78 ぬりかべ令嬢、闇に捕らえられる。8

 自分で腕を切り落としたその光景に、私とマリカは戦慄する。


 切り取られた腕ごと床に落ちた炎の蛇は、腕を燃やし尽くすとそのまま消えていった。


 アードラー伯爵が傷口から黒い靄の様なものを出すと、勢い良く流れ出ていた血がピタリと止まる。闇魔法を止血に使ったようだ。


「……っ! ちぃっ! くそぉ!! くそぉ!! 忌々しい『聖眼石』がぁっ!!」


 常に余裕の態度を崩さなかったアードラー伯爵が、初めて本性を現した。

 肩口から流れていた血を巻き散らかしながら、アードラー伯爵が私達に怒鳴る。


「その石を何処で手に入れたぁ!? 火輪の結界と言い、ミア!! お前の仕業かあっ!!」


 アードラー伯爵がぎょろりと眼球を動かし、血走った目で私を睨みつける。


「……っ! まさか、アルムストレイムが探していたのはお前かっ!?」


 いつものねっとりとした視線と違う鋭い視線にたじろいでしまうけど、今のこの機会を逃すわけにはいかない!!


 私は激痛を堪えながら、マリカの腕を掴んで結界の中に引きずり込む。痛くない場所を探すのが難しいぐらい、私の身体は痛みに悲鳴を上げている。もうそろそろ身体が限界かもしれない。


「初めから解っていれば法国に売り飛ばしたものをっ!! 糞があっ!!」


 マリカが結界内に入ったため、手出し出来なくなったアードラー伯爵が、歯噛みして悔しがる。

 そして、直ぐ近くにあった椅子を無事な方の手で掴むと、思いっきり力を込めて私達に投げつける。


「ドゴオォン!!」


「「きゃあああああ!!」」


 凄まじい速さで結界に激突した椅子が、結界の反射と相まって木っ端微塵に砕け散る。その衝撃に部屋全体が振動に震えているようだ。

 立派な作りだった椅子が原型を留めていない程破壊されているその威力に、結界が守ってくれるとは解っていても、あまりの恐怖に叫び声をあげてしまう。


 それにしても普段のアードラー伯爵からは予想も付かない身のこなしだった。もしかするとアードラー伯爵は何処かで戦闘訓練……もしくは武術を修めていたのかもしれない。


「……ふぅーっ! ふぅーっ! ふぅーっ!」


 かなり興奮しているのか、肩で息をしながらアードラー伯爵がにじり寄ってくる。


「……つい私とした事が、我を忘れてしまいましたよ……怖がらせてすみませんねぇ」


 先程よりは少し落ち着いてきたのか、いつもの人を見下すような目に戻ったアードラー伯爵が猫なで声で話しかけてくるけど、ただ不気味なだけで逆効果だ。


「……さあ、もう良いでしょう? 早くそこから出て来ましょうねぇ? たぁっぷりと可愛がってあげますからっ! もし自分から出て来ないとお仕置きですよおぉぉぉぉ!!」


 そう叫びながらアードラー伯爵は残された腕でガンガンと結界を叩く。伯爵が結界を叩く度に「バチバチバチィッ!!」と光が迸る。

 腕を振り上げながら絶叫している様は悪鬼の如き存在に見える。


 私とマリカは結界の中で小さくなり、ただ震えることしか出来ないでいた。


「……全く、強情なお嬢さんだ。……仕方ない、アレを使いましょうかねぇっ!!」


 何度殴りつけても壊れない結界に痺れを切らしたアードラー伯爵が、胸元をゴソゴソしたかと思うと、黒い水晶玉のようなものに閉じ込められた「穢れを纏う闇」を取り出し、床に思いっきり叩きつける。


「パリイィーーン!!」


 水晶玉が割れた瞬間、空気が変わり、空間が歪んだような錯覚に囚われる。

 この世に顕現できた悦びを体現するかのように、勢い良く闇が広がって行くと、赤黒い光が結界の上を縦横無尽に走り回り、徐々に結界を侵食していく。


 以前、ディルクさんが言っていた「お化けの方がまだ可愛いかも」と言う言葉の意味を、私は今初めて理解した。


 ──コレはこの世の生きとし生けるもの全てを憎んでいる存在だ。生命の輝きに憧れながらも憎悪する、輪廻の理から外されたモノの末路。


 私はふと、こんな時なのにお父様の言葉を思い出す。


『赤ちゃんが生まれた時に泣くのはね、お母さんのお腹の中が天国だからだよ。天国から出たくないから泣いてしまうんだ。でも逆に、笑い声をあげながら生まれてきたものは──……』


 絵本を読んでくれた後にそんな事を言うものだから、小さかった私は怖くて怖くて、怒りながら泣いてしまったっけ。

 その後お父様はお母様にこっぴどく叱られて、何度も何度も私に謝ってくれたけど、結局お化け嫌いは直ることは無かったんだ……。



 部屋の中を赤黒い光と白い光が鬩ぎ合う。

 闇が生き物のようにうねりながら白い光を飲み込もうと襲いかかると、白い光が明滅しながら次第に弱くなっていく。


 ああ、もう結界が持たない──!!


 明滅していた光が完全に消えると、空間にガラスが割れた時のような亀裂が入り、あっという間に広がって行く。

 そして、「パリンッ」と音をたてると、光の粒子になって消えて行った。


 その様子を呆然と見つめていた私とマリカに、耳障りな笑い声をあげながら、アードラー伯爵が近づいてくる。


「ふははははっ! 遂にっ! 忌々しい結界が消えましたねぇっ!! もう貴女を守るものはありませんよおぉ!!」


 アードラー伯爵が私の腕をつかもうと腕を伸ばす。全身の痛みを耐えるのに精一杯な私にはその腕を払いのける力もない。


 怖くてぎゅっと目を瞑った私の直ぐ近くで、「ドンッ!!」という音の後に、「うがぁっ!!」と叫ぶアードラー伯爵の声がした。


 恐る恐る目を開けると、床に転がったアードラー伯爵と、私を守るように立ち塞がるマリカの姿があった。

 きっとマリカが私を守るために、アードラー伯爵を突き飛ばしてくれたのだろう。


「こぉんの小娘があぁ!!」


 アードラー伯爵がすかさず立ち上がりマリカに向かって突進する。


「邪魔するなあぁあ!!」


 しかし、「聖眼石」を恐れたのか、マリカを捕まえるような事はせず、マリカのお腹を殴り飛ばした。


「──っ!」


 マリカは咄嗟に後ろへ飛んで威力を減らしたようだけど、それでもかなり強い力で殴られてしまい、部屋の壁に身体ごと激突する。


「──がはっ!!」


「マリカッ!!」


 壁にぶつかった衝撃によってマリカは気絶してしまったらしく、マリカの身体がズルズルと崩れ落ちる。


 そして私のもとに、マリカに触れたからか手にひどい火傷を負ったアードラー伯爵が近づいてきた。


「これで邪魔者は居なくなりましたねぇ。さあ、どうお仕置きしてあげましょうねぇ?」





* * * あとがき * * *


お読みいただきありがとうございます。


次のお話は

「79 ぬりかべ令嬢、闇に捕らえられる。9」です。


やっと次で終わりです。もうちょっとの辛抱だ!


どうぞよろしくお願いします!

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