63 闇に堕ちる者
ウォード侯爵家の一室で、女がイライラした様子で部屋中を歩き回っていた。
その女の目は血走っていて、手入れされていた爪は噛み跡でボロボロになっている。
侯爵家に相応しい煌びやかな部屋の鏡に、その場に不似合いな女の顔が映り込む。
髪はボサボサで顔は浮腫み、吹き出物があちこちに出来ている姿はまるで幽鬼の様だった。
その女──ウォード侯爵家の女主人ジュディは、つい最近まで年齢よりも若く見える美貌と抜群のスタイルを持っていて、社交界でも一目置かれている存在だったのだが、その自慢だった美貌もスタイルも今は影も形もない。
「ああっ……どうしようっ……! こんな事になるなんてっ……!!」
爪を噛んでい無い方の手には一通の手紙が握られているが、強く握り過ぎたのかグシャグシャになってしまっている。
「一体どうすればっ……!」
ジュディが握りしめている手紙の送り主は、王国内では名前を言ってはいけないあの人──アードラー伯爵だ。
その手紙の内容は、ユーフェミアを早く見つけて連れて来る事、見つけるのに時間がかかる場合は、その間の利息代わりに屋敷の使用人を連れて来る事、連れて来る使用人は女中頭のダニエラが望ましい事──。
そう書かれた手紙を読んだジュディは誰にも相談することが出来ず、昼食後からずっと部屋に籠もり続けている。
そこへ、ドアをノックする音が聞こえ、ジュディはハッとする。
気がつけば、かなり時間が経過していたようで、窓の外はすっかり日が暮れていた。
「ジュディ様、夕食の準備が出来ておりますが、如何なさいますか」
ドアの外から声を掛けてきたのは問題のダニエラだ。
タイミングが良いのか悪いのか、丁度考えていた人物から声を掛けられ、ジュディは狼狽えてしまう。
「今日は部屋で食べるから、ここへ運び込んで頂戴!」
部屋から出る気になれず、ダニエラと顔を合わせづらいジュディは、部屋の中から大声で命令した。
「かしこまりました」
部屋の外から返事が聞こえ、去っていく足音を聞きながらジュディはこれからどうすべきか思い悩む。
ナゼール王国では人身売買を禁止しており、奴隷制度も無いため、雇用主が使用人に対して非道な行いが出来ないように法整備が為されている。
その為、雇用主が使用人に対して度を越した要求や、仕事の範囲外で何かを強要することは立派な罪となり、貴族でも咎められてしまう。
いくら主人だとしても、ジュディにはダニエラをアードラー伯爵の元へ連れて行く手段がない。
仕事の失敗で損失を埋めさせるなど、何かと引き換えにすればどうだろうと考えてみても、優秀なダニエラが失敗する筈もなく、全く良い案が浮かばない。
(そうだわ! 図書室へ行けば何か参考になる本が有るかも知れない)
普段行く事は滅多にない図書室を思い出す。
大量の書籍を所蔵している図書室の本の中に、もしかすると法の抜け道が記載された本が有るかも、とジュディは思い立つ。
それからジュディは部屋に運び込まれた大量の料理を平らげた後、早々に図書室へ行く為に部屋を出る。
侯爵家の綺麗に磨き上げられた廊下を肥太ったジュディがのしのしと歩く。
以前お茶会で侮辱されてから、ジュディは一度も社交界に出ていない。だから身体の手入れも疎かになり、不摂生を繰り返しているうちにどんどん身体に脂肪が付いてきてしまった。
食事量を減らせば良いものの、デニスが作る料理の美味しさについつい食べ過ぎてしまう。
それでも以前と同じ量を食べているだけだ。なのにユーフェミアが居なくなった途端、身体がおかしくなってしまった。まるで食べたら食べただけ脂肪がついていく……。
それは同じ量の料理を食べているグリンダも同様で、今や彼女は丸々と太っている。
──さすがに何かがおかしい、と気付いても時既に遅く。
今までどれだけ好きに食べても、寝っ転がってマッサージされていれば素晴らしいスタイルを保てていたのだ。今更運動など出来るはずがない。
(もし、ユーフェミアが居たから美貌を保てていたのなら……それを知っていたら、あの子をアードラーなどに渡す様な事しなかったのに……!)
今更ながらにユーフェミアの重要性に気付いたジュディは歯軋りをするが、とにかく今はこの状況をどうにかしないといけない。
図書室へ行く手前にある部屋の前を通りかかると、楽しそうな使用人達の会話が聞こえてきた。
「ダニエラさんいつ結婚するのかな?」
「折角だから皆んなで盛大にお祝いしたいけどねー」
「なら、グリンダ様の婚儀が終わってからかしら」
聞こえて来た会話に思わず足を止める。
(ダニエラが結婚!? 一体誰と……!?)
「でも、デニスさん、それまで結婚を我慢できるかなぁ」
「確かに! 出来れば今すぐにでも式を挙げたいんだろうけど、ダニエラさんがうんって言わないだろうし」
(デニスですって……! 一体いつの間に!?)
デニスは料理の腕が良いのは勿論の事、面倒見も良いので使用人達からの人望が厚い。
しかも見た目が良いので、他の貴族のご婦人からは良く羨ましがられたものだ。
「ダニエラさん、前から綺麗だったけど、最近更に綺麗になったよね」
「それ思うー。デニスさんの功績かなぁ」
「私もお嬢様の化粧水で手入れ頑張るぞ! そして綺麗になって恋人ゲットする!」
「お嬢様の化粧水は凄いもんね」
「まだ少しはあるけど、無くなっちゃったらどうしよう……!」
「もう一滴も無駄に出来ないよね」
使用人達の話はデニスとダニエラの事から化粧水の話になっていった。
(お嬢様の化粧水って何……!? もしかしてユーフェミアの……?)
ジュディは使用人達の話を聞いて、もしかして、と思う。
(ユーフェミアの化粧水を使えば、私の肌荒れが治る?)
もしジュディに教養や学があり、普段から頭を使っていれば、ランベルト商会の化粧水とユーフェミアの化粧水が結びつき、ユーフェミアがランベルト商会にいる可能性に気付くのだが、残念ながらジュディは頭が悪かった。
それは彼女によく似た娘のグリンダも同様で、二人共今が良ければそれでいいという考え方だった。
ジュディは使用人達の話を聞いて、ある事を思いつく。ならば、もう図書室へ行く必要はないと部屋に戻ることにした。
そうして再び身体を揺すりながら部屋に帰る途中で、デニスとダニエラが屋敷の庭園にいる所を目撃してしまう。
綺麗なバラが咲き誇る庭園で、月明かりに照らされた二人はまるで、物語に出てくる恋人同士のようにお似合いであった。
そして使用人達が噂していたように、ダニエラが随分と美しくなっていることに気付く。
デニスに微笑みかける彼女は、普段のクールな印象は全く無く、初めての恋に溺れる可憐な少女の様だった。
(まさかダニエラがあんなに美しくなっているだなんて……! しかもあのデニスがなんて優しい顔をしているの……!?)
ジュディは今まで、あんなに優しく微笑むデニスの顔を見たことがなかった。いつもジュディに向ける視線は冷たくて、愛想笑いすらされた事が無かったのに。
そう思うと、言いようのない憤懣と憎悪が胸の中に渦巻いて、どす黒い嫉妬の心が湧き上がる。
──私より美しくて幸せだなんて許さない……! 何もかも奪ってやる……!!
* * * あとがき * * *
お読みいただきありがとうございます。
正解は義母でしたー。
デニスはん、それ優しい虐待や!
次のお話は
「64 闇を暴く者(ハル視点)」です。
タイトルのまんまです。
昨日の更新、うっかり設定忘れていて焦りました。(;´Д`)
他の話も予約投稿したからもう大丈夫な筈!
どうぞよろしくお願いします!
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