19 ぬりかべ令嬢、変人を目撃する。

 素晴らしい朝が来た。希望の朝だ。

 私はいつもの癖で、今日も日が昇る前に起きてしまった。でも目覚めた場所は侯爵家の屋根裏部屋ではなく、ランベルト商会従業員用の寮の一室だ。

 いつもと違う見知らぬ綺麗な部屋で目覚めた私は一瞬何処に居るのかわからなかった。


 ──ああ、本当に私は屋敷を出たんだな、と改めて実感した。


 昨日ディルクさんと雇用契約を結んだ後、ディルクさんはお店の裏手にある寮に案内してくれた。寮は思っていたよりも綺麗で広く、本当にここに住んで良いのかと気後れしてしまうほどだった。

 寮は三階建ての建物で、一階は厨房・食堂の他に団らん室と管理人室。二階は男性従業員、三階が女性従業員の部屋となっている。部屋は二人一部屋でお風呂・トイレ付き。今の私は同室者がいないので一部屋を一人で使わせてもらっている。

 寮の家賃や食費などは給金から天引きされるけれど、近くで部屋を借りるよりかなりお安く設定されている。


 昨日は荷物の整理をしないまま眠ってしまったので、顔を洗った後に身の回りの荷物を簡単に片付ける。備え付けのクローゼットは大きめで、私の荷物を入れてもまだまだ余裕があった。

 私は長い髪の毛を一本の三つ編みにしてからくるくると結い上げて、簡素なワンピースに着替えた後、身だしなみを整えると、まだまだ朝食まで時間があったので、何となく一階に降りて行くことにする。

 廊下を歩いて食堂へ向かうとパンの焼ける良い香りが漂ってくる。良い香りに誘われて厨房を覗くと、料理人の人達が朝食の準備をしている姿が目に入った。


「おはようございます」


 驚かせないように挨拶すると、それに気付いた人達が挨拶してくれた。


「おはよう。随分早起きだねぇ。もうお腹が空いたのかい? 今準備しているから、もうちょっと待っていて頂戴ね……ってあら? あんた、見ない顔だねぇ。ああ、例の新人さんかい?」


 厨房に居た年配の女性が声を掛けてくれた。その声を聞きつけ、他の人達も集まってきたので慌てて自己紹介をする。


「今日から働くことになりましたミアと申します。どうぞよろしくお願いします」


 ペコリと頭を下げて挨拶すると、皆さんも自己紹介を交えた挨拶を返してくれた。フリッツさん、ヤンさん、フーゴさんの三人が料理担当、エーファさん、ニーナさんの二人が配膳や片付けの担当で、合計五人で厨房を回しているらしい。

 せっかくなので、何かお手伝いできることがないか聞いてみることに。


「もし良ければ何かお手伝いさせていただきたいのですが……」


 私が申し出ると、人手が足りないから助かると喜んでくれて、少しだけお手伝いさせてもらうことになった。


「担当じゃないのに悪いねぇ。でも助かるよ。早速だけどテーブル拭いてくれるかい?」


「はい、わかりました」


 私は飴色のテーブルを拭いて回り、各テーブルにクロスを掛け、それぞれの席にカトラリーを並べて……と準備をしていった。お屋敷でやっていた事とあまり変わらないから身体が勝手に動いてしまう。

 そんな私の様子を見ていたエーファさんとニーナさんが「随分手慣れてるねぇ」と褒めてくれたので、「前働いていたところでもやっていましたから」と言うと感心したように納得してくれた。


 一通り準備が終わり、落ち着いたところでカーテンを開けて空気を入れ替える。朝特有の澄んだ空気が気持ちいい。

 ふと外を見ると綺麗な庭が目に入った。昨日通ったはずだけど、暗かったし慌ててたしで、庭を見る余裕が無かったのだ。

 よく手入れされているらしい庭には赤や白、ローズピンクに、オレンジがかったピンク。さまざまな色合いのバラとハーブが植えられていて心がときめく。

 緑の生垣の向こうには離れっぽい建物があり、その建物の壁一面に蔓バラが絡まるように咲いていて、とても素敵。王宮のバラ園も綺麗だったけど、こちらの庭は自然が溢れている感じがする。


 うっとりと庭を眺めていると、向こうから男の人がゆっくり歩いてくるのが見えた。

 朝の散歩かな? と思い窓から覗いていると、その人は朝の空気を胸いっぱいに吸い込んで、感極まる様に言った。


「ああ、なんて清々しいんだ……そう、僕が」


 そして何処からか鏡を取り出して、髪をかき上げながら自分の顔をうっとりと眺める。


「今日も僕は美しい……ああ、なんて完璧な美しさだ。美の女神に愛されてしまった僕に、きっと世界がヤキモチを焼いてしまうかもしれないな……」


 少し離れているのに、その男の人はよく通る声をしているからか、ここまで声が聞こえてきた。


「おやおや、相変わらず自分が大好きだねぇ。あの子は店の従業員で服飾を担当しているジュリアンだよ。見ての通りナルシストで美しいものが大好きなのさ。変わりもんだけどセンスは優れていてね、ジュリアンがコーディネートするとまるで別人のように綺麗になれるって評判らしいよ」


 思わずドン引きしている私に、ニーナさんが苦笑いをしながら教えてくれた。


「ほえ〜……」


 なんだかすごい人だなあ……。服飾担当なら普段はお店だから、あまり私と接点はないかも。才能がある人は変わった人が多いと言うのは本当なのね。

 そう思いながらジュリアンさんに視線を戻すと、今度は赤バラに顔を寄せて薫りを楽しんでいるご様子。


「はは、こんなに赤くなって……僕に照れているのかい? それとも僕の美しさに嫉妬しているのかな?」


 ……ここまで来ると逆に清々しく思う様になってきた。別の意味で。



 そうこうしているうちに朝食の時間になり、人が食堂に集まってきた。その中にディルクさんがいるのを発見。もしかしてディルクさんも寮住まい……?

 思わず眺めているとディルクさんが私に気付き、にっこり笑いながら手招きされる。何だろうと思いながら傍まで行くと、ディルクさんが食堂中に響き渡るような大きな声を出した。


「はーい皆さんちゅうもーく! 今日から商品開発部に配属される事になったミアさんでーす! 皆さん仲良くしてあげてくださいねー」


 ディルクさんがそう言うと一斉に「はーい!」「よろしく!」と返事が返ってきた。嬉しいけど、突然紹介されてびっくりした。

 あわあわしているとディルクさんが「ほら、挨拶して?」と促すので、沢山の人に注目される中、何とか自己紹介と挨拶をしたけれど……せめて心の準備がしたかった……。


「各々への紹介は時間がかかるからまた後でね。お店の各売り場にも、後でミアさんを案内がてら連れて行くからよろしくー」


 ディルクさんは食堂にいる全員に声をかけると、私を端っこのテーブルへと誘導した。テーブルには焼き立てのバター・クロワッサンにチーズが入ったスクランブルエッグ、ハーブソーセージにシーザーサラダが用意されていて、どれもとても美味しそう。


「食べながらで悪いけど、今日の予定を説明するね」


 ディルクさんの話では、午前中に「コフレ・ア・ビジュー」の店内を順番に見て回って、どんな商品を取り扱っているかの確認と、人気商品の把握、通いで来ている人達への挨拶、午後から商品を開発・研究している場所で作業する上での注意点などの説明を受ける……等と説明された。

 今日一日で覚えることが多過ぎて大変そう……でも頑張る……!

 そのためにはまずエネルギーが必要だ。栄養も摂らないとね!

 私は目の前の料理をウキウキしながら平らげた。もうペロリと。


 ちなみにバター・クロワッサンは絶品でした。

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