68 ぬりかべ令嬢、闇に襲われる。
「穢れを纏う闇」の襲撃を受けてから一週間が経った。
あれから何事もなく平和な日常が続いていたけれど、今、ランベルト商会にはそれとは別の問題が持ち上がっている。
……まあ、問題というのとは少し違うんだけど、その問題の内容がディルクさんとマリカが帝国の本店へ戻る事になった、と言うものなので、店の中は上から下まで大騒ぎなのだ。
ディルクさんの後継には、今まで副店長だったエッカルトさんが正式に店長に昇格するとの事。
エッカルトさんは、実質的なお店の業務を取り仕切っていたし、経営的に問題は無いから大丈夫だけれど、ディルクさんが居なくなる事に従業員全員ショックを受けている。
何だかんだ言って、ディルクさんは従業員皆んなの精神的支柱だったんだな、と実感する……本人は謙遜しているけれど。
でも寂しいなあ……私はまだここで働き始めたばかりだったけど、それでも私にとって二人の存在はとてつもなく大きいのだ。
マリカとも友だちになれたところだったのに……。
私が研究棟の隅っこの方で、沈みゆく夕日を見ながらションボリしていると、マリカが心配して声を掛けてくれた。
「ミア、また会おうと思えば何時でも逢えるから」
……うう、こんなに可愛くて優しいマリカが居なくなるなんて……!
これからはまた一人であの部屋を使うのか……魔法のベットを見る度にマリカを思い出して泣きそうだ。
……そう思っていたら、何とあのベッドは分解して帝国まで持っていくらしい。
「あのまま置いて行くのは……さすがに無理」
あ、はい。すみません。私のせいですね。
「ベットが無くなると部屋が広くなるね……更に寂しくなりそう」
「……? うん。でもあの部屋はしばらく無人の予定」
マリカの言葉に驚いた。
「え!? 私あの部屋を追い出されてしまうの!?」
驚いた私の顔を見たマリカがやれやれと言いたげに溜息をついた。
「……ミア、何か誤解してる」
「?? 誤解?」
何のことかよく解っていない私に、マリカが教えてくれた事によると……。
「ミアも私達と一緒に行くに決まってる」
えっ!?
「そ、そうなの……?」
「そう」
えーと。それって喜んで良い事なのかな?
元々、ハルに逢うために帝国に行きたかったけど、まだまだ時間が掛ると思っていたから正直戸惑ってしまう。
「ミアを置いていくなんて……心配。無理」
マリカ……! 私の事をそんなに心配してくれるなんて……!
「何をやらかすかわかったもんじゃない。目の届くところに居てもらわないと安心できない」
そっちの心配ね! 解ってたよ! 予想はついていたよ! 反論の余地ないよ!!
「……それに、ミアと離れるの寂しいし」
ぐはっ! 私の心臓が! きゅうぅんって! これがマリアンヌが言っていたツンデレ……!? 予想以上の破壊力……!
……ふぅ。やれやれ。確かにかわいいは正義だわ。マリアンヌ、今まで疑っていてごめんね!
「でも、私もマリカやディルクさんと離れるのは寂しかったし、ハルにも早く逢いたいから一緒に行けるのは嬉しいけど……一気に三人も抜けて大丈夫なのかな……?」
この研究棟もリクさんとニコお爺ちゃんだけになるのは寂しいだろうし。
「人員に関してはディルクが手配するみたいだから大丈夫」
「そっか、なら大丈夫だね」
いつか、此処から去る日が来るのなら、早いうちに離れた方が良いのかもしれない。
まだ此処に来て一ヶ月だという事が信じられないほど、この場所は私にとってかけがえのないものになってしまった。
これ以上ここに居ると、離れがたくなってしまう。
それに、とうとうハルの居る帝国へ行けるんだ! すぐに逢えるなんて甘く考えてはいないけれど、少しでもハルに近づけることが嬉しい。
そうだ! 私も一緒に行くのなら、荷造りしないと! それからお屋敷の皆んなに王国を離れることの報告に、化粧水やマッサージオイルを送ってあげたい。それから、デニスさんとダニエラさん、そろそろ結婚の話が出てるかもしれないから、何かお祝いしたいし……。
色々やることが一杯で、予想以上に時間がない事に気が付いた。
「マリカはもう準備して──」
マリカに声を掛けようとしたその時、脊筋を刃物か何かで撫でられたような、凄まじい気配に襲われた。
──この気配はマリカの部屋で感じたものと同じだ!
もしかして、「穢れを纏う闇」が再び襲ってきたの……!?
もしそうなら何かがおかしい。私の<聖域>は確かに発動している筈なのに──!!
「穢れを纏う闇」の狙いはマリカだ!! マリカは大丈夫なの!?
先程まで、マリカが居た場所を見ると、マリカが倒れているのが見えてゾッとする。
「──マリカ!!」
慌ててマリカの傍まで行き、マリカの状態を確かめると、意識は無いものの、呼吸はしっかりしていたので安心する。
ふと、マリカの手首を見ると、ディルクさんに貰ったブレスレットが淡い光を放ち、マリカを包むのを見て、お守りは無事発動したのが解った。
少なくともマリカは大丈夫だろう。ディルクさんのお守りが守ってくれるはず……!!
「でも、一体どうなっているの……!?」
訳がわからず、窓の外を見てみると、ついさっきまで見えていた夕焼けの空が、真っ黒なナニカに塗りつぶされていた。
部屋中を見渡すと、窓という窓全てが同じ様に真っ黒で、外の様子が全く見えない。
──これは、<聖域>を丸ごと穢れたもので覆い尽くしたかのような……。
その穢れの放つ瘴気で、マリカが昏倒したのかもしれない。
現に私もさっきから震えが止まらない。奥歯がカチカチと鳴りっぱなしだ。
奈落の底に落ちていくような、暗くて恐ろしい気持ちが襲ってくる。
私は無意識にハルの指輪を握りしめ、これからの事を考える。
最悪、マリカだけでも逃してあげないと……!!
息を潜めて警戒していると、ドアベルが闇の底から発せられたもののように、重い音を響かせた。
ごぉん…ごぉんごぉん……ごぉん……
──こんな悪意に満ちた音は聴いたことがない……!!
扉が開くと同時に、部屋の中に闇の気配が充満する。
ナニカが入ってくる気配がするけれど、恐怖で目が開けられず、ただ震えることしか出来ない。
「あれ? まだ立っている子がいる」
どんな恐ろしいものが来たのかと思ったら、青年の不思議そうな声が聞こえてきて思わず振り返る。
すると其処には、灰色のローブを纏った若い男の人が立っていて、思わずぽかんとしてしまう。
この人とドアベルの音が結びつかず、一瞬躊躇ってしまったのだ。
「……ああ、マリカ居るね! 良かった! 探す手間が省けたよ」
そう言ってその男の人は、マリカの傍に近付こうと中に入って来たので、慌ててマリカを庇うように立ち塞がる。
「近づかないで!!」
男の人に向かって叫んだけど全く効果は無く、男の人はどんどん近づいてくる。
「ねぇ君、どうして起きていられるの? この瘴気の中で自我が保てるなんて……もしかして君が闇のモノを消し去ったのかな?」
男の人が観察するように私を見るけれど、その人が濁った目に不気味な光を湛えているのに気付き、思わず息を呑む。
「……まあ、いいや。マリカ以外にも見目の良い女を連れて来いって言われていたし、ちょうど良かった」
この人は何を言っているんだと口を開こうとした瞬間、男の人の後ろから黒いローブを纏った人物が姿を現した。
「……ひっ!?」
その姿に思わず悲鳴を上げそうになる。
黒いローブの顔にはのっぺりとした仮面が付けられていて、本当に人かどうかわからない。
「この子も連れて行こう。可愛いから伯爵が喜びそうだ」
──伯爵!? まさか、アードラー伯爵の事!?
意外な人物の名前が思い浮かび、驚愕していた私の隙を突いて、黒い影が目前に迫った瞬間、頭の中に黒い霧が溢れ、闇がいっそう深くなり──
──私はろくに抵抗が出来無いまま、意識を手放したのだった。
* * * あとがき * * *
お読みいただきありがとうございます。
ついに奴らがやって来ました。ミアとマリカがテイクアウトされたようです。
ずっと投稿しないのもアレなので、一話だけ公開してみました。
次のお話は
「69 忍び寄る闇」です。
こちらも公開時期は未定ですが、また近況ノートで更新日時をお知らせします。
どうぞよろしくお願いします!
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