147 解体へ

 ナゼール王国の王宮にある王太子の執務室。

 マティアス王太子の補佐で、次期宰相に選ばれているエリーアス・ネルリンガーの机の引き出しには、長い間未処理状態となっている書類が一枚だけ残されていた。それは優秀で仕事が早いエリーアスにしては珍しい事だった。

 エリーアスの机の上は綺麗に整頓されており、無駄なものは何一つ見当たらない。ただ、その未処理の書類だけがその中で異質であった。


 エリーアスは引き出しからその書類を取り出すと、難しそうな表情で書かれている内容に目を通す。

 いつも飄々と書類仕事をこなすエリーアスを知っている者がそんな彼の様子を見れば、余程難解な書類だと思うだろう。


 左手に書類を持ち、机に右肘を付いた手を顎にあてながら考え込むエリーアスの下に、彼の部下がやって来てユーフェミアの目覚めを告げる。


「エリーアス様、ウォード侯爵令嬢が目覚められたそうです」


「……わかった。ウォード侯爵にすぐ伺うと伝えてくれ」


 エリーアスが指示を出すと、部下は「はい」と告げて退出して行った。エリーアスは先程まで見ていた書類をもう一度引き出しに戻すと、ユーフェミアを休ませていた来賓用の部屋へと足を向ける。



 ユーフェミアとテレンスが居る部屋の扉をノックしたエリーアスは、テレンスに入室を許可されると、「失礼します」と言って部屋に入った。

 部屋の中には先程伝言を頼んだ文官と、年配の侍女長が部屋の端で待機している。文官と侍女長は職務に忠実で口が固く、エリーアスが信頼する優秀な者達だ。


 部屋を見渡すと、まだベッドで休んでいるだろうと思っていたユーフェミアは既に起き上がっており、テレンスとソファに座って話し合っていた様だ。これからの身の振り方でも相談していたのだろう。


「お加減はいかがですか」


 エリーアスはユーフェミアに向かって声を掛けながら様子を窺う。

 帝国皇太子レオンハルトの重傷を知らせた時は顔を真っ青にして倒れてしまったが、今のユーフェミアの顔色はまだすぐれないものの、ショックからは回復したらしく、美しい紫水晶の瞳は輝きを取り戻している。


「みっともない姿をお見せして申し訳ありません。私はもう大丈夫です」


 はっきりとした口調で応えるユーフェミアの様子に、エリーアスは彼女の芯の強さを知る。


「それなら良かったです。でも、どうか無理はしないで下さいね……と、言いたいところなのですが……」


 エリーアスは思わず口籠る。

 先程、元老院からユーフェミアへ出された通達の内容を、本人達へ伝える役目を何故か押し付けられてしまったのだ。

 ユーフェミア自身はもう大丈夫だと言っているものの、伝えるのを憚ってしまうのは仕方がない事だろう。


「ウォード侯爵、お二人に元老院から通達が来ているのですが、お伝えしてもよろしいでしょうか」


 エリーアスの言葉に、テレンスはやれやれと呆れ顔だ。


「全くあの老が……老人達には苦労させられるねぇ。アーベルの次は君か。直接僕の所に来りゃいいものを」


 元老院の貴族達にとって、テレンスは恐怖の対象らしく、彼に何かを通達する時はいつも宰相である父に頼んでいたのをエリーアスは知っている。


「もう王国にあんな古いしきたり要らないよね? 君もそう思わない?」


「ええと、それは……まあ、確かに」


 元老院の解体は自分以外の文官達も常日頃から思っている事だ。ただ、王国では元老院の権力が強過ぎて実現不可能ではあるが。


「これからは僕も騎士団員として王宮に務める事になるし……快適な職場のためにも、要らないものはさっさと捨てるに限るよね」


 テレンスは団員と言ってはいるが、実質騎士団長に就任する事が決まっている。

 騎士団ではテレンスが再入団する事を団員全員が大いに喜んでいるらしく、復帰する日を今か今かと待ち構えているらしい。


 もしテレンスが本気でアールグレーン領に戻るつもりなら、誰にも止める事は出来なかっただろう。テレンスはユーフェミアを影から支えるために、敢えて騎士団長という肩書を持つ事にしたのだ。

 王国内で権力を持ち、改革を進めるために──そして、それがいつか巡り巡ってユーフェミアの幸せに繋がると信じて。


「……程々にお願いします」


 王命ですら彼にとってはお小言と同等なのに、今回珍しく従ったのは、ただの口実だという事をエリーアスは父から聞いている。あくまで憶測だと付け加えられてはいるが、きっと本当の事なのだろうとエリーアスは思っている。


「ははは。そんな酷い事はしないよ。で、元老院はなんて言ってるの? 大体の予想はつくけどさ」


 テレンスに促され、エリーアスは元老院からの通達を伝える。しかし、その内容は先日アーベルから告げられた内容と何一つ変わらない事に、テレンスは呆れたのか深い溜め息をついた後、勢いよく立ち上がって言った。


「うん、今すぐ解体しよう! そうしよう!」


「えっ……!? お父様?」


 突然立ち上がって物騒な言葉を言った後、扉へと向かう父親の背中に、ユーフェミアが慌てて声を掛ける。

 ユーフェミアにとって、元老院からの通達は元々そのつもりの内容であったが、テレンスにとってはそうで無かったらしい。それどころかテレンスの逆鱗に触れた様だった。


「僕はちょっと行ってくるから、ミアはここで待っててね! すぐ終わらせてくるよ!」


 まるで買い物にでも出かけるような口ぶりのテレンスに、ユーフェミアとエリーアスが呆気に取られている少しの間に、テレンスは部屋からヒョイッと出ていってしまった。





* * * あとがき * * *


遅くなりましたがあけましておめでとうございます!

本年もどうぞよろしくお願いいたします!

昨年は沢山の方にお読みいただけて嬉しかったです。

本当にありがとうございました。

後二話で第一部完結です。

引き続きお付き合いのほど、よろしくお願いいたします。

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