07 ぬりかべ令嬢、お茶会に誘われる。

 私が物心ついた頃には既にお母様は心臓を患っていて、長く生きられないと医師から宣告されていたそうだ。

 自分の余命が幾許も無いことを知ったお母様は、自分の持ちうる知識を全て私に伝えんとするかの様に、それは厳しく私を教育した。

 以前は溺愛と言っても良いくらい私を可愛がってくれたお父様も、その頃には領地から王都に帰ってくる頻度がめっきり少なくなっていた。

 確かにお母様の教育は厳しくあったけれど、私がなんとか頑張れたのは、厳しさの中にもお母様の愛を感じられたからだ。


 私がお母様から知識や教養を引き継いで行けば行くほど、お母様は衰弱していく。


 いっそ私の教育をやめたなら、お母様はもっと生きられたのでは、と思うことも数え切れないほどあった。


 ──それでもお母様の望みだったから。


 小さい子供には限界があったけど、五歳から七歳までの2年間、無我夢中で知識と教養を身に着けた私を見届けると、お母様は私に最後の言葉を伝え、眠る様に逝ってしまったのだった。


 葬儀の時はお父様と一緒にお母様を見送ったけど、お父様の態度は昔と違いよそよそしくて、最後には私を避ける様になってしまった。


 ──私がお母様の寿命を削ってしまったから……?


 きっとお父様は私が憎かったのだろう。


 お父様とお母様は貴族にしては珍しい恋愛結婚で、お互い深く深く愛し合っているのが幼かった私にもわかるほどだったのに……。

 そしてお母様の死後から一年も経たない頃に、お父様は義母と義妹を連れて帰って来た。


「今日からお前の家族となる者たちだ。仲良くしなさい」


 久しぶりに聞いたお父様の声は、まるで感情が抜け落ちた様で──。

 結局私に一瞥もくれることなく、足早に領地へと引き上げたのだった。

 それからお父様とは何年も会っていない。


『──ミア、よく聞いてね。これから先、あなたにとって、とてもつらい事が起こるの……でも絶対絶望しちゃダメよ。さらに未来、あなたはとても素敵な人と出会えるわ……だからそれまで辛いだろうけど、一生懸命生きてちょうだい──お母様最後のお願いよ』


 それが、今にも息を引き取りそうな瞬間、残った力を振り絞るかの様に、私へ伝えられた、お母様からの最後の言葉。


 使用人の様に扱われ、貴族令嬢としての誇りも何もかも取り上げられた私が、未だ絶望せずにいられるのはきっと……ハルとの思い出と、今は亡きお母様の言葉があったからだ。


 繰り返し思い出す、ハルの魔法のように明るい笑顔に何度救われただろう。


 もう一度ハルと逢う夢が叶う夢を見続ける。何度も何度も──。


 ──そして私はいつも泣きながら目を覚ますのだ。たった一人で。


 でも今日はいつもと違い、珍しく良い気分で目覚めることが出来た。

 久しぶりにハルと出逢った当時の夢を見たからだろうか。


 昨日は晩餐会があってとても疲れているはずなのに…… 慣れというのは恐ろしく、いつも通り私は日が昇り切る前に目を覚ましていた。

 悲しいかな、使用人として働くうちに図太い神経と体力がついてしまったのかも知れない……まあ、良い事なのだけど。


 今の私を見たら、ハルは幻滅してしまうかも。


 貴族令嬢だったのに、すっかり使用人が板についてきた。今ではこちらの方がしっくり来る。それぐらいこの八年間は長かった。


 ──あの日から結局、ハルとは会えないままで、未だ約束は果たせないでいる。


 それでもいつか必ず会えるからと自分に言い聞かせ、変わらない日々を過ごす。

 お母様が言う「素敵な人」がハルだったら良いな、と都合の良いことを考えながら。



 身支度を整えてから厨房へ行き、火を熾す。朝食の準備をしているうちに使用人たちが起きて来た。


「お嬢! そんな事しなくていいから! 今日ぐらいはゆっくり休んどけ!」


 昔からこの屋敷に仕えてくれている、料理長のデニスさんが私の姿を見て声を上げる。


「おはよう、デニスさん。私なら大丈夫よ。今日はとても気分が良いの」


「……だがなぁ、昨日も夜遅くまで起きてたんじゃねぇのか? お嬢が言い難いなら、俺が奥様に掛け合うぜ?」


 お義母様は何故かデニスさんには強く言えないらしく、時々こうやって私のことを気遣ってくれる。


「ありがとう。でも本当に大丈夫よ。自分でも不思議なんだけど、今日は体を動かしたい気分なの」


「お嬢がそう言うなら……」


 デニスさんは渋々だけど、私の言葉に従ってくれた。

 そして朝食の準備を済ませ、ダイニングで配膳を済ます。

 しばらく待機していると、お義母様とグリンダがのんびりと入って来て食事の席に着く。


 トーストやクロワッサン、マフィンなどの焼きたてパンにチーズがたっぷり入ったふわふわのオムレツ、手作りポークソーセージにベーコン、鮮度抜群の素材で出来たサラダ、豊富な種類を取り揃えたジュースに季節のフルーツ……からのクリームたっぷりのパンケーキ。


 これらの十人分はありそうな量の料理が瞬く間に平らげられていく。


 ……毎朝見ている光景だから既に慣れっこだけど。


 あの料理は何処へ行くのかと思うぐらいお義母様とグリンダはよく食べるのだけれど、それでも体型は細い方なのが不思議なのよね。


 お義母様とグリンダが食事を終える頃、執事のエルマーさんが手紙を持って部屋に入って来た。


「奥様、王宮からの手紙でございます」


 それを聞いたお義母様とグリンダの目が期待に輝く。


「まあ! もしかして、もう結婚の申し込み!?」


「お母様! なんて書いてあるの? 早く読んで!」


 お義母様が封蝋で閉じられた手紙を開封し、忙しなく読んで行く。


「……あら。お茶会のお誘いだわ」


「マティアス様との!? 私行きたい! いつ開催されるの!?」


「ちょっと急だけど、明日だそうよ」


「まあ! そうとなったら早速今から準備しなくっちゃ!」


 グリンダは慌てて立ち上がると、私を見て、横柄な態度で命令した。


「今から湯浴みするから準備して。それから全身くまなくマッサージよ。その後はドレスとアクセサリーのチェック、靴もちゃんと磨いてちょうだい」


「……待って、グリンダ。明日のお茶会にはユーフェミアも招待されているわ」


「なんですって!?」


「まあまあ、落ち着きなさいな。優先順位に変更はないわ。ユーフェミア、貴女はグリンダを磨き上げた後に準備なさい。」


 お義母様の言葉を聞いたグリンダがほくそ笑む。


「精々私を引き立ててよね。あんたはそれぐらいしか役に立たないんだから」


 私は表情を崩さず、抑揚の無い声で答えた。


「畏まりました」


 そんな私をグリンダは面白く無さそうな顔をして睨んだ後、「ふん!」と鼻を鳴らして部屋から出て行った。


 私は食器を片付けて掃除した後、言われた通りの作業を黙々とこなしていく。

 次は湯浴みが終わったグリンダの身体のマッサージ。これが全身となるとかなり重労働なのだ。

 以前、手が冷たかったとかで物を投げられたり怒鳴られたりした事があったので、魔力を通して手を温める。


 ──後で知ったのだけど、これは火の魔法の応用だったらしい。


 そして温めた手でマッサージして行くと、黄色い靄みたいなものがグリンダの身体から立ち昇り、粒子となって消えて行く。

 この霞の様なものは何だろう……? 舞踏会やお茶会の後は暗い青色の霞も出て来るので、何か条件があるのかもしれない。

 まあ、グリンダに害は無い様だし、余り気にしなくても大丈夫かな。


 身体のマッサージの後は髪の毛を香油で梳いて行く。


 実はこのマッサージオイルや香油は、私が屋敷の庭の一区画を借りて、庭師のエドさんに協力して貰い、栽培したハーブたちをブレンドして作ったお手製だ。

 ハンスさんから香水の話を聞いてから興味が出てしまい、屋敷の図書室に所蔵されている本を借りて独学で勉強したのだ。


 そうしてグリンダの手入れが終わる頃には、もうすっかり日が暮れていた。しかしこの後もまだまだ仕事は終わらない。次はお義母様の全身マッサージだ。今日は何時に寝られるだろう。日付が変わるまでに寝られたら良いな。



 ──そして翌日、光り輝かんばかりのグリンダと、くたびれた顔に白粉を塗り込められた私は、いつもの様に別々の馬車で王宮へ向かうのだった。

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