170 ぬりかべ令嬢、懇願される。

 マーナガルムに襲われた後、私とレグはテントに戻ってもう一眠りしたけれど、モブさんやベンさんは交代の時間になってもずっと起きていたらしい。

 私が起きた時、二人の顔が酷くやつれていたのですごく驚いた。私は疲れが取れますようにと思いながら魔法で出した水を差し入れする。


「えっと、お二人とも大丈夫ですか? まさかあれから何かあったとか……」


 水を飲んだ二人の顔色は少しマシになったけれど、未だ万全の状態ではないその様子に心配になった私が問い掛けると、何かを思い出したらしい二人がブルブルと震えだした。


「……いや、何かあった訳ではないのですが……俺、闇のモノがあんなに恐ろしいモノだったなんて思ってもみませんでした……」


「……寝ようと思って目を瞑ると……あの時の闇の気配を思い出してしまって……怖くて目が閉じられないんです……」


 どうやらモブさんとベンさんはマーナガルムに襲われかけた件がトラウマになってしまったらしかった。


「あんなに大きくて目が沢山ある魔物なんて見たらびっくりしますよね」


 確かに初見でアレはかなり衝撃だっただろう。私が初めて見た闇のモノはドロドロした液体のようなものだったし。同じ魔物でもレグとは雲泥の差だ。


「いやいやいや、形がどうとかじゃないですから! それ以前の問題ですから!!」


「あんな悪意にまみれたこの世ならざる存在を目の当たりにしたら、誰だって恐怖でおかしくなりますよ!」


 モブさん達曰く、闇のモノと遭遇して一番恐ろしいのは、この世全てを憎む悪意──呪いのような怨毒によって魂を穢され、発狂してしまう事なのだそうだ。


「自我が崩壊したまま死んだりなんかしたらと思うと……」


「……今までの自分の行いを悔い改める事すら出来ませんしね」


 モブさん達は輪廻の輪から外されて永遠に闇を彷徨う事になるのを酷く恐れているようだった。私はそんな二人の気持ちを深く理解する。何故なら私は以前、意識を失っている時に見た死後の世界(?)で、たった一人闇の中を彷徨い続けるあの絶望感を体験した事があるからだ。


 闇のモノと対峙した時に感じる根源的な、底しれぬ恐怖はきっと、誰もが無意識下に持つ先天的な記憶──魂に刻まれた記憶のようなものが、その存在を拒絶するからなのだろう。

 だから人々は闇に穢れたモノに唯一対抗出来るもの──聖なるものである聖属性を渇望するのだ。心の平安を守るために。

 だけど聖属性は実質法国の独占状態にあるから、闇のモノを恐れる国々は法国の言いなりになるしか無い。


 ──法国はどうして聖属性の人間を囲い込むのだろう……? 以前から聞いていたけれど、そんな事をして法国に得があるのだろうか? 各国にある神殿に聖属性の人間を派遣すれば人々は安心して暮らせる筈なのに……。


 最近、法国の話を聞く度に違和感を覚えてしまう。何かが歪んでいるような気がして仕方がない。……それが何かははっきりと分からないけれど。


 そんな事を考えていた私の横で、二人の様子を心配そうに見ていたラウさんが困ったように言った。


「お二人がこんな状態になるぐらい恐ろしいだなんて……マーナガルムを見ずに済んで本当に幸運でした。……きっと僕だったら卒倒していたかもしれません」


 帝国の屈強な飛竜師団の人達ですら畏怖するのだから、「天災」と言われるのも納得だ。


「……いや、俺達が卒倒しなかったのは、ミア様の結界が緩衝材のように闇のモノからの怨毒を和らげてくれたからだろう」


「そうですね……アレだけ巨大な闇のモノと遭遇してトラウマで済んだのは運が良かったのでしょうね」


 そう言えばマリカも闇のモノが放つ瘴気で意識を失っていたものね。あのマーナガルムは<穢れを纏う闇>より更に濃い瘴気を放っていたような気がするし……。


「じゃあ、また野営をする時があればもっと強い結界を張るようにします! だから安心して下さい!」


 私はモブさん達が安心して過ごせるように、超強力な結界を張ろうと決意したのだけれど……。


「却下」


「あ、マリカ」


「そんな聖属性バシバシのモノがあったら法国にバレる」


 私の決意は話を聞いていたらしいマリカからダメ出しされてしまう。法国には闇のモノの発生を察知できる魔道具があるらしく、その魔道具が聖属性にも反応する可能性があるかもしれないと危惧してるらしい。


「そっか……じゃあ、また野営する時はどうしよう」


「……ミア、さっきの話を詳しく」


「何だか物騒な話をしていたみたいだけれど、僕にも教えてくれるかな」


「私もユ……ミア様のお話を聞きたいです!」


 レオさん達に指示を出し終えたディルクさんやマリアンヌにも私達の会話が聞こえて来たらしく、夜にあった事を三人に説明する事になった。皆んなが起きてきたら話そうと思っていたので丁度よかったかも。


「えっと、実は──……」


 そうして私はマーナガルムの事を三人に話す。モブさんとラウさんも補足するように説明してくれたのでかなり正確な情報になったと思う。


「そんな大きいマーナガルムなんて聞いた事が無いね。しかも穢れを纏っていたなんて……」


 ディルクさんが知っているマーナガルムの情報は、モブさん達が知っていたものと同じものだった。やはり狼型の魔物だけれど、大きくても精々二メートルぐらいなのだそうだ。私達が見たマーナガルムは五メートル以上あったから、案の定普通の魔物ではなかったらしい。


「もしそんな魔物が現れたなら、国が全兵力を注ぎ込んで討伐に当たらないといけないだろうね」


「「…………!!」」


 私とマリアンヌはディルクさんの言葉に息を呑む。<穢れを纏う闇>は一体でも三つの村を全滅させる程の力があるらしい。それだけでも厄介なのに、ディルクさんの見立てでは昨日のマーナガルムは<穢れを纏う闇>を三体から五体集めたぐらいの力があるだろう、との事だった。


「もしそれが自然発生した魔物だとしたら、かなり危険だね……その発生源を突き止めないと、国が滅んでしまいかねないよ」


 ひえー!! 国が滅ぶって……! でもそうだよね。あんな魔物が次から次へと湧いて来ちゃったら……とんでもない事になっちゃう。


「マリウス様が仰っていた正体不明の魔物があのマーナガルムなのでしょうか」


「レフラの森周辺という話だったが、奴もここまで移動していたのか……それとも別の個体の場合も……」


 モブさん達が不安気にしている。あのマーナガルム以外にも魔物がいるかも知れないと心配なのだろう。

 あのマーナガルム──普通の魔物じゃないから変異体……? かな? 変異体でいいや。その変異体の数は今はまだ多く無いのだろうな、と思う。詳しい事が分からないから想像の域を出ないけれど。


私がマーナガルムの事を考えていると、マリアンヌから抗議の声が出た。どうやらそんな事があったのに自分を起こさなかった事を怒っているらしい。


「ミア様! そう言う時は私を起こして、ミア様はテントで隠れていて下さい! そんな危険な魔物がすぐそこにいるというのにご自身が出ていってどうするのですか!! ミア様にもしもの事があったら私はお屋敷の皆んなに顔向けできません!!」


 いつもはほんわかしているマリアンヌが真剣に怒っている。マリアンヌの言葉に、確かに自分は軽率だったと反省する。


「ごめんね、マリアンヌ。もしこれからも同じような事があったらマリアンヌを頼らせて貰うね」


「……ご理解いただけたのならいいのです。私も大きな声を出してしまい申し訳ありませんでした」


 マリアンヌがしょんぼりとしながら謝ってくる。思わず感情が溢れてしまった事を恥じているのだろう。私からしたら本気で心配してくれるマリアンヌの気持ちがとても嬉しいのだけれど。


「またアレに出会ったりしたら……俺、正気を保てるかな……」


 そんな私達のやり取りを見ていたベンさんが力無さげにポツリと呟いた。モブさんもうーんと何か唸っている。


「……えっと、ミア様はどうしてそんなに平然としていらっしゃるのでしょうか……いや、聖属性をお持ちだから、というのもあるのでしょうが……」


 私も同じ場所で闇のモノと遭遇したのだから、あの恐ろしさを目の当たりにしたのに──と、モブさんは言いたいのだろう。


 うーん、どうしてだろう……? 自分でも分からないけれど、私にとってはあのアードラー伯爵の方がよほど恐ろしかった。伯爵に比べたら魔物の変異体なんてまだマシだなって思ってしまう。


「そうですね、それは私がきっとあの変異体よりもっと恐ろしいものを知っているからかもしれません……」


 ……あの時体験した恐怖と痛みが、私の感覚を麻痺させてしまったのかもしれない。


 そんな私の言葉に何かを察したのか、モブさん達がギョッとしている。


「マリカも闇のモノと対峙したけど……大丈夫かな? 思い出すと怖い……よね?」


 ディルクさんがマリカの事を心配する。マリカの心に傷が残っているのではないかと気になっているのだろう。


「私は大丈夫。それにミアのお守りがあるから──……」


「……!! は? ミア様のお守り!?」


「え、何ですかそれ!!」


「ぼ、僕にも!! 僕にもそのお守りをっ!! ミア様ーーーーっ!!」





 …………えぇ〜……。


 いや、お守りが欲しいと言われればそりゃもちろん作りますけど……でも私に向かって拝むのは止めて欲しいです。立派な体格をした飛竜師団の三人に跪かれて懇願されるのはすごく怖い。


「……今ココにミア教が誕生した」


 ──ちょ、ちょっと!? マリカは何て事言うのーーーー!! やーめーてー!!




* * * * * *



お読みいただき有難うございました!


次のお話は

「171 ぬりかべ令嬢、お守りの効果を知る。」です。


そんな次回の更新ですが、ストックが後二話分しか無いので、ある程度貯まるまで更新をお休みませていただきます。

週刊でなくなってしまい申し訳ありません!

再会した暁にはどうぞよろしくお願いいたします!


早いもので、書籍版1巻が発売されて一ヶ月になろうとしています。

早いと言ってますが、自分的には一年前の出来事のようです…_(┐「ε:)_


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