113 この世界の裏側で──ヴェステルマルク魔導国

 かつては類まれなる技術を以て、世界中にその名を轟かせていたヴェステルマルク魔導国。

 画期的な魔道具を発明し、人々の暮らしを豊かにした魔導国は、世界中の国から尊敬され、かつてはその卓越した魔法技術によって栄華を誇っていた。

 しかし、魔導国は何時からか自分たちの技術力に胡座をかき、技術提供を笠に後進国に対して高圧的な態度を取るようになってしまった。そのため、小国を中心に猛反発を受け、丁度その頃台頭してきた帝国に技術力で迫られ、更にその帝国が小国を保護し出した為に、その地位を失墜させる事となる。

 

 昔ほどの勢いは無くしたものの、新たな魔道具を発明し続けている魔導国は「三大国」に名を上げられる程、未だに国力が高い。

 そんな魔導国最高レベルの頭脳が集まる中枢機関──国立魔道研究院で、一年程前に院長の交代があった。

 

 新しく院長に就任したのは、アーヴァイン・ワイエス──弱冠二十歳の、天才と名高い青年だ。

 

 アーヴァインはその頭脳だけでなく家柄と容姿にも恵まれており、穏やかな気性も相まって老若男女問わず人気がある。

 少し長めの淡い金の髪に新緑を思わせる穏やかな緑色の瞳、いつも優しげな微笑みを浮かべている姿は神々しくもある。

 そんな彼の周りには常に彼を慕う者が溢れ、彼に心酔し、少しでも彼に近付こうとする学生や研究員が増えてきて、ここ最近の国立魔道研究院のレベルは急上昇している。

 

 いつも人に囲まれている人気者のアーヴァインだが、彼には一部の者しか入室する事が許されていない部屋がある──それは国立魔道研究院の最上階最奥にある院長室だ。

 この部屋に居る時だけは、顔に笑顔を貼り付ける必要が無い、素の自分でいられるのだ。

 

 アーヴァインは高級そうな作りの院長席に座り、窓から外の風景を眺め、溜息をつく。

 先程まで研究員達に質問攻めにされていたが、ようやく解放されてこの部屋に戻ってきたのだ。

 

「……やれやれ。良い人の真似をするのも疲れますねぇ」


「院長お疲れ様です。お飲み物をどうぞ」


 アーヴァインのこれまた高級そうな机の上に淹れたてのお茶が置かれる。この紅茶も高級な茶葉を使って丁寧に淹れられたのだろう、瑞々しくも爽やかな香りと、甘く、かすかにスモーキーな香りが院長室に広がっていく。

 

「有難うございます、コーデリア」

 

 アーヴァインにコーデリアと呼ばれた女性は院長付きの秘書で、魔道具の作成には携わっていないものの、多忙な院長のスケジュールや仕事の割り振り、体調管理などその業務は多岐に渡る。しかしアーヴァインに心酔しているコーデリアは全く苦に思っていないらしく、それどころか光栄とばかりに毎日イキイキと仕事をしている。

 

 アーヴァインがお茶を一口に含むと、滅多に人が近づかない院長室のドアを叩く音がする。

 コーデリアが「はい」と返事をすると「イリネイです」と声が聞こえ、コーデリアが扉を開くと、そこには国立魔道研究院副院長のイリネイが疲れ果てた姿で立っていた。

 

「やあ、副院長。今回は随分と大変だったようですね」


 イリネイは王国でアードラー伯爵にマリカの誘拐を依頼したものの、そのアードラー伯爵は犯罪組織ごと潰されてしまい、結局マリカは手に入らず、更に有能な研究員であったエフィムまで失ってしまい、散々な目に合ってきた。

 

「……この度はとんだ失態をしでかしてしまい、誠に申し訳ございません」


 イリネイは深々とアーヴァインに頭を下げる。

 

「うーん、今回は帝国の介入があったのでしょう? ならば仕方がありませんね。私は副院長まで捕まらなくて良かったと思っていますよ」


「……勿体無いお言葉、有難うございます」


「でも、エフィム君は残念でしたね。彼の術式復元の才能は中々のものでしたし、私は結構彼に期待していましたので」


「はい、まさか彼が亡くなるとは……」


 エフィムがアードラー伯爵にマリカの身柄の保証を訴えた時、まさかエフィムが死ぬ事になるなど予想もしていなかったイリネイは、貴重な頭脳の損失に酷く後悔していた。

 

「それで、エフィム君が復元に成功したという<呪術刻印>の方はどうでしたか? 何か情報は残っていませんでしたか?」


「はい、アードラーの屋敷は破壊されており、王国の衛兵達が見回っておりまして、エフィムの研究資料などの回収が出来ませんでした」


「そうですか……それは残念ですね。折角法国の秘儀の一つが手に入ると期待していたのですが」


 アーヴァインがガックリと肩を落とす姿を見て、イリネイは慌てて持って来ていた書類をテーブルの上に置いた。

 

「院長、落ち込まずにまずこちらをご覧下さい。エフィムからの経過報告書なのですが、少し気になる記述がありまして」


「……ほう?」


 イリネイが広げた書類は、エフィムがアードラー邸で<呪術刻印>の研究をしていた時、研究院に進捗状況を報告する為に書かれたものであった。

 

 アーヴァインはその書類を手に取りざっと目を通していくと、ある部分に目を留める。

 

「……これは中々興味深いですね。意識が無い状態で結界を展開する……しかも条件付きで特定の人物しか入れないとは」


「そうなのです。これが魔道具の効果なのか、予めこの少女が自分に掛けていた防御型術式なのか、あるいは……」


「無意識下に於ける自己防衛本能に基づく自動発動型術式……ですか。たしかに興味深いですね──この『ミア』と云う少女は」


 アーヴァインは形の良い顎に手を当てて思案する。見た目が良いのでそんなふとした仕草も随分様になっている。

 

「このミアと云う少女はマリカと一緒に連れて来られたとの事ですが、この二人は知り合いですか?」


「……恐らく。アードラー伯爵が見目の良い女がいれば一緒に連れてくるように指示したと聞いています。であればこのミアと云う少女もランベルト商会の関係者と考えた方が良いかと思われます」


「またランベルト商会ですか……」


 アーヴァインはうんざりした顔で溜息を吐く。彼のこんな表情はこの部屋の中でしかお目に掛かれないだろう。

 しかしアーヴァインが溜息を吐きたくなる気持ちがイリネイには嫌という程理解出来る。それぐらいその商会の名は嫌という程耳にしているのだ。

 天才魔道具師と誉れ高いマリカを招致する為に研究員の人間を何度も派遣しているにも関わらず、その全てが空回りで終わっている。近隣国とはいえ、その移動にかかる費用も馬鹿にならない。

 そんな事を考えているのか、アーヴァインはその柳眉をわずかに顰める。

 

「それで、商会の研究棟には闇のモノを浄化する結界が張られていた、と?」


「はい。マリカを拐うためにアードラーが放った闇のモノが一体浄化されたらしく、後日三十体程の闇のモノを引き連れ向かったらしいのですが、その殆どを浄化されてしまった様です」


「……闇のモノを浄化するとは、かなり強い聖魔法ですね。そのミアと云う少女の仕業でしょうか」


「しかし、その少女がアードラー邸で発動させた結界は風属性の様ですが」


「もしかして二属性持ちの可能性がありますね。聖と風の二属性ならかなり貴重な人材です」


 風属性はともかく、聖属性の人間は滅多に現れない。現れたとしても法国が直ぐ様囲い込んでしまうからだ。それは八歳になると全員が受ける事になっている魔力判定の儀に於いて聖属性が判明するから、と云うのもあるのだが。


「まだ法国が気付いていない聖属性の少女……しかも二属性持ち、是非ともわが魔道研究院に欲しい人材ですね」


 アーヴァインは椅子に深く腰掛けその長い足を組むと、両手を膝の上で組んで背もたれに沈むように凭れてから目を閉じる。そうしてじっと動かず、考え事をしている様子はまるで精巧な人形が眠っているかのように美しい。

 

 そんな院長の様子に、ランベルト商会で見たマリカを重ねたイリネイは、マリカの事で報告しなければならない事を思い出す。

 

「院長……その、大変申し上げにくい事なのですが……」


 イリネイの戸惑う気配に目を開いたアーヴァインはその視線でイリネイに話の続きを促す。

 

「マリカが帝国の宮廷魔道具師の座に就いたと報告が……」


 イリネイから話を聞いたアーヴァインは目を見開いた後、手で顔を覆い、笑い声をあげる。

 

「……っは! あははははは! また帝国に出し抜かれたって? さすが『帝国の黒狼』……いや、『帝国の狂犬』ですね! 鼻が良すぎるのにも程があるでしょう!」


 ひとしきり笑ったアーヴァインは、もう落ち着いたのか、背もたれから身体を起こし、机の上に肘を乗せ手を組んだ。思考を切り替える時の彼の癖だ。

 

(今回の帝国の介入はマリカを宮廷魔道具師に迎え入れるため……? そのマリカが拐われたから、帝国からわざわざ奪還しに来た……? 皇太子自ら……? だとしてもあまりにもタイミングが良過ぎるな。ならば以前から話が進んでいたのか……? いや、もしかすると……そのミアと云う少女が何か関わっている可能性もある……?)


 アーヴァインは頭の中で得たばかりの情報を潜考していく中、「ミア」が何かの鍵を握っているのでは、とふと思い付く。それはただの勘でしか無いのだが──。

 

「──ミアと云う少女の特徴はわかりますか?」


「それが……紫の瞳の少女で、見目が良い事ぐらいしか報告書には書かれておりませんでした」


 紫の瞳は珍しくないので、それを元にミアを探すのは至難の業だ。せめて髪の色でも分かれば候補は絞れたのだが。

 

「うーん、これはしばらくランベルト商会を見張る必要がありますね……」


「では院長、すぐにでも王国へ人員の派遣手続きを取りましょう。副院長、人選をお願い致します」


 アーヴァインの言葉に、コーデリアが早速とばかりに声をあげる。流石は院長付きの秘書として、激しい競争率の中から勝ち抜いてきた事だけはある。


「……あ、ああ。わかった」


 イリネイとコーデリアは「失礼します」と礼をとり、院長室から退出して行った。


 静寂に包まれた一人だけの広い部屋で、アーヴァインがポツリと呟く。


「……ホント、帝国って目障りだなぁ。特にあの皇太子……潰すか」



* * * あとがき * * *


お読みいただきありがとうございます。


次回のお話は


「114 ぬりかべ令嬢、取り戻す。」です。


どうぞよろしくお願いいたします!

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