14 ぬりかべ令嬢、出奔する。

 朝焼けが刻々と東の空に広がりはじめる早朝、まだ薄暗い裏門に買い出し用の幌付き荷馬車が用意されていた。

 その馬車に私はさっと身を潜り込ませ、馬車に積まれた箱の後ろに身を隠す。

 こんな朝早くからお義母様やグリンダが目覚めないのはわかっているけれど、万が一誰かに見られると困るので、念の為慎重に行動する。


 朝市が催されている市場からハンスさんが経営している商店「コフレ・ア・ビジュー」へは少し歩くけど、徒歩で行くよりは全然良い。


「じゃあ、出発するか」


 料理長のデニスさんが独り言のように、隠れている私に出発を告げる。

 馬車がゆっくりと動き出し、屋敷から少しずつ離れていく様をぼんやりと見つめながら、使用人の皆んなとの別れを思い出していた。


 マリアンヌやアメリ達が市場まで着いてくると言ってくれたけど、朝の準備があるからと宥めたり、馬車の御者を誰が務めるかでエルマーさん、デニスさんやエドさんが役目を奪い合ったり……。結局は腕っぷしが強いデニスさんに決まったようだけど、皆んなが最後まで一緒にいようとしてくれているのが伝わって嬉しかった。


 思い出がたくさん詰まった、生まれ育った場所を目に焼き付けようとずっと屋敷を見続ける。正門の前に差し掛かった時、窓の辺りで何かが動いたような気がしたので目を凝らしたら、屋敷の窓からこっそり見送ってくれている皆んなの姿が目に映った。

 手を振ってくれる女の子達、祈るように見守ってくれる人、ハンカチを目に当てている人──。


 皆んなのそんな姿に気付いたらもう無理だった。ずっと我慢していたのに、決壊したように涙が零れ落ちる。


 今まで自分だけが不幸になった気でいたけれど、よく周りを見てみれば、支えようとしてくれた人達がいた。私はいつも守られていたのだという事にようやく気付く。本当に私は周りの人達に恵まれていたんだと感謝する。


 いつか恩を返せたらいいな……いや、絶対に返そう。


 ──ぼやけた視界の中で、小さくなっていく屋敷を見つめながら、いつか必ず此処へ帰って来ようと決心した。


 ずっと泣き続ける私を、デニスさんは市場に着く手前までそっとしておいてくれた。強面な見た目だけれど、本当はお気遣いの紳士なのだ。


「お嬢、もう市場に着くぞ。いつまでメソメソしてんだ。さっさと泣きやめ」


 ……前言撤回。


「もう! デニスさんデリカシー無さ過ぎ! そこはこう、もっと優しく言うべきところでしょ! そんな事じゃダニエラさんに嫌われるよ!」


「……はあ!? ちょ、おま……!! なんで知って……いや、違う! 何言ってんだ!?」


 あらら。珍しくデニスさんが顔を真っ赤にして狼狽えてる。はたから見ると、お互い両思いなのがバレバレなんだけどな……。


「私、お屋敷の皆んなが大好きなの」


「はあ?」


 突然話を変えたと思ったであろうデニスさんが怪訝そうな顔をする。


「だから絶対幸せになって欲しい……もちろんデニスさんとダニエラさんも」


「…………」


「皆んなが幸せかどうか確認しに行くから──いつか必ず会いに行くからねって、デニスさんから皆んなに伝えてくれる?」


 私の言葉の意味を理解したデニスさんは大きな溜息を付きながら俯くと、「よし!」と気合を入れて顔を上げた。


「お嬢の伝言は皆んなに伝えとく」


 そう言うと、ふっと表情を和らげる。


「俺も覚悟を決めるよ。お嬢が安心出来るように、いつでも帰って来られるように。あいつらを守るって約束する。……まあ、まずはダニエラを口説き落とさねぇとな。それが一番難しいけどな」


 デニスさんは恥ずかしいのを誤魔化すように、頭をボリボリ掻いているけれど、正直私から見たらそれが一番簡単だと思う……言わないけど。


「……良かった」


 安心したので緊張が溶けたのか、大事なことを思い出した。


「あ、そうそう。これ、私が作った治療薬なの。お守りがわりに持っていてくれる?」


 美容液を作る延長で薬師の真似事をやっていたのだ。ちゃんと本に書いてある通りに作ったから大丈夫だと思うんだけど、ちょっと自信ないし。使う事が無いように、一種の願掛けみたいなものだ。


「へぇ! そりゃ凄い。有り難くいただくぜ」


 デニスさんは嬉しそうに受け取ると、瓶の中を透かすように眺め、大事そうにポケットに入れた。


 これで心置きなくハルに会いに行ける。もしハルに会う事が出来たら一緒に屋敷へ帰って、皆んなにハルを紹介したい。


「私も幸せになれるよう頑張るから! じゃあまたね!」


 これ以上一緒にいるとまた泣きそうだったから、誤魔化すために慌ててデニスさんとお別れする。


「おう! またな! 皆んなと一緒に待ってるぜ!」


 不覚にもデニスさんの言葉にまた涙腺が緩んだけど、ぐっとこらえて笑顔で手を振ると、デニスさんは片手を挙げて見送ってくれた。


 デニスさんの姿が小さくなり見えなくなると、途端に寂しさが込み上げてくる。これからは自分一人で生きて行くって覚悟を決めたはずなのに。


 勇気を出すためにネックレスを服の中から取り出して、鎖に通された指輪を眺めると、ハルの瞳のように澄んだ空に思いを馳せながら指輪をぎゅっと握りしめる。


 そして私は青く染まっていく朝空の下、輝く朝日の光を浴びながら歩き出した。

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