33 落ちていく母娘
ユーフェミアが屋敷から出奔してから十日が経とうとしていた。初めのうちはすぐ戻ってくるだろうと高をくくって放置していたが、ユーフェミアが戻ってくる気配は一向に無い。
ユーフェミアを嫁がせるつもりだったアードラー伯爵からも、再三身柄の引き渡しを要求されている。
「ユーフェミアが屋敷を出たせいで何もかも上手く行かなくなったじゃない!! 正直あんな子、居ても居なくても大した事が無いと思っていたのに!」
王宮からもユーフェミアを登城させるよう再三要請されている。今は体調不良という事で誤魔化しはしているものの、その言い訳もいつまで持つかわからない。
しかも以前、王宮が探していた「ミア」と言う少女の事も、ユーフェミアの事だとわかっていたものの、ジュディは「該当者なし」と返答させている。
虚偽申告していたのが王宮にバレたらかなりマズイ。アードラー伯爵なら、その辺り上手く誤魔化せるだろう。一刻も早くユーフェミアを見つけ出さなければ……!
「せっかくグリンダが王太子の婚約者に選ばれて、私の社交界での地位も盤石、人生は順風満帆だと思っていたのに……忌々しい!」
ジュディは先ほど公爵家で開かれたお茶会に参加したのだが、そこで酷い侮辱の数々を受けたのを思い出す。
「今まで散々私に媚を売っていたくせに……! あの女たち絶対に許さない!!」
それはお茶会でランベルト商会が新しく発売した化粧水「クレール・ド・リュヌ」の話題が出た時だった。少し前に発売されたその化粧水はあらゆる肌のトラブルを解消し、まるで若返ったようなみずみずしさを与えるという。
かなりの人気商品で、今は予約でいっぱいと言う話だった。
その話を聞いたジュディは驚いた。彼女はそんな商品があることを全く知らなかったからだ。
社交界で繰り広げられる情報戦はある意味家同士の戦いでもある。情報に疎い家は蔑まれ、社交界での地位は失墜する。爵位とはまた別次元の話なのだ。
婦人たちがその化粧水の話題で盛り上がる中、反応が悪いジュディに一人の子爵夫人が声を掛けた。
「あら? ウォード侯爵夫人は『クレール・ド・リュヌ』をご存知ありませんの?」
その質問に動揺していたジュディは上手く返事が出来ず、その様子を見た他の婦人たちもここぞとばかりに話に乗ってきた。
「まさか、ジュディ様がご存知無いなんて事は……さすがに、ねぇ?」
「ジュディ様はいつも若々しくいらっしゃったから、随分前からこの化粧水をご存知だったのではありません? 私達に教えてくださらないなんて水臭いですわね」
「ランベルト商会の使いの者が来た時は何事かと思いましたけど……勧めていただけて良かったわ。素晴らしい商品ですものね。すぐ追加で注文しましたわ」
「まあ! 私もよ。肌のくすみも無くなって化粧ノリも良くなりましたもの。もう手放せませんわね」
「私も吹き出物が無くなりましたの。長年悩んでいたのが嘘みたいですわ」
その化粧水を使っている婦人たちの肌は、以前に比べ確かに綺麗になっているのが見て取れた。それを見てジュディは唇を噛む。
何故なら、ここ最近ジュディの肌は荒れ、頬はたるみ、自慢の髪も艶を無くしており、以前は若々しいと評判だった美貌に陰りが出てきたからだ。しかも以前は問題なく着られていた、どのドレスも今はかなりキツイ。
今日は何とかギリギリ体裁を保ててはいるものの、それはウォード家の優秀な使用人達の努力の賜物であった。
「それにしても……最近のグリンダ様はどうなさったのかしら?」
唐突に娘の話題が出たジュディは驚いて声を上げそうになったのを何とか抑え、動揺しているのが周囲にバレ無いように平静を装った。
「あら。グリンダがどうかなさって?」
将来の王妃に選ばれたグリンダはジュディの自慢の娘だ。今までも散々お茶会や舞踏会で自慢してきた。
グリンダ自身の評判も上々で、誰もがグリンダやジュディを褒め称えた。そのグリンダがどうしたというのか、ジュディはグリンダの話題を出した伯爵夫人に強い眼差しを向けた。
しかしその伯爵夫人はそんなジュディの視線を受けても全く動じない。むしろジュディを蔑みの視線で見た後、鼻で笑い飛ばした。
「あら、ご自分の娘さんがどの様に噂されているかご存知ありませんの? このままでは婚約継続も危ぶまれておりますのよ?」
「……な! なんですって……!!」
婚約の危機だと聞いてさすがのジュディも驚いた。そんな話はグリンダから一言も聞いていない。
「王妃になるための教育もまともに受けず、教育係を困らせているとお聞きしましたわ」
「そうそう、王妃教育から逃げ出してすぐマティアス殿下の執務室へ逃げ込んでしまうとか」
「そう言えば、以前から宮殿の侍女たちが噂しておりましたわね。グリンダ様は殿下という方が有りながら、殿下の側近や近衛に色目を使っているだとか……」
「しかも見目が良い者たちばかりですって……浅ましいことですわね」
「私は帝国からいらしていた使者のマリウス様に随分熱をあげられて、常に付き纏っていらっしゃったとお聞きしましたわ」
「まあ、はしたないこと……」
「それに、以前に比べて最近のグリンダ様は……ねぇ」
「私、昨日御見かけしましたけれど、少し……膨よかになられたような?」
「幸せ太りかしら? フフフ」
噂の主の母親がその場にいるというのに、婦人たちの噂話は止まらない。少し前まではジュディに世辞を言い、媚を売って取り入ろうとしていたのが嘘のようだった。
──そしてお茶会の後、ジュディは侯爵家に戻ってきたのだが自分がどうやって帰ってきたのか覚えていなかった。それぐらいお茶会で聞かされた噂がショックだったのだ。
だがいつまでも茫然自失ではいられないと、ジュディは噂の化粧水を手に入れるべくランベルト商会へ使いを出したのだが、門前払いされた上予約すら出来なかったらしい。
その使用人がランベルト商会から書簡を預かって帰ってきたが、書簡の内容にジュディは更に驚愕した。
その内容は今後ランベルト商会はウォード家と一切の取引をしないと言う通達だったからだ。
「一体どういう事なの……!?」
逆であればまだしも、通常であれば貴族に対して商会が取引停止を通達するなんてありえない。普通の商会であればすぐ取り潰す様手を回しただろう。
しかし今回は相手が悪すぎる。ランベルト商会は帝国が本店の商会ではあるが、今や王国のみならず各国に支店を置き、そのどれも成功している大店中の大店だ。王国の一貴族が敵う相手ではないぐらいに影響力がある。そんな商会から取引を停止されてしまったら──。
ジュディの思考が最悪の結論へ辿り着こうとしたその時、グリンダが城から帰ってきたのに気がついた。ジュディはお茶会の噂を確認しようとグリンダを部屋に呼びつけた。
「グリンダ! あなた殿下とどうなっているの!? 上手く行っているって言っていたじゃない!! 王妃教育も逃げ出してるって聞いたわよ!」
「やだ、お母様急にどうしたの? 殿下は相変わらず私に夢中よ? それに王妃教育は私なりに頑張っているのよ? でも教育係が厳しすぎるの」
「今日のお茶会であなたの噂を散々聞かされたわ! あなたが殿下以外の男性に色目を使っていると言われたのよ!」
「ええ? 私は色目なんて使っていないわよ? 私の美貌に向こうから寄ってくるだけなのに。その噂を流した人間は私に嫉妬しているのよ」
ジュディの剣幕にもグリンダは平然としているので、その様子にジュディは少し拍子抜けした。そしてグリンダの言う通り、妬みで悪質な噂を流したのだろうと思い直す。
──そうだ、全ては自分たちに嫉妬した者たちの根も葉もない噂だったのだ。そうじゃないとおかしい……ジュディは今日の出来事を自分の都合の良い方へと思考を切り替えてしまった。
「じゃあ、帝国のマリウス様との噂は? 随分親密だったそうじゃない?」
本来の噂はグリンダがマリウスに纏わり付いていると言うのものだったが、ジュディの頭の中では都合の良い様に改竄された様だ。
「そうなの! マリウス様はもう帝国に戻られてしまうけれど、また必ず会いに来て下さるって……! それに何か欲しいものがないかと聞かれたわ。マリウス様はマティアス様には無いミステリアスな魅力があって、とても素敵なの!」
グリンダの話を聞いてジュディはほくそ笑む。帝国の使者と言うことはかなりの高位貴族に違いない。もしかすると王国の王妃よりも厚遇されるかもしれない。
──こんな小さい国より超大国の帝国のほうが私達に相応しいのだ。
私達を馬鹿にしたこの国の社交界や婦人たちを見返してやる、とジュディは策を巡らせることにした。
* * * あとがき * * *
お読みいただきありがとうございます。
ざまぁは始まったばかり!
次のお話は
「34 変わらない想い(ハル視点)」です。
久しぶりのハル登場です。
どうぞよろしくお願いします。
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