06 ミアとの出会い(ハル視点)
ミアが見えなくなるまで見送った俺を、マリウスが痛々しい表情で見る。
「……ハル、いや……殿下。本当に彼女に皇環を預けてよかったのですか?」
「……くどい。俺がもう決めた事だ。誰にも文句は言わせない」
──そう言ったものの、マリウスが心配するのも仕方がない。
皇環は歴代の皇帝が持つ継承者の証で、かなり希少な鉱物である月輝石で作られており、皇環を失うという事は、継承権も失うと同義なのだ。
帝国において現在、皇位継承権を持つものは俺ともう一人、大公である叔父上だけだ。その叔父上も間も無く継承権を失効する。
帝国では皇位継承権が第一位であっても、四十歳までしか皇位を継ぐことができない。
今は俺が第一位の為、次代の皇環を授かっている。
現在叔父上は三十九歳……虎視眈々と皇位を狙っていた叔父上の事だ。今頃相当焦れているに違いない。
「……はあ。恋は盲目とは言いますが……まさか殿下がねぇ……。確かにミアさんは可愛いし、殿下ともお似合いでしたけど」
「おい。確かに俺はミアに惚れているが、何も考え無しだった訳じゃない」
「……! ほう、ミアさんが可愛かったから惚れただけでは無い、と?」
マリウスが顔を近づけながら興味津々で聞いてくる。
──こいつ、この状況を楽しんでやがるな。
「まず、俺はミアと出会うまで瀕死の状態だった……魔力も底を尽いていたしな。下手すると後一時間ほどで死んでいたと思う」
意外な俺の言葉に、マリウスの顔色が悪くなる。そこまで酷かったとは思わなかったのだろう。
「もう最後だと思ったその時……彼女が俺を見つけて声を掛けてくれたんだ。そして魔法で作った水を飲ませてくれた」
マリウスが「まさか……」と小さく呟いて、考え込む様に顎に手を当てる。
「水を飲んだ後、俺の怪我や体力、魔力は全快していた……その意味がわかるか?」
驚愕した表情のマリウスが俺に問いかける。
「……まさか、彼女は……ポーションを自分の魔力だけで……?」
俺は鷹揚に頷いた。
本来のポーションは、薬草を調合したものに魔力を混ぜて作る、というのが常識だ。
「しかも彼女は無自覚で、その水をただの水だと思い込んでいる。自分が作った水が実は上級ポーションだと気づかずにな」
基本ポーションは高級品で、手に入れるには結構な金額がかかる。
下級、中級、上級、最上級と存在するポーションの中でも、普通の貴族が買えるランクは中級が精々だろう。
更に上級となると、所持出来るのは王族やそれに並ぶ上位の貴族ぐらいだ。
最上級クラスなんて、法国の大司教が持っているらしいと噂されるぐらいで、存在しているのかすら疑わしいレベルだ。
それほど貴重な上級ポーションを作り出す存在なんて、一体どれ程の影響をもたらすのか想像もつかない。
「自分で上級ポーションだと言ったものの……それすら怪しいな。上級ポーションで魔力まで回復した事例など、聞いた事がない」
「それほどの存在が全く知られていないなんて……。本当なら法国が放って置かないでしょうに」
──確かに。法国にミアの事が知られたら、奴らはきっと血眼で探し出し、聖女として祀り上げるかも知れない。
そんな事をさせるつもりは絶対無いけどな。
「……実はそれだけで話は終わらないんだ」
「まだ何かあるんですか? もう十分お腹がいっぱいなんですけど!」
「ポーションを出すとき、ミアは無詠唱だったんだ……しかも……」
「え? え? いや、ちょっと待って下さいよ。そんな事が可能なんですか?」
「……風属性の魔法も使っていた。──もちろん無詠唱で」
「……は?」
マリウスが絶句するのも仕方がない。
無詠唱魔法なんて、昔の伝承でしか聞いた事が無い。
一番魔法の研究が進んでいる魔導国ですら、解明出来ていないのだ。
「もしかするとあの魔法は、風と土属性の複合魔法だったのかも知れないな。見た事も聞いた事も無い魔法だった」
風の魔法で空に自分の意識を飛ばし、目的のものを発見する。そしてその目的物と自分を結び、土魔法で建造物を避けながら最適化したルートを導き出す……そんな魔法をあんな自然に発動出来るなんて。
「魔法バカの殿下がご存知ない魔法なんて……創造魔法……なんて事は……無いですよね?」
バカとは何だ、バカとは。全く主人に対して失礼な奴だ。
俺は生まれつき魔力の流れや属性を視ることが出来た。元々魔法に興味があったのと、魔力を見れる特技を活かして魔法を研究するのが趣味になっている。
皇国の筆頭宮廷魔術師に師事し、たくさんの魔法をこの目で視てきたけれど、ミアが使った魔法は今まで視たことが無いものだった。
「……わからん。ミアの事はわからない事だらけだ」
「確かに……。あの年齢で大商会の会頭とやり合える度胸に、物の価値を計る眼力。それに加え、下手をすると三属性の魔力を持っていて、更に稀有な魔法の才能……と。トドメにあのネックレス……挙げればきりが無いですね」
「やはりあれは月輝石だったか」
「……でしょうね。会頭も気付いたようでしたし、間違いないかと」
「あのネックレス、帝国でもなかなか手に入らないよな?」
「加工が難しい月輝石にあんな見事な細工を施していますからね。一体いくらの値段がつくのか……」
「あの香水なんて目じゃないほどの価値が有るよな。ミアは全く気付いてないけど」
「あのネックレスを所持していたミアさんの母親は帝国に縁のある方でしょうか」
「物腰や所作から、初めは何処ぞの貴族令嬢かと思ったが……。そんな令嬢が一人で街に出て来る筈も無いし、服装は使用人のそれだったしな」
「彼女は一体何者なのでしょうね?」
「そんな事、俺が知りたいってーの」
ああ、やっぱり無理にでも一緒に連れてくればよかった。ミアの都合も考えてなんとか我慢したけど、失敗だったかな。
ミアが何者でも関係無い。どんな事をしてでも、俺は彼女を手に入れる。
本当は魔法の事など、ただの口実だ。
ミアを手に入れる為に発生する障害を潰すのに、材料は多いほど良いからな。
まず、クソ親父や上層部の奴らを黙らせないと。
──もう賽は投げられてしまった。俺も覚悟を決めよう。
ミアの顔を思い浮かべる。さっき別れたばかりなのに、もう逢いたくて仕方がない。
皇位を狙う叔父上の策略に嵌まり、隙を突かれて拘束されてしまった。
以前から命を狙われていたので、王国へ来訪するタイミングで襲って来ることは予想出来ていた。対策は練っていた筈なのに、どうやら相手が一枚上手だったようだ。
命からがら逃げ出したものの、自分が居る場所もわからず移動しているうちに、魔力の枯渇と予想以上の体の衰弱で、もう駄目だと死を覚悟した。
あの生と死の狭間で、命の灯火が消えていくのを自覚しながら、凍えそうな寒さの中で意識が闇へと飲み込まれそうになったその時……光が見えた、その瞬間。温かいものに包まれた様な──不思議な感覚に陥った。
薄っすら目を開けると、そこには銀色の光を纏った少女がいた。目が合ったと思ったら、その少女はとても綺麗に微笑んで──
──こんな綺麗な存在がいるのか、と心の底から思った。
銀色の光かと思ったら、それは見事な銀髪だったのだが。
しかし、その後ミアから聞いた用事の内容や彼女が見せた涙から、あまり良く無い境遇にいるのでは、と言う事に気付く。
もしミアが辛い状況の中にいるのなら、そんな汚い処から助け出してあげたい。
俺が救われた様に、俺もミアを救ってあげたい。
一刻も早くミアと再会して、もう一度彼女の微笑みが見たい。
その為に俺は何を優先するべきか考え、早々に行動に移す。
──しかしその時の俺の考えは甘かったのだと、後で思い知ることになる。
俺が持ちうる、ありとあらゆる手段を使ってミアを探してみても、彼女は一向に見つから無かったからだ──。
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