26 七年前の回想(マリウス視点)
七年前に足を踏み入れたナゼール王国は、豊かな自然と風景に恵まれた農業国で、長い間戦争に巻き込まれたことがない為か、国民性からしてのんびりとした印象の国だった。
この国の王は凡庸ながらも特に悪政を敷く訳でも無く、堅実な国政を担っている。
いずれ国王になるであろう王子も聡明で穏やかな気質らしいので、この国もしばらくは安泰かも知れない……と思っていた。
──ミアと言う少女と出会うまでは。
そのミアという一人の少女の存在が、このナゼール王国の存亡を左右する事になるなんて……このおおらかな国の人間は誰も気付いていないのだろう。
俺がミアと出会ったのは、七年前に行われた二国間会議に出席するために王国を訪れた時だった。
当時、皇帝と共に「見聞を広めるため」と言う名目でハル……レオンハルト殿下も同行する事になったのだが、その時に起こった誘拐事件で殿下が何者かに拐われてしまったのだ。
しかしその後、瀕死状態のレオンハルト殿下を見つけて助けてくれたのがミアだったのだ。
* * * * * *
我がバルドゥル帝国の皇子、レオンハルト殿下は皇位継承者第一位。
当時は他に兄妹もなく、殿下に万が一のことがあれば帝国は正統な跡継ぎを失う事になる状態だった。
一応、継承者第二位には王弟……イメドエフ大公が居るが、アレは駄目だ。私利私欲にまみれ、権力を笠にやりたい放題するだろう。アレが皇帝にでもなってしまえば長く繁栄していた帝国も一瞬で滅びてしまう。
一番の敵が法国や魔導国ではなく身内だとは随分と皮肉なことだ。
帝国に居る時でもレオンハルト殿下は何度も命の危機に陥っている。宮殿の中ではまだ守ることが出来たけれど、遠征中はそうも行かない。どうしても宮殿の中より警備は手薄になってしまう。
だから殿下を王国に同行させるのを反対した貴族も多く居たというのに。
きっと大公が裏で手を回したのだろう、反対意見は無視され、殿下の同行が強制的に決められてしまった。
勿論、殿下や皇帝に同行を取りやめるように、直訴した貴族は俺も含めて沢山いた。なのにあの親子ときたら!
「ああん? そんなしょーもない事にビビってどーすんの? そんぐらいで危ないってんならそもそも皇帝なんて無理ゲーっしょ。死んだらそれは天帝に選ばれなかったってことだ。皇帝になりたかったらそんな縛りぐらい簡単にぶち壊してみせろや」
「親父の言うとおりだ。この程度で怖気づいたら俺は皇帝の器じゃ無いって事を認めてしまう事になる」
──いやいやいや! そういう問題じゃないだろうに。何だこのバカ親子は! 異世界の血が混ざると皆んなこうなんの?
きっとそこに居た貴族全員が同じことを思っただろう。
正直、レオンハルト殿下がただの皇位継承者であればここまで騒がなかっただろう。もし何かあっても降嫁した血筋や分家から探せば良いだけなのだから。
しかしレオンハルトと言う人間はただの皇族とは違うのだ。
レオンハルト殿下が他の皇族と違う理由、それは──はるか昔、帝国の基礎を築いたとされている初代皇帝──異世界から来たと伝えられる始祖と、殿下は同じ特徴を受け継いでいるからだ。
帝国の始祖は後に「天帝」と呼ばれ、国民からは未だに信仰に近い敬愛を受けている……と言うか守護神として崇め奉られている。その「天帝」はこの世界では類を見ない漆黒の髪色をしていたと伝えられており、帝国の建国から遡ってみても、その様な髪色の人物はただの一人も存在していない。それに加えて<変位の魔眼>……。
髪色と魔眼だけかと思ってはいけない。レオンハルト殿下は父親の性格も受け継いでおり、気性もよく似ているのだ。しかも明るく天真爛漫な性格で人懐っこい。
現皇帝陛下は帝国の国力を底上げした稀代の皇帝として、帝国民から絶大な人気を誇っている。
天帝と同じ髪の色に魔眼、現皇帝と似た気性に端麗な容姿……これで人気が出ない訳がない。今や帝国内外の乙女の憧れになっている。他国からの縁談も尽きること無く申し込まれている状態だ。
あまりに優秀な兄と比べられた上に、更に出来のいい甥……となれば大公が捻くれてしまうのも仕方がない事かも知れない。だがそれだけだ。大公がレオンハルト殿下を害するのなら、俺としても容赦はしない……そう強く思っていたのだが。
帝国から王国への移動中、不測の事態が起きないよう護衛の騎士団から随行する文官達に宮殿からの使用人達全員が神経を尖らせていたものの、意外なことに何事も無く王国に到着することが出来たのには些か拍子抜けだった。
さすがの大公も遠征中に手を出すような愚行はしなかったか、と気を抜いたその瞬間──。一体どの様な手段を使ったのか、レオンハルト殿下は忽然と姿を消したのだった。
こちらも万が一を考えて対抗策をいくつか用意していた。殿下が行方不明になった時の策として、殿下の居場所がわかる魔力探知の魔道具や、身に付けておけば移動したルートを追跡できる魔道具など、それらを準備していたにも関わらず殿下の魔力はそれらの魔道具に全く反応しなかった。
これが指し示す事は、殿下の魔力が封じられているか、もしくは枯渇しているか。
封じられているならまだ良い、生きてさえいてくれれば。だが、もし魔力が枯渇しているのなら問題だ。この世界の人間は、一旦魔力が枯渇してしまうと早急に補充しない限り死に至ってしまうのだ。
そしてレオンハルト殿下が失踪してから五日が経った。王国の協力を得て捜索はしていたものの、何分秘密裏に事を進めていたのでなかなか捜査が進まない。
やきもきしながら迎えた会談の前日、探知の魔道具に待ちに待った反応を見た瞬間、俺は王宮から飛び出していた。
反応があった場所が比較的近い場所だったのは僥倖だった。魔法で髪色を変えているものの、そこに居るのは紛れもなくレオンハルト殿下で。
殿下の無事を確認した途端、力が抜けたのを自覚して、自分が思っていたより追い詰められていたんだな、と気付いた。
しかし肝心の殿下の方は、誘拐されて五日も経っていたし、どれほど衰弱しているのだろうかと心配してみれば……顔色はツヤツヤしていて血色も良く、魔力は漲るほど回復しているではないか。
もしかして俺達が寝る間も惜しんで探していた時に、コイツどこかでバカンスでもしてたんじゃねーの? と疑うレベルだった。
だが、後で殿下から聞いた話の内容に、本当に生死の境を彷徨っていたのだと聞いた時はさすがに肝が冷えた。
そんな状態の殿下を救ってくれのは、ミアと名乗る一人の少女。
ミアは正に帝国の恩人なのだ。
その恩人、ミアはとにかく謙虚で欲のない少女だった。少しでも欲を見せてくれたのなら、こちらに取り込む事も出来たというのに。
しかしミアは容姿だけでなくその心根も優しく美しい少女だった。優美な立ち振舞いや流れるような所作、豊富な知識と頭の回転の速さはどう見ても高位の貴族令嬢そのものなのに、使用人用のお仕着せに水仕事で荒れたであろう手……。
本当に彼女の存在は夢幻の如く謎だらけだった。しかし彼女に何者かと問うたとしても、決して明かしてくれないだろう雰囲気が伝わって来るのもまた事実で。
自分のことを必死に隠そうとするミアに、俺よりも余程焦れたであろう殿下が強硬手段に出たのも仕方のないことなのかも知れない。
──その手段が「皇環」を預けるなんて言う暴挙で無ければの話だが。
* * * * * *
そして現在。殿下は御歳十七歳。後数ヶ月後には成人を迎えるのだが、その成人の儀式には「皇環」が必須。もし「皇環」が無ければ殿下は皇帝に即位する権利を永遠に失うことになるのだ。
だから我々は「皇環」を持つであろうミアを何としても探し出さなければならなかった。
七年前の二国間会議が終わってからずっと、殿下はランベルト商会のハンスと連絡を取り合いミアの動向を探らせていたのだが、結局あの後彼女が店に現れる事は無かったらしい。それとは別ルートで帝国の諜報員に探らせてみても、彼女の影すら捉えることが出来なかったのだ。
そして我々は最終手段、王国にミアの捜索を依頼することにしたのだった。また別のアプローチから攻めれば成果が期待できるのではないかと思っていたのだが……。
帝国の諜報員でもわからない事を、王国の緩慢な人間が判る訳が無いと早々に気付くべきだった。時間を無駄にしてしまったと後悔するも時すでに遅し。
王国からなかなか返事が来ない事に焦れた殿下がまた暴挙に出たのだ。
「このまんまじゃ埒が明かねーし。ちょっくら俺が王国に行ってミアを見つけてくるわ」
……もうアホかと。
帝国の皇太子となる人間が人探しに他国へ行くなんてこと許されるはずないだろう、と。
しかし一度言い出したら聞かないのも殿下なので、仕方なく俺が帝国の使者として王国へ赴くことになってしまった。ちなみに名目は王国王太子の任命式と婚約発表の場への参列だ。正直そんなものに参加する義理も無いのだが、都合がいいので利用させて貰うことにしたのだ。
そしてアホの殿下だが、結局一緒に同行している……。「ハル」と言う名の俺の側近として。
髪の色を変え、顔が半分隠れるようなもっさりとした姿なのは仕方がない。ちょっとした仕返しとかでは決して無い。殿下の正体がバレないための配慮なのだ……ぷぷ。
ハルの髪色を変えるこの魔法は、異世界人だった始祖が身を潜めるために開発した魔法で、帝国皇室の禁秘魔法の一つとなっている。
この禁秘魔法を含めた最高機密をまとめた書物──「禁書:トラノマキ」が宮殿の奥深くに納められているのだが、その「禁書」には異世界の知識や技術も書かれているらしく、噂ではその「禁書」を魔導国が狙っているという話だ。
ちなみに「トラノマキ」の意味は未だ解明されていない。
王国に到着した我々は失礼ながらも早々に会談を申し入れた。王国王太子……って今はまだ王子か。そのマティアス殿下は国を体現したように穏やかな性格なのか、嫌な顔ひとつせず受け入れてくれた。有り難い。
しかし一国の王として優秀かどうかと問われれば少し疑念が残る。まあ、優秀な部下がいれば問題ないだろう。次期宰相候補と言われているらしいエリーアスと言う男は結構使えそうだしな。
そしてマティアス殿下と会談中、ミアの件で核心に触れようとしたマティアス殿下に、無意識だろうハルが威圧を放ちかけたのにはヒヤリとさせられた。慌てて静止したけれど、間に合って本当に良かった。
その国の王族に威圧を放つなんて、宣戦布告と思われても仕方がない案件だ。マティアス殿下が危機感のない安穏とした性格のおかげで助かったと言えよう。
しかしそのおかげで、王国側に「ミアは恩人」と言う、与えなくてもいい情報を与えてしまったのは痛手だったが。
ちなみにハルには気軽に威圧しないよう、厳重注意と言う名のげんこつをお見舞いしたのは言うまでもない。
* * * あとがき * * *
お読みいただきありがとうございます。
マリウスの落ち着きがない側近はハルだったというオチ。
そしてさり気なくディスられるマティアス。
ちなみに「トラノマキ」は日本語なのでまだ解読されていないです。
次回のお話は
「27 縮む距離(ハル視点)」です。
ミアを探すハルが遂にミアの元へ辿り着く?かも?なお話です。
どうぞよろしくお願いします。
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