15 侯爵家厨房にて(デニス視点)

「行っちまったか……」


 お嬢の姿が見えなくなるまで見送ると、思わず溜息が出た。

 本当はお嬢が行きたいと言っていた商会まで送っていくつもりだったのに、お嬢に固辞されちまったからな……ま、仕方ねぇか。


 屋敷の奴らを安心させるために早く帰ってやらねぇと。

 お嬢が居ないことに気付いたジュディとグリンダが騒ぎ出すだろうし。

 これからの事を考えるとちょいと気が重いが、遅かれ早かれお嬢が屋敷を出るというのはわかっていた事だし、約束もしちまったからな。


 ──ツェツィーリア様、貴女の夢見通りお嬢は侯爵家から逃奔しましたよ。


 お嬢によく似た面差しの、かつて宮廷の華と称された美しい侯爵夫人を思い出す。

 優しく思いやりがあり、使用人にも傲慢不遜にならず分け隔てなく接してくれた。屋敷の連中は全員ツェツィーリア様が嫁いで来て下さって大喜びしていたのに……。彼女は若くしてこの世を去ってしまった。幼い娘と夫を残して。


「テレンス様も不憫だよなぁ……」


 周囲が引くほど娘を溺愛していた侯爵家当主。娘のために感情を押し殺し、望んでもいない再婚をした己の主人が、愛娘の出奔を知らされたらどう思うか……想像するだに恐ろしい。

 ……いや、ある意味喜ぶか? テレンス様は早くあの親子と縁を切りたがってたからな。


 そう言えばもう一つ懸念すべき事があった。王宮からの尋ね人に関する件だ。


 以前執事のエルマーが王宮から一通の手紙を受け取った。それは王国中の貴族へ宛てられた協力要請だった。その内容とは──。


『銀髪、紫眼の「ミア」と名乗る十五歳前後の少女を発見次第、王宮へ連れて来られたし』


 勿論侯爵家の使用人の中にそんな人物は居ない。そう、使用人の場合ならば、だ。しかし侯爵家では使用人の様に、不当な扱いを受けている令嬢がいる。

 そしてエルマーと相談した結果、尋ね人は十中八九間違いなく──お嬢だろうと結論付けたのだ。

 しかし、王宮がどの様な意図を持って人を探しているのか詳細が不明だった事もあり、ジュディがお嬢を差し出す訳もなく、王宮には「該当者なし」と返信している。

 今回は誤魔化すことが出来たが、お嬢が侯爵家から出奔した時点で俺達はもうお嬢を守ることが出来ない。俺達が出来ることはもう、この先何事にもお嬢が巻き込まれないように祈る事だけだ。


 ……色々と考える事が多すぎるな。

 俺は一旦頭をリセットするべく、市場へと足を向けた。





 * * * * * *





 朝市で食材を仕入れた後、朝食の準備に間に合わせるために急いで屋敷に戻る。

 俺が戻ったと知った皆んなは、かなり心配していたのだろう、お嬢の様子をひっきりなしに聞いてきた。


「お嬢はちゃんと市場まで送って行ったから安心しろって」


「でも、あんな可愛いお嬢様ですよ? 人攫いにあったらどうしよう……」


「変な奴に声を掛けられても、警戒せずについて行きそうだし」


「きっと、物乞いに集られたら有り金全部渡しますよ」


「…………」


 皆んなのお嬢に対する認識がひどい。


「おまえらなぁ。お嬢はツェツィーリア様と違ってかなりたくましいぞ? 俺たちがそうなる様に鍛えただろ?」


「それは……まあ、そうですけど……」


「中身はともかく見た目が儚げだからなぁ……」


「お嬢は心配ねぇよ。とりあえずおまえら黙れ。おーい。今からお嬢から預かった伝言を伝えるぞー」


 俺の言葉に騒がしかった奴らが一斉に黙る。何を言われるのかワクワクしているようだ。


「大好きなおめぇらが幸せになって無かったら許さない。必ず確かめに行くから首を洗って待っていろ、だってよ」


 伝言を伝えると、皆んな嬉しそうに笑い合った。とても良い笑顔だ。


「首を洗ってとか、それユーフェミア様の言葉じゃねーだろ!」


「お嬢様はそんな事言わないしー」


「でも、必ず会いに来てくれるのね!」


「いつ帰って来ても良い様にお屋敷中綺麗にしておかなくっちゃ」


「やれやれ。ハーブの様子でも見てくるか」


 それぞれがやる気を出しながら持ち場に戻っていく。


「お嬢が居ない分、忙しくなるなぁ」


 使用人部屋から出ていこうとする奴らの中にいた一人に声を掛ける。

 振り向いたそいつは眼鏡の縁をくいっと上げて俺の顔を無表情に見据える。


「ユーフェミア様は無駄に有能でしたから……空いた穴を埋めるためにもマリアンヌ達を再教育しないといけなくなりました」


「……はは、程々にしとけよ」


 ダニエラに鍛えられ、疲れ切ったあいつらが癒やしを求めて甘味を強請ってくる光景が目に浮かぶ。まあ、マリアンヌ達もなんだかんだと有能だし、実際は甘いものを食べたいだけだろうが。


「ところでお嬢に頼まれた伝言な。皆んなに幸せになって欲しいってやつ。俺も幸せになりたいからよ、ダニエラ、俺と結婚してくんねーか?」


 俺の言葉に周りの連中がざわざわと色めき立つ。


「おいおいおいおい! デニス! まさかお前、まだ言ってなかったのか?」


「きゃー! 生プロポーズキタコレー!」


「え? え? 何々? デニスさんとダニエラさんが? やっと? やっとなの?」


「……長かった……。これで二人に当てられずに済むよ……」


「ああ、無意識でいちゃついてるもんな。独り身には拷問だったぜ」


 周りがうるさいけど気にしていられねぇ。ダニエラの反応はどうかと様子を窺うと、何やら俯いてプルプル震えている。なんか小動物みたいで可愛いなオイ。


「……っ! ……貴方という人は……!!」


「ん?」


「どうして! 今! このタイミングなんですか!! 時と場所を考えなさい!!」


 ダニエラがガバっと顔を上げて怒っているけれど、涙目で顔も真っ赤だから全然怖くない。むしろ可愛すぎて今すぐ抱き締めてぇ。


「……悪かった。ここじゃあキスしたくても出来ねぇしな。また後で「バカァーーーー!!」痛ってー!!」


 また後でゆっくり話そうと言いかけたのに遮られた。その上じゃがいもを投げつけて来やがった。


「おいおい、落ち着けよ」


「落ち着けるかこのバカ!! 皆んなのいる前で何言ってるのよー!!」


 顔をこれ以上無いぐらい真っ赤にしたダニエラは怒りながら部屋から出ていってしまった。


 あちゃー。やっちまったか。ありゃあ、落ち着くまでしばらく時間がかかるかもな。


「……やれやれ」


 俺が溜息をつくと、事の顛末を見ていた奴らが一斉に俺を責め立てて来た。


「ちょっとー! やれやれじゃないでしょ!」


「あれはひどい」


「デニスさんデリカシー無さ過ぎでしょー!」


 そういやお嬢にもデリカシーがどうって言われてたとこだった。


「ダニエラさん大丈夫かなぁ」


「ないわー。あれはないわー」


「女にモテるからと言って口説くのが上手いとは限らないんだな……」


「散々市場の女の子達を泣かせて来た報いじゃない?」


 ……おいコラ。なんで好きでもねぇ女の相手をしなきゃいけねぇんだよ。んなもん時間の無駄だろうがよ。


「デニス、早く行ってダニエラのご機嫌直して来いよ。厨房は俺たちでなんとかするからさ」


 副料理長のアルマンが気を利かせてくれた。ありがてぇ。


「悪ぃな。ちょっくら行ってくるわ」


 ひらひらと手を振りながらダニエラの後を追う俺に、仲間たちから応援のエールを送られる。


「わはは!がんばれよー!」


「もうダニエラさんいじめちゃ駄目ですからね!」


「もういっそ振られて来ーい!」


 振られる気なんかさらさら無ぇけどな。ダニエラがうんと言うまで何度でも口説いてやるさ。

 それに──ダニエラはプロポーズについては否定をしていない。

 デリカシーとか言われてもやっぱりよくわかんねぇけど、とにかく本気で行くしかねぇ。


 ダニエラが落ち着く時間を稼ぐため、屋敷を出てゆっくり歩きながら裏庭へ向かう。

 ここに居るだろうと当たりをつけた場所、裏庭に生えている樹の下にダニエラを見つけた。


 ──そこは俺とダニエラが初めて出逢った場所だ。


 人が来た事に気付いたダニエラがゆっくりこちらに振り向いて──顔を真っ赤にしながら眼鏡の縁を両手で上げる。


 ダニエラのその様子を見た俺の顔が緩んでしまったのは仕方がない。


 そして俺は、ダニエラを逃がさない様に抱きしめて、返事がわかっているプロポーズをもう一度やり直した。




* * * あとがき * * *


お読みいただきありがとうございます。


片手で眼鏡クイ→ツンデレ

両手で眼鏡クイ→デレデレ

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