69 忍び寄る闇

 すべての窓が閉じられたうす暗い部屋の中で、女の荒い息遣いと、くぐもった声が聞こえてくる。


「あぁ……っ! ぐうっ!! がっ、があ”ぁ……!!」


 微かな光に照らされた部屋の片隅では若い女が椅子に座らされ、身体を拘束具で固定されており、口には舌を噛まないように猿轡を噛まされている。


 その女の額には赤黒い魔法陣が浮かんでおり、その図形の色も形も一目でマトモじゃないものだとわかる。


 拘束された女は絶えず苦しげな声を上げているが、身体には目立った傷もなく、拘束具以外に身体を苦しめていそうなものは見当たらない。


「うん、ほぼ完成かな」


 その場には不似合いな明るい声で、エフィムは満足そうに頷いた。


 そして未だにうめき声を上げている女の額に指で触れると、赤黒い魔法陣がすうっと消えていき、その途端、全身の力が抜けたように女の身体が弛緩する。


 エフィムは女に嵌めていた猿轡を外し、女の様子を観察していたが、精神がかなり消耗しているらしく、目にはもう何も映していない様だった。

 それでもまだ意識はあるようで、女は荒れて乾ききった唇から、か細い声を漏らす。


「……こ…………し……て……」


 その消え入りそうな声が発した言葉の意味を、エフィムは正確に理解すると、爽やかな笑顔を浮かべて言った。


「え? 殺してほしいって? うーん。今はまだ無理かな。まだまだ試したいことがいっぱいあるし、君にはもうちょっと役立って貰うよ」


 エフィムの言葉は女にとって、ただの絶望でしか無かった。


「だから頑張ってね」


 こんな状況でなければ、見惚れてしまう様な笑顔と言葉に、女の精神は限界を超えたのか、悲痛な叫び声を上げる。


「いやぁ! いやぁ! うあああああぁ! あ”あ”あ”あ”あ”あ”ぁぁぁ!!」


 女の叫び声に、エフィムはうんざりしたような表情を浮かべると、再び女の額に指で触れる。

 すると、女の声がピタリと止まり、かくんと首が落ちる。エフィムが女の意識を刈り取ったのだ。


「……本当は別の人間で試してみたいんだけど……まあ、贅沢は言えないよね」


 本来なら禁止されている人体実験を、心置きなく出来る環境のおかげか、エフィムがアードラー伯爵から再現を頼まれていた<呪術刻印>は、驚異のスピードで解析され、形になっていった。

 これは本来のエフィムが優秀だったというのもあるが、魔導書に精神汚染されたエフィムの理性が崩壊し、ストッパーが無くなってしまったというのも原因だ。

 本来ならためらう様な事でも、エフィムは躊躇なくやってのけるようになってしまった。


「人体実験の禁止は技術革新の弊害だよね。魔導国でも採用すればいいのに」


 エフィムがぼやいて居るところに、アードラー伯爵がやって来た。


「やあやあ、エフィムさん! その後進捗はいかがですか?」


「伯爵、丁度良い所へ。再現の方はほぼ完了しましたよ。後は微調整ぐらいです」


「おお! おお! それは素晴らしい! では、今すぐ例の人形を取りに行きましょう!」


 <呪術刻印>を試したくて仕方がないのか、アードラー伯爵はこれからマリカを拐って来るという。


「え!? 本当に今からですか?」


「ええ、ええ! 今の私はとても機嫌が悪くてですね、何かで発散させないと気が晴れないのです!」


 そう言った通り、今日のアードラーは何かイライラしているようだ。何が有ったか聞いても大丈夫かとエフィムは思ったが、聞く前に伯爵が自分から話しだした。


「ユーフェミアとの婚姻届が却下されてね! 予定が狂ったんですよ! 全く! ネルリンガーの倅が余計な真似を!!」


 ネルリンガーとはこの国の宰相だったか、とエフィムは思い出す。

 その息子が何かしたのだろうが、伯爵の邪魔をするとは馬鹿な奴だとエフィムは鼻で笑う。


「おい」


 アードラー伯爵が空に向かって声を掛ける。一瞬自分に言われたのかと思ったが、視線が別方向に向いていたので、エフィムもそちらの方に視線を動かすと、いつの間にか黒いローブを纏った人のようなものが立っていた。


「うわっ!」


 その不気味な姿と雰囲気に、思わずエフィムは声を上げてしまった。

 しかし、アードラー伯爵とローブ姿のものは気にも留めていないようだった。


「今から例のものを持って来い。前回のような失敗はするな。念には念を入れて、三十体ほど連れて行け」


 アードラー伯爵の言葉にエフィムは驚いた。


(三十体……!? もしかして闇のモノを三十体も連れて行くというのか……!?)


 「穢れを纏う闇」は法国が使徒を派遣してまで殲滅させる存在だ。

 それは「穢れを纏う闇」が一体で三つの村を壊滅させる程、凶悪な力を持っているからだ。

 そんなものが三十体もいれば、この王都でも無事で済むかどうか……。


「伯爵! 僕も連れて行って貰えませんか?」


 エフィムは思わずアードラー伯爵に頼み込む。実際マリカが無事に連れて来られるか心配になったのだ。


「ほうほう……」


 アードラー伯爵はそんなエフィムを楽しそうに眺めながら、少し考えると、笑顔で許可をだした。


「良いでしょう、是非同行いただき、マリカさんをお連れ下さい。あ、ついでに若い女が居たら一緒に連れて来てくれませんか?」


「わかりました! ありがとうございます!」


「では、エフィムさんにもこの魔道具をお貸ししましょう」


 アードラー伯爵はそう言うと、小さい箱からペンダントを取り出した。


「前回は情報も無くて闇のモノを消されてしまったでしょう? 恐らく聖水か、結界が邪魔をしたと思うのですよ。これは『裏切りのメダイユ』と言いましてね。邪念を持つ者でも聖なる結界に入れると言う優れものですよ! それに瘴気に當てられることもありません!」


 アードラー伯爵からペンダントを受け取ったエフィムは「裏切りのメダイユ」と言う魔道具をじっくりと確認する。

 なにかの術式が刻まれた丸く平べったい金属の板に、鎖が付いているだけのものだ。

 しかし、魔導国では見たことがない魔道具で、しかも刻まれた術式も初めて見るものだ。


 (これはもしかして……法国が秘匿している術式……!?)


 下手な詮索はしない方が良いと身を以って知っているエフィムは、その事に何も触れずにアードラー伯爵にお礼を言った。


「こんな貴重なものをありがとうございます。しばらくお借りします」


「うんうん、楽しみに待ってますよ」


 そしてエフィムは「穢れを纏う闇」を使役するのであろう、仮面の人物とランベルト商会へ向かったのだった。





* * * あとがき * * *


お読みいただきありがとうございます。


投稿予約時間間違ってました!すみません!!


前の話の裏側でした。しかし伯爵は色んな便利道具持ってますね。


次のお話は

「70 闇に捕らわれたもの」です。


別視点の続きです。


近況ノートで更新日時をお知らせします。

どうぞよろしくお願いします!

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