01 ハルとの出会い1

 ──八年前、お母様が病で亡くなってすぐ、お父様が義母と半年ほど年下の義妹を連れて来た。


「あなたがユーフェミアね。私が新しいお母様よ。これからはたくさん甘えてね」


「お姉さまが出来て嬉しい! 私グリンダ! 仲良くしてね!」


 出会った当初のお義母様は慈愛溢れる笑顔を、グリンダは愛くるしい笑顔を浮かべ、優しく接してくれていた様に思う。

 しかし当時七歳だった私はお母様の死を受け入れる暇もなく、目まぐるしく変化する環境の中で置き去りにされ、気が付けばお父様は領地へ戻った後だった──。


 残された私は、早々に本性を現したお義母様とグリンダから嫌がらせを受ける日々を送る事になった。


 一緒の席で食事をとることを許されず、部屋から出ることを禁じられた。

 そして誕生日祝いにもらった贈り物や、ドレスなど高価な物は全てグリンダに取り上げられ、唯一残った物はお母様の形見のネックレスだけ……それも懇願して何とか返してもらえた物だ。


「私専属の新しいメイドが欲しいけど、雇うお金が勿体ないから、あんたが代わりに働いてよ」


 ある日いつも通りの気まぐれで発したグリンダの一言で、私は使用人として扱われる事になり、今まで住んでいた部屋からも追い出され、屋根裏部屋に住む様に言いつけられた。


 その横暴なお義母様達の振舞いに、屋敷で働いている人達は異議を唱えてくれたけど、お義母様は使用人達に解雇をチラつかせる事で強引に黙らせてしまった。

 使用人達は悔しそうに謝ってくれたけど、お義母様に逆らってまで庇おうとしてくれただけで嬉しかったから、「一生懸命頑張るので仕事を教えて下さい」とお願いすると全員に泣かれてしまったのですごく困ったけれど。


 そして慣れない事に戸惑いつつも、執事のエルマーさんや、今は女中頭になったダニエラさんに仕事を教えて貰いながら、早く仕事を覚えようと躍起になっていた頃、お義母様から突然用事を言いつけられた。


「王都で噂の人気店『コフレ・ア・ビジュー』で数量限定の香水が発売されるんですって! ユーフェミア! 早く行って買って来て!」


 その香水を売っている「コフレ・ア・ビジュー」と言うお店は屋敷から離れた場所にあり、子供の足では片道三時間はかかる距離だ。今から急いで向かってもとても間に合いそうにない。


「香水を手に入れられるまで帰って来るんじゃないわよ!」


 無茶振りにも程があるが、とにかく香水を手に入れないと屋敷から追い出されてしまう。

 お母様との思い出が残るこの屋敷から出るなんて考えられなかった私は大急ぎで準備をし、お店に向かった。

 あのお義母様とグリンダが馬車を使用する許可を出すはずも無く、私は王都の街を懸命に走る。

 後で聞いた話だと、私が言いつけられた時点で商品は既に予約分だけで完売しており、たとえ馬車で急いだとしても手に入るものでは無かったそうだ。


 そんなことも知らずに一生懸命走って息を切らしながらお店に向かう途中、何と無く顔を向けた路地の向こうから気になる気配を感じ、思わず足を止める。

 頭の中では急がなきゃと思うものの、その気配が気になって仕方が無かった私は日が陰って薄暗い路地へそっと足を進めてみた。


 そして向かった先でボロボロの麻袋の様な布に包まっている何かの物体を見つけた。

 その物体をよく見ると呼吸をしているかの様に密かに動いているのがわかった。何かの動物だろうか?

 魔物だったらどうしようと思いつつ、勇気を出して声を掛けてみる事にした。


「もしもし……?」


 声を掛けたと同時に驚いた様な動きをしたそれが、もぞもぞと動き出す。

 そして黒い毛の様なものが見えたと思った瞬間、綺麗な青い宝石が目に入った。宝石だと思ったそれは青い瞳で──。


 ボロ布から顔を出したのは、とてもやつれた様子なのに、それでも綺麗な顔立ちだとわかる、私と同じ年齢ぐらいの男の子だった。


「…………ぅ」


 乾いた唇から微かに漏れ聞こえた声に、我に帰った私は慌ててしゃがみながらカバンの中のコップを取り出し、水魔法でコップを満たす。


 水だけならいつでも魔法で飲む事が出来る。

 喉が渇くだろうと思い、コップをこっそり持って来て正解だったみたい。


 男の子は自分で飲めないくらい弱っているらしく、そっと頭を支え起こしてコップを口につける。


 初めは上手く飲めなくて、口から溢れていったけど、少しずつ飲んでいくうちにゴクゴクと飲める様になって来た。

 水を何杯か飲み終わった頃には、男の子の渇いていた唇も潤いを取り戻し、顔色も心なしか良くなった様な……気がする。

 男の子も何故か驚いた様子で自分の体を見渡している。よくわからないけど、動ける様になったのならもう安心かな?


「……ありがとう、もうダメかと思っていたから助かったよ。俺の名前は……ハル。君の名前を教えて?」


 水を飲んで少しは元気を取り戻したようだけど、ボロボロの姿はそのままで。


 ──だけど私にはハルと名乗った男の子が何故かとても輝いて見えた。


 私も名乗ろうと思って口を開いたものの、本名を名乗るのが恥ずかしく感じて戸惑ってしまった。

 今の私の姿は侯爵令嬢では無くただの使用人だから。そう考えていたら、ついお母様が呼んでくれていた愛称を思い出した。


「ミア……私の名前はミアです」


「そうか……ありがとう、ミア。貴重なポーションをわけてもらってごめんね?」


「……? ポーション?」


 思いもよらない言葉に思わず聞き返す。……水魔法で出したただの水ですよ?


「あれ? 違うの? でもあれは『ぎゅるるるる〜!』


 ハルが何やら言い掛けたその時、彼のお腹から盛大な音が鳴った。


「……」


「……ごめん」


 ハルが恥ずかしそうに顔を赤く染めながら、ポツリと呟いた。

 あれだけ瀕死の状態だったのだ。かなりの間飲まず食わずだったのかも知れない。そう思うと私は慌てて立ち上がった。


「何か食べるものを買って来るから! 絶対ここで待っててね!」


「え! ミア!?」


 本当はハルの側を離れたく無かったけれど、早く彼に何か食べさせてあげたかった私は市場へ向かって駆け出した。

 しばらく食べていない体に何が良いか考えて、口当たりの良さそうなパンや果物を買うと急いでハルの元へ戻った。

 もう居なかったらどうしようと不安だったけど、ハルは私が戻るまで待っていてくれた。


 その姿にほっとため息を漏らす。


「おまたせ。久しぶりに食べるんでしょ? ゆっくり噛んでから飲み込んでね」


 ハルに買って来たものを渡すと、余程お腹が空いていたのかムシャムシャと食べ始める。

 私はさっきと同じ様にコップを取り出し、魔法で水を注ぐ。

 その様子をハルがパンを食べながら、興味深そうにじーっと見つめていた。


「どうしたの?」


「さっきの水もそうやって出してたの?」


「ええ、お水だったら魔法で簡単に出せるもの」


「…………」


「ハル?」


「……いや、何でもないよ。そのお水、もらって良い?」


 そう言うとハルはコップの中の水を美味しそうに飲み干した。


「美味しかったよミア。食べ物ありがとう。でも俺、今手持ちがなくてすぐに返せないんだ……」


 ハルはすごく申し訳なさげに謝ってくれるけど、そんなの承知の上だ。


「お金使わせちゃってごめんね。怒られるんじゃない?」


 本当は香水を買う為に渡されたお金を少し使ってしまったから、このままではお金が足りなくて買って帰る事が出来ないけど……。

 足りない分は……。うーん、このネックレスを売れば大丈夫かも。

 価値がないとは言ってもお義母様が言うことだ。きっと金銭感覚が違うに違いない……たぶん。

 お母様の形見のネックレスを手放すのは寂しいけれど、ハルを助ける事が出来たのだから悔いは無い。きっとお母様も褒めてくれるよね。


「大丈夫! 気にしないで!」


「でも……」


 未だ納得出来無い様子のハルに、私は誤魔化す為に今思い出した様に叫んだ。


「そうだ! 私お使いを頼まれていたの! 早く行かなくちゃ!」


 突然叫び出した私にハルもびっくりして慌て出す。

 

「えっ!? それじゃあ、俺も護衛代わりにお供するよ!」


「で、でも……もう少し休んだ方が良いよ。それにその姿じゃ目立っちゃうかも」


 ハルの黒い髪は珍しいし、服はひどく破けていないものの、綻んでいたりあちこち薄汚れていて、人混みの中でも悪目立ちしそうだから心配になる。

 ……怖い人に絡まれたらどうしよう。


「そこは大丈夫! ミアのおかげで魔力も回復できたしね!」


 そう言ってハルが何やら呪文の様なものを呟いた。声が小さくて聞き取りにくいけど、何かの魔法を使った様だ。


「これでどう?」


 ハルが一瞬光ったと思ったら、すっかり身綺麗になった姿で現れた。しかも髪の色が黒からよく見かける茶色に変わっている。


「ええ! すごい! さっきとは別人みたい!」


「ちょっと洗浄の魔法と、光の屈折を利用して髪の色を変えてみたんだ。どう? すごいでしょ」


「うん! 本当にすごい! 本当にびっくりしたけど……」


「え!? 何なに? どこか変かな? 格好良く無かった?」


 言い淀む私にハルがしょんぼりしてしまったので、慌てて誤解を解く。


「違うの! すっごくカッコ良いからまるで王子様みたいだけど、髪の色はそのままの方が素敵なのに、変えちゃったからちょっと勿体無いなって……!」


 信じてもらおうと両手を握り、必死に力説する私を見て、ハルは驚いた様に目を瞠った後、それはもう嬉しそうに顔を綻ばせた。

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