13 ぬりかべ令嬢、逃亡準備をする。
アードラー伯爵と会ったその後、私は再び使用人の仕事をしながら今後の事を考えていた。
これから私は一人で生きていかなければならないのだ。
ほとんどを屋敷の中で過ごしていた私に出来るのだろうか、と一瞬考えたものの、出来るかじゃない、やるんだと決意する。
今日の夜には屋敷から出奔するつもりなので、何を持って行くか、何処へ向かうかを早いうちに決めておかなければならない。
一番の問題は金銭だ。私はもちろん賃金を貰っていない。金目の物も持っていないので、屋敷から出たとしてもすぐ路頭に迷うのは必至である。
……だがしかし! それは普通の令嬢の場合だ。今の私には長年培って来た使用人スキルがある。伊達に使用人として八年は過ごしていないのだ。
しばらくは侯爵家と縁の無い、どこか辺境の屋敷に雇って貰って旅費を稼ごう。そして叶うなら帝国に行きたい。帝国に行ってハルに会いたい。
けれども世の中何が起こるか分からない。念のため、使用人として働くのが無理な場合の事も考えた方が良いかも。うーん……次の候補はどうしよう。
そこで思い出したのが庭で育てたハーブだった。
そのハーブを使って作ったオイルや化粧水はお義母様やグリンダが気に入っていたし、使用人仲間にもとても評判が良かった。作る度に分けて欲しいとよくお願いされたっけ。
それらを販売して小銭を稼ぐのはどうだろう。何処かの商会で買い取ってくれないかな……商会……あ。ランベルト商会のハンスさん!
ハンスさんはかなり目利きだから、素人が作ったものが通用するかわからないけど……ダメ元で行ってみるのも良いかもしれない。
とりあえずハンスさんのお店に行ってから、帝国に行く方法を考えよう。旅をするための装備や必需品も買わないといけないし、どのルートを使うか調べる必要があるしね。
もしハンスさんに会えたらハルに取り次いでもらえるかもしれない。それがだめでも、ハルに関する情報を教えてもらえたら嬉しい。
目標が出来たら少し気がラクになったぞ。
掃除をしながら屋敷中を歩き、しっかりとその光景を目に焼き付ける。
またここへ帰って来られるかわからないから、忘れない様にしっかりと。
一日の仕事を終えて、使用人用の休憩室を兼ねた厨房へ向かう。昔からこの屋敷で働いてくれている人たちにはとてもお世話になったのだ。
最後に一目、皆んなの顔を見てからこの屋敷を出るつもりだった。
こっそり扉を開けて中の様子を伺おうとしたら、突然ぐいっと腕を引っ張られて中に引き摺り込まれた。
「……っ!?」
引き摺り込まれたと同時に扉が閉まる音がする。慌てて振り向くと、そこには目を潤ませながら怒った顔をしたマリアンヌが仁王立ちしていた。
「ユーフェミア様……!」
「……は、はいっ……!」
「何律儀に仕事を終わらせているんですか! この屋敷から逃げるんでしょう? だったらのんびりしてたらダメじゃないですか!」
「え、えぇ!?」
マリアンヌの言葉に驚いて変な声が出てしまう。
出ていく素振りなんてしていなかったはずなのにバレバレだった……?
「何を驚いていらっしゃるのですか。貴女の考える事などお見通しですよ」
後ろから声をかけられて振り向くと、そこには執事のエルマーさんや料理長のデニスさんに庭師のエドさん、女中頭のダニエラさん、使用人仲間のアメリとカリーナたち……。
私がお世話になった人たちが勢ぞろいしていた。
「あれ……? 皆んな一体どうして……?」
いつもならこの時間には居ない人までいて驚いた。
「アードラー伯爵との件は聞いたぜ。お嬢があんな低俗な男の元に嫁ぐだぁ……? んなもん、納得出来るわけねえだろうが!」
デニスさんが怒りに震えながら吐き捨てる様に言った。
「そうです! ユーフェミア様がここから出て行かれなくても、私たちが無理矢理にでも連れ出すつもりでした!」
「私たちユーフェミア様には絶対幸せになって欲しいんです!!」
アメリとカリーナが号泣しながら訴える。可愛い顔が涙でぐしょぐしょだ。そこまで私の心配をしてくれていたと思うと胸が温かくなる。
私が感激していると執事のエルマーさんが声を掛けて来た。
「ユーフェミア様。こちらは今までの給金です。どうぞお受け取りください」
エルマーさんが差し出して来た袋を思わず受け取ると、ずっしりとした重さで落としそうになる。
「あ、あの……! お給金って……?」
「ユーフェミア様がこの屋敷でお働きになられた八年分の給金です。労働に対する正当な報酬ですのでご遠慮なさらずお受け取りください」
袋の中でジャラリと金貨がこすれる音がする。てっきりタダ働きだと思っていたので、正直とてもありがたい。
「その中には退職金やダニエラが査定したボーナスも含まれていますからね。失くさないようしっかり管理してください」
「他の使用人と同条件で査定しております。ユーフェミア様は仕事が早くて丁寧でしたから、その点を踏まえて評価させていただきました」
若くして女中頭に抜擢されたダニエラさんが眼鏡の縁をクイっと上げながらそっけなく言う。基本無表情だからわかりにくいけど、これはダニエラさんが照れている時の癖だ。
エルマーさんやダニエラさんに初めの頃はよく叱られたけど、ちゃんと私を見ていてくれた事がとても嬉しい。
「それから、これを」
マリアンヌが一つの鞄を差し出して来た。
「勝手ながら、ユーフェミア様のお荷物をこの中にまとめさせていただきました。もちろん、ハーブや化粧水などユーフェミア様がお作りになられたものも全て入ってます」
「え!? ……全て……?」
私が部屋で保管していたハーブ関係のものだけでも、かなりの量になるはず。実際出て行くときは一部だけしか持ち出せないだろうと諦めていたのに。
それ全てがこの小さい鞄に入っていると言う事は……。
「お察しの通り、こちらは空間魔法が付与されている魔法鞄です。容量もこの部屋の広さぐらいは余裕で入りますよ」
「そ、そんな……!」
エルマーさんが教えてくれた鞄の性能にびっくりした。魔法鞄を作る事が出来るのは魔導国にいる数名の魔道具職人だけなので、稀少性と利便性があって人気も高く、かなりの高額にも関わらず購入するには数年待ちと言われている。
この鞄ひとつで王都の家一軒と同じぐらい……いや、それ以上の値段が付くはずだ。
「こんな高価なもの、いただくわけには……!」
お給金だけでも十分なのに、これ以上お世話になるわけにはいかないとエルマーさんに訴えたけれど、返って来たのは優しい微笑みだった。
「こちらは侯爵家当主、テレンス様よりお預かりしていた鞄なのですよ。万が一、ユーフェミア様がこの屋敷から出奔する場合はこれに必需品を入れて持たせるように、と」
エルマーさんから意外な人物の名前を聞かされ驚愕する。
「まさかお父様が……? どうして……?」
私の掠れて震えてしまう声に動揺を察したエルマーさんが、一瞬悲しげな表情をしたけれど、その次の瞬間には表情を真剣なものに切り替えていた。
「ユーフェミア様からすれば薄情な父親だと思われているでしょうが、旦那様はいつもユーフェミア様のことを案じておられましたよ」
申し訳なさそうに眉を下げるエルマーさんだけど、その言葉は私にとってとても信じられる内容じゃ無かった。
「そんな……そんなの、信じられない! だってお父様は……私と目を合わせてさえくれなくなって……もう何年も会っていないのに!」
お母様が亡くなる前から私を避けるようになって──そして亡くなった後は領地に行ったっきりで、一度も会いに来てくれたことがないお父様が……?
私がお義母様たちに辛く当たられているのを知っているはずなのに、我関せずとばかりに放置していたのに……?
「それには深い事情がお有りなのです。私の口から内容をお伝えすることは出来ませんが……どうか、お願いします。旦那様を憎まないで下さい」
深々と頭を下げるエルマーさん。
……ずるいなあ。 そんな事されたら何も言えなくなってしまうじゃないか。
「……わかりました。とにかく一度お父様にお会いして、その事情とやらをじっくりお話していただきます」
渋々納得した私にエルマーさんがホッとした表情を浮かべて言った。
「ありがとうございます。お嬢様と気兼ねなくお会い出来ると知れば旦那様もお喜びになります。いつもは遠目からお嬢様の様子を伺うだけでしたから」
エルマーさんがついポロッと零したであろう言葉をきっかけに、皆んなから次々とお父様の話が飛び出して驚愕の事実が判明する事に。
「そうそう、ユーフェミア様とばったり出会さない様にいつもこそこそ……ごほん。お忍びでいらっしゃってましたね」
ワハハと笑って暴露するエドさん。
「俺も『ジュディやグリンダからユーフェミア様を守れ』って口うるさく言われててよぉ。会う度に言ってくるから何度仕事が止まったことかわかんねえや」
ため息を吐きながらやれやれと肩を竦めるデニスさん。
「私には厳しくしすぎないよう言いつけていましたわ。全く過保護ですこと」
眉間にシワを寄せながら眼鏡を上げるダニエラさん。
……何だかお父様に対するイメージが……あれぇ?
エルマーさんが慈悲深い瞳で私を見て微笑んだ。
「旦那様はいつもユーフェミア様の事を想っていらっしゃいましたよ」
──きっとその言葉は本当の事なのだろう。
私に誤解されてまで隠さないといけない深い事情って一体……? 正直、お父様を憎む気持ちは全く無いとはまだ言えないけれど、どっちにしろこの家を出て行くと決めたのだ。一度お父様とお会いしなければ。そしてきちんと話し合うのだ。
私がお父様を憎むか愛するかは、その時決めようと思う。
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