……! お、おま……え、は誰、だ……!?」


 本来であれば美しいと感動しただろう、朝焼け色の瞳が俺を射抜き、恐怖で身体が竦んで動かない。


「獣風情が私に話しかけるな、穢らわしい。獣は獣らしく地に這いつくばれ。<平伏せよ>」


 神官風の男が魔力を乗せた言葉を発した瞬間、見えない力で身体を抑え込まれて地面に叩きつけられる。


「がは……っ!!」


 激しい痛みと圧迫された身体に身動きが取れず、起き上がることが出来ない俺を気にすることなく、神官の男は破壊され尽くした森の様子を観察している。


「……ふむ。<闇のモノ>を使ったか。ならば奴は弱体化したはずだが……」


 所々に悪臭を放つ黒いモノが付着していると思っていたけれど、それが<闇のモノ>だったなんて。


(……って言うか、この神官の男はハル兄の敵なのか……!? じゃあ、ハル兄は<闇のモノ>に侵されている……!?)


 流石のハル兄でもそんな状況で無事でいられるはずがない。マリ兄がハル兄に会わせてくれなかったのは大怪我のせいだけじゃなかったんだと理解した。


(そうだ! 聖獣様の匂いと一緒にあったのも同じ匂いだ! じゃあ、聖獣様も……!?)


 最悪の展開が頭を過ぎった俺は地に伏していた身体を起こそうと、腕に力を込めてみるけれど身体はピクリとも動かない。まるで自分の身体じゃないみたいだ。


(次代獣王と言われている俺の力が全く通用しないなんて、この人間はただの神官じゃないのか──!?)


 よく考えたら俺を抑え込んでいるこの力も魔法じゃない。ハル兄が呪文詠唱を短縮した減殺呪文を使うから勘違いしていたけれど、ハル兄の魔法とは似て非なるものだ。


 そんな異質の力を使う神官の男は今も何かを調べているらしく周辺を歩き回っていたけれど、ハル兄の血が付いている岩のところで足を止め、岩に空いた穴をじっと見つめている。


 神官の男の不気味な行動を息を潜めながら見ていると、神官の男は突然狂ったように笑い出した。


「……っ!! ははっ……!! ついにっ……ついに殺したか……!! あははははっ!! やっと、やっとだ……!!」


 何がそんなに嬉しいのか、神官の男は喜びに打ち震えながら祈るように空を仰いでいる。

 その姿はとても神聖で、荒れ果てた森が静謐な神殿になったかのような錯覚に陥る程だった。


 ──だけどそんな神聖な雰囲気は一瞬で崩壊し、まるで世界が反転したような悍ましい空気が満ちていく。


「……ふふ、忌み子の魂の核は破壊された。ならば一旦戻るとして……この獣はどうするか……」


 神官の男の眼がギョロリと動いて俺を捉える。

 その眼はただの虫かそれ以下のゴミを見るようで、俺の事なんて全く歯牙にもかけていないことが分かる。


(くそ……っ!! このままじゃ殺されてしまう……!!)


 未だに動く事が出来ない身体で抵抗が出来るはずもなく、だからと言って大人しく殺されるつもりがない俺は覚悟を決める。


(こいつはハル兄の敵だ! なら魔力を練り上げて自爆すれば、奴を道連れに出来るはず──!)


 だけど、そんな俺の覚悟を嘲笑うかのように、神官の男が綺麗な笑顔を浮かべて言った。


「いつもなら穢れた血の者は神去らすところだが、今日の私はとても機嫌が良い。だから今は特別に殺さずにいてやろう。運が良いな獣」


 神官の男の言葉を聞いて、殺されずに済むと安心する程俺は愚かじゃない。

 獣人を心底憎んでいるこの人間が、俺をこのまま見逃す筈がないのだ。


『暗き闇の乙女 漆黒の抱擁 不浄なる血の戒め 我の黒き祝福で 穢れし獣に永久の嘆きを』


 俺の予想通り、神官の男は俺に向かって呪文を唱え始めた。

 だけどその呪文は俺の知る魔法体系とは全く違うもので、呪文の構成からしてこの世界の理から外れたモノのようだった。


 呪文が終わり、異端の魔法が発動する。


 見た事が無い魔法陣が地面に浮かび上がると、どこからともなく女達の甲高い笑い声がこだまして、魔法陣から無数の黒い手のようなモノが伸びて来たかと思うと、次々と俺の身体に絡み付いてくる。

 そして黒い手のようなモノが触れたところから悍ましい魔力が溢れ出て身体が徐々に侵食されていく。


「ぎぃ……っ、が……あぁ……!!」


「獣が人の形を成すとは神への冒涜だ。二度と人の姿になれぬ術を掛けた。お前は永遠に獣の姿で彷徨うが良い」


 体中を走る激痛に意識が朦朧としている中で、『これは魔法なんかじゃない……呪いだ……!!』と理解したけれど、襲い来る強烈な痛みに耐えきれず俺は意識を失ってしまったのだった。






 ──それから俺が意識を取り戻した時にはすでに神官の男の姿はなく、俺は獣化した状態で倒れていたようだった。

 そして神官の男の宣言通り、獣化を解こうとすると黒い手が阻んできて身体を蝕んでいく。


(……早くマリ兄にあの男の事を教えないと……!!)


 獣化したままの状態は魔力の消費が激しく、このままだと魔力が枯渇して死んでしまうだろう。だから死ぬ前に俺は何とかして帝国へ戻らなければならないのだ。


 そうして力を振り絞って走り続けたある日、とうとう俺は力尽きた。

 連日の走行に疲労が溜まって既に体力は尽きていたし、呪いに蝕まれた身体は悲鳴を上げているしで、ついに限界を迎えたのだろう。


(……ここまでか……ごめん、ハル兄……)


 意識が深い闇に落ちていく感覚にこのまま死ぬんだろうな、と思いながら、俺の意識は闇に飲み込まれていった。




 それからどれぐらい時間が経ったか分からないけれど、深い眠りからゆっくり浮上する感覚がした。

 まだ俺は生きているのかと思いながらぼんやりと微睡んでいると、今まで聞いた事がない、綺麗な女の子の声が聞こえてきた。


「あ! そろそろ目が覚めるのかな?」


 そう言って嬉しそうに俺を見ている少女は、青みがかった銀の髪に宵焼け色の瞳の美しい少女で、雰囲気が何となく聖獣様に似ている気がしたのは、俺が寝ぼけていたせいかもしれない。 


「わぁ……! 綺麗な色……!」


 そっちの方が余程綺麗だろ、と心の中でツッコみながらその少女を眺めていると、外から聞こえてくる声や音に段々意識がはっきりしてきて飛び起きる。


「ガルルルルルルッ!!」


 『ここはどこだ!?』と叫んだつもりだったけど、獣化したままの俺の言葉は人の言葉ではなくて。

 威嚇したつもりなんて無かったのに、銀髪の少女が白髮の少女を背に庇うのを見てズキッと胸が痛む。


(くそ……っ!! 怖がらせたいわけじゃないのに……!!)


 言葉が通じない事がこんなにもどかしいだなんて思わなかった。それによく考えたら獣化したままの俺がどうやってマリ兄に説明できるのか──。


 俺が悔しそうにしていると、銀髪の少女の後ろから子狼が出てきて「わふぅ!!」と俺に向かって吠えてきた。

 その子狼は真っ黒の毛並みに青い瞳で、まるでハル兄が小さくなったかのような姿に俺の視線は釘付けになる。


(……か、可愛いぃーーー!!)


 あまりの可愛さに心の中で悶絶していると、銀髪の少女を守っているつもりなのだろう、子狼は何倍も大きい俺に怯む事なく立ち向かって来た。


「わふぅ! わふわふっ!」


(主人を守るために一生懸命頑張って……可愛いなぁもう……!)


 子供好きでしかもハル兄が大好きな俺に、黒い子狼はめちゃくちゃツボ過ぎた。人型だったら撫で回してもふもふを堪能するというのに……!!


(……って、あれ? 身体が軽い……?)


 俺はふと、子狼に夢中になっている自分に気がついた。それは、いつの間にか俺の心に余裕ができている事を意味していて。

 気を失うまでの俺は瀕死の状態でいつ死んでもおかしくないほどだったのに、心だけじゃなく身体も随分楽になっている。


 その理由はこのテント周辺に張られた結界のおかげだったらしいと後から知った。


 しかもそれは普通の結界ではなく、聖属性を持つ者にしか使えない最上級聖魔法の<聖域>だったのだ。


 そんな希少な聖属性の人間は誰かと思えば、目覚めた時に見た銀の髪の美しい少女その人だという。しかも子狼の主人だと言うではないか。


(なんでこんな森の中に聖属性の人間がいるんだよ……!!)


 世界中の国が聖属性の人間を手に入れたいと狙っているのに、こんな無防備に旅をしているなんて……!!


 しかもこの旅の一団、只者じゃない人間ばかりで、これまた希少な魔眼持ちや鑑定持ちまでいるではないか。

 だから俺の事なんてすぐバレるんじゃないかと思ったけれど、幸いにも俺の事を聖獣様と勘違いしているようで、深く詮索されずに済んで安心した。


 だけど安心したのも束の間、一団の中に帝国の精鋭である飛竜師団員が三人もいると知って驚愕した。


(商会の旅団に飛竜師団員が護衛でつくなんてありえないだろ!)


 更にこの師団員達、マリ兄と連絡を取り合っていて、案の定俺の事がマリ兄にバレてしまう。


 俺が宮殿を抜け出した事にマリ兄は凄くキレているらしく、「絶対に逃がすな」って師団員達に命令しているのを聞いた俺は、どんな恐ろしい罰が待っているのかと想像して戦慄する。


(もうここは大人しくしておこう! 覚悟を決めるんだ俺!)


 遅かれ早かれマリ兄に捕まればただでは済まないのだ。なら最悪の事態になる前に無駄な抵抗はしないに限る。そして心の底から謝罪するのだ。


 そんな風に驚いてばかりの俺だったけれど、一番驚いたのは子狼レグの主人である銀髪の少女──ミアの境遇だ。

 始めはこの旅団を率いる大商会の娘かと思ったけれど、どう見ても平民に見えないし何より聖属性を持っている時点でもう普通じゃない。

 きっと何か訳アリの少女なんだろうと思っていたけれど、俺の疑問はマリカと呼ばれる白髪の少女の一言で氷解する。


「……ミアは自分が帝国皇太子の婚約者なのだと自覚した方がいい」




 ──え!? 何それ。俺聞いてないんだけどっ!?




* * * * * *




お読みいただき有難うございました!


次回のお話は

「188 聖獣様を探して3(アルゼンタム視点)」です。

呪いが解けた理由なんかもちょろっとあります。


更新の日時はTwitterでお知らせします。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る