ぬりかべ令嬢、介護要員として嫁いだ先で幸せになる。

デコスケ

第一章 ナゼール王国

プロローグ

 月の光が冴え渡る夜、月明かりに照らされた白亜の城の大広間では王都中の貴族が集い、舞踏会を楽しんでいた。


 見上げるぐらい高い天井には美しい絵画が描かれ、等間隔に配置された煌びやかなシャンデリアからは暖かい光が降り注いでいる。

 磨き上げられた大理石の床は天井からの光を反射し、美しく着飾った人々をより一層輝かせる。

 そんな絢爛豪華な世界の中で、思わず目を奪われてしまう圧倒的な存在感を放つ人物がいた。


 グリンダ・ウォード・アールグレーン──ウォード侯爵家令嬢である。


 豊かな蜂蜜色の髪に澄み切った泉のような青い瞳。

 美を具現化したような彼女の周りにはいつも光が満ち溢れている──そんな錯覚を人々に与えていた。


 彼女の周りには沢山の取り巻きたちがおり、誰も彼もグリンダの気を引こうと躍起になっている。


「なんと美しい……」


「あの方がかのウォード侯爵家の令嬢か」


「では、彼女がマティアス殿下の筆頭婚約者候補……」


「さすがは筆頭と称されるだけはある。素晴らしい美貌ですな」


「いやいや、それがどうやら彼女は婚約者候補では無いらしいですぞ」


「んん? 私は王家がウォード家に婚約を打診をしたと聞いていたのだが……」


 グリンダに興味を持った貴族たちが憶測でものを言う。


「ウォード侯爵は八年前に再婚しただろう? 彼女はウォード侯爵の後妻の娘でね。本当の婚約者候補は……ほら、あそこさ」


 貴族たちの好奇の目が注がれる先にいたのは……銀色の髪をした野暮ったい令嬢だった。


「これはまた……」


「……う、うむ……。」


 いつもはおしゃべりな貴族たちも、その令嬢を見て口を噤んでしまい、なんとも言えない雰囲気が漂う。


「本当にかの令嬢がその……ウォード侯爵の?」


「ウォード侯爵の奥方といえば、かつて社交界で名を馳せた美姫、ツェツィーリア嬢でしたな」


「だが髪の色以外似ていない様だ」


「しかし、彼女がマティアス殿下の婚約者候補、ユーフェミア・ウォード・アールグレーンだよ」


 貴族たちが信じられないと言う顔をしてユーフェミアを見る。しかしそれも仕方がない事だった。

 そこにいるユーフェミアは少し……いや、かなり厚化粧なのか、顔には白粉がふんだんに塗り込められており、さらに全身を覆うような薄い水色を基調としたドレスを着ているため、銀の髪と相まって、全体的に白っぽくのっぺりとした印象だったからだ。


 ほぼ大広間の壁と同化している様にも見えるので、そこに居ると言われなければその存在に気づく人間は少ないかも知れない。

 しかしじっくり観察してみると、背筋をピンと伸ばした姿勢やスタイルの良さが見て取れるものの、グリンダという比較対象が美し過ぎたのか、とてもではないが一国の王子の婚約者候補に名前が挙がる様な容姿には見えない。


 貴族たちも内心「ないわー」と思うものの、この場では誰もそれを口にしない。もしかすると将来の王子妃への不敬となる可能性があるからだ。

 それでもお茶会などの内輪の間ではいつもユーフェミアの話題で持ちきりであった。その内容はとても本人に聞かせられない様なものばかりであったが。


 大人しく存在感が無いユーフェミアが貴族達の噂の種になるきっかけがあった。

 それは以前、グリンダに心酔する貴族の青年が、グリンダが夜会になかなか出席できないのはユーフェミアと関係が有るのではないか、と質問したからだ。

 その質問にグリンダは「お義姉さまが出席されないのに私が出席するわけにはいきませんから」と、少し眉尻を下げ、寂し気に微笑んだという。


 その儚げで庇護欲を掻き立てる様が、更に信望者を増やしたらしい。


 「自分の容姿に自信がないから滅多に夜会に出席しない。だからグリンダ嬢も気を使って夜会に出席する事ができない」


 ユーフェミアの我儘のせいでグリンダが我慢を強いられていると思った一部の貴公子達が、ユーフェミアを憎々しく思うのも仕方がない事であった。


 そうして色んな噂が社交界で飛び交うことになるのだった。


「ユーフェミア嬢は醜い顔を厚化粧で誤魔化している」


「化粧の下には酷い痣がある」


「殿下に避けられている」


「いつ婚約候補から外されるか賭けの対象になっている」


「屋敷ではグリンダ嬢の美貌を妬んで暴言を吐いている」


 夜会に来てもほぼ壁の花と化しているユーフェミアは無表情で話しかけても反応が悪く、その態度が更に噂好きの貴族たちの格好の餌食になっていた。


 あと三ヶ月程でマティアスが成人するため、近々正式に婚約者が選ばれるだろうと言われており、ここ最近の舞踏会は令嬢たちのお披露目や顔見せの場でもあった。そうなると適齢期の令息も多く出席する事になり、ある意味出会いを求める貴族たちのお見合いパーティーと化している。


 貴族たちが思い思いに歓談している中、ファンファーレが響き渡り王族たちが列席したことを告げる。華々しい王族たちが姿を現す中、年頃の令嬢たちの視線は麗しい王子へと集中する。


 マティアスは少しウェーブがかかった明るい金色の髪に新緑を思わせる緑の瞳の美しい青年であった。


「ああ……マティアス様素敵…」


「ご一緒にダンスを踊っていただけないかしら」


「マティアス様に誘っていただけたら嬉しさのあまり失神しちゃいそうだわ」


「あのご尊顔を拝見出来るだけで出席した価値ありね」


 国王の挨拶もそっちのけで、令嬢たちは熱の篭った目で麗しい王子を見つめては頬を染めながらため息を漏らす。


 王族の挨拶が終わると王宮楽団が曲を奏で始め、それを合図に貴族たちがそれぞれのパートナーを誘ってダンスを始める。

 若い貴族たちがダンスに誘おうと意中の相手へ声をかける姿があちこちで見られる中、沢山の青年たちがグリンダの周りにいた。


「グリンダ嬢、今宵は是非私とファーストダンスを踊っていただけませんか?」


「いやいや、その名誉は是非私めにお与えください」


「君には良い仲の令嬢がいるだろう? 彼女を誘いたまえよ」


「そう言う君は奥方が居るだろう!」


 男たちがグリンダとダンスを踊る権利を得ようと必死になっているところへ近づく人物がいた。その人物に気づいた人々の人垣が割れていき、中心にいたグリンダへ涼やかな声がかけられる。


「グリンダ嬢、私とダンスを踊っていただけませんか?」


 そこには優雅な微笑みを湛えたマティアスがグリンダへ手を差し伸べていた。


 その様子を見ていた令嬢たちからは黄色い声が上がり、令息たちからはため息が漏れる。


 マティアスから誘われたグリンダは一瞬怯み、戸惑った様子を見せながらも王族からの誘いは断れないと思ったのか、そろそろとマティアスの手を取った。


「私でよろしければ、喜んで」


 嬉しそうにはにかんで、優しく微笑むグリンダから光がきらきらとこぼれ落ちる。その美しいさまにマティアスは思わず目を瞠る。


 そうして美しい令嬢と王子が踊るその姿は、しばらく貴族たちの間で熱く語り継がれる事になるのだった。





 * * * * * *





 煌びやかな舞踏会から静かな屋敷へと戻ったユーフェミアは、屋根裏にある質素な自分の部屋で汚れないようにドレスを脱ぐと、急いで化粧を落とすための準備を始める。


 季節は秋とはいえ夜は気温も下がりやや肌寒い。しかし屋根裏に暖炉や浴室は無いため、普通は桶に汲んだ水に浸した布で体を拭くしか無い。


 ユーフェミアは桶を用意すると呪文を詠唱する。


「我が力の源よ たゆたう水となり 我が手に集え ウォーターボール」


 ユーフェミアの手に現れた水が桶の中に降り注ぐ。


「我が力の源よ 燃え盛る炎となり 我が手に集え ファイアーボール」


 魔法で現れた炎の玉が桶に入れられお湯となり、温かな湯気を上げる。


 「これぐらいで大丈夫かな……」


 ユーフェミアは湯の温度を確かめ、慣れた手つきで体を拭いていく。


 白粉がお湯に流されていき、日に焼けた肌が現れる。それは貴族の令嬢が持つ透き通るような白い肌とは違う、使用人や平民と同じような肌の色だった。


 そして濡れた肌を今度は風魔法で乾かしていく。


 ユーフェミアはここナゼール王国では珍しい火・水・風・土からなる四属性の魔力の持ち主であった。


 普通は一つか二つの属性しか持たない中でその素質はかなり貴重らしく、マティアス王子の婚約者に名が挙がっているのも、その稀な力を王家に取り込みたいと国王が欲したからだ。

 だが残念な事に、彼女の魔力量は普通であった。しかも折角の資質があっても碌に魔法の教育を受けていない彼女は初級レベルの魔法しか使う事が出来ない。

 普通の貴族の息女であれば、魔法の教師を雇い指導を受けるのだが、もちろんユーフェミアは受けていない。

 王家から教師の派遣を打診されても、義母であるジュディが断っていたからだ。

 だからユーフェミアは魔法を学ぶ機会がなく、使用人達が詠唱しているのを聞いて覚える事しか出来なかった。


 以前は無意識で無詠唱の魔法を使っていたのだが、詠唱するのが正しいと勘違いした彼女は詠唱する事にした。

 本来であれば無詠唱がどれほど稀有な事なのか、無知な彼女が知る由もなく。

 もしユーフェミアが無詠唱で魔法を使えると判明すれば、王家はもちろんの事、魔法の研究が盛んな魔導国が躍起になって迎え入れようとしただろう。

 しかし彼女にとっては十分生活に役立っているので不満はないし、もし無詠唱の事が知られれば問答無用で王族と結婚させられたので、身分や権力に興味がないユーフェミアにとって、むしろ知られない方が良かっただろう。


「あー、すっきり!」


 白粉で塗り固められた顔や身体を綺麗に拭き取ると、妖精かと見紛う美しい顔が現れる。

 もし此処が先程の舞踏会会場であれば、年頃の青年貴族たちは挙って彼女にダンスを申し込んだだろう。


 化粧を落としたユーフェミアはお仕着せの服を身に纏う。その姿はどこから見てもメイドであった。しかしメイドにしては気品溢れる整った顔立ちをしているのでどうしても違和感は拭えない。


 ユーフェミアが身支度を整えると、屋根裏部屋の扉の向こうから怒鳴り声が聞こえた。


「ユーフェミア! 早くグリンダの着替えを手伝いなさい!」


 神経質そうなその声の主はユーフェミアの義母でグリンダの母、ジュディ・ウォード・アールグレーンだ。

 彼女の機嫌を損ねると躾という名の嫌がらせをされるため、ユーフェミアは慌てて義母の元へ走る。


 幼い頃に母を病で亡くし、父親が再婚してからの八年間、ユーフェミアはずっと使用人の様に扱われていた。

 それでも侯爵家の威厳を保つためか、出席する必要がある舞踏会などには無理やり着飾って出席させられるのだが、使用人の様に働かされている彼女の肌はすっかり日に焼けてしまっていた。

 手も荒れ放題で白魚の様な手とは程遠い。なので義母は苦肉の策として、肌が見えない野暮ったいドレスに手袋をさせ、肌の色をごまかすために白粉を塗りまくるのだ。そのせいでユーフェミアの素顔を知るものは屋敷の者のみとなっている。


 屋敷の者も女主人であるジュディの怒りに触れるのを恐れているのか、ユーフェミアには必要最低限の関わりしか持たない……ように見せかけて、実はジュディの目を盗み、ユーフェミアを助けてくれる者は大勢いる。


 ユーフェミアがグリンダの部屋へ行くと、義母と義妹の会話が部屋から漏れ聞こえてきた。重厚な扉のはずが、義母と義妹はすこぶる機嫌が良いらしく、大声で今日の舞踏会の話をしているようだった。


「今日はどうだった? 侯爵令嬢っぽく上手に振舞えたの?」


「勿論よ。今日もたくさん笑顔を振り撒いて来てやったわ。これからしばらくお茶会の誘いや贈り物がたくさん届くかもね」


「まあ! それは楽しみね。今度はどれくらい高価なものが届くかしら」


「私、帝国産の月輝石をふんだんに使ったネックレスが欲しいわ」


「ふふ、グリンダったら。そんな希少な石なんて王国の貴族が手に入れるのは無理なんじゃない? 私だって見たことが無いんだから」


「そうよねえ。こんな小国貴族の懐具合なんてたかが知れてるわよね。──ああ、ここが帝国だったらもっと高価な物が手に入ったかもしれないのに」


「かと言って帝国に伝は無いんだから王国で我慢しなきゃ。貴族はともかく、殿下とはどうだったの?」


「そうそう! 今日マティアス王子とダンスを踊ったの! ちょっと微笑んでやったら、私の事をすごく熱の篭った瞳で見つめるのよ。それにまた一緒に踊りたいですって! 彼ったらもう私に夢中みたいなのよ。ちょっとチョロ過ぎで心配になるわ」


「さすが私の娘! 良くやったわ! じゃあ近々婚約の申し込みがあるかもしれないわね」


「今まではウォード家の血を引いていないからって婚約者候補から外されていたけど……殿下本人からの要望だったら元老院のジジイたちも無視できないでしょ」


 そこには舞踏会で人々を魅了した美しい令嬢の姿はなく、己の欲望を隠そうともしない歪んだ嘲笑を浮かべる少女がいた。

 義母と義妹の会話内容にユーフェミアは思わず立ち竦む。しかし義母に呼び出された手前逃げることも叶わず、仕方なく扉を叩く。


「お義母様、ユーフェミアです」


 ユーフェミアが声をかけると、先ほどまでの楽しそうな雰囲気が一転し、不機嫌そうな顔をした義母が怒鳴りつけて来た。


「遅いわね! 何グズグズしてるの!」


「申し訳ありません」


 部屋に入ってきたユーフェミアを見てグリンダが意地の悪い微笑みを口元に浮かべる。


「そう言えばあんた、すっごく無様だったわねー。みんなあんたの事なんて呼んでいるか知ってる? 『ぬりかべ令嬢』ですって!」


「あらあら。グリンダ、『ぬりかべ』ってなあに?」


「お母様、『ぬりかべ』は東の島国で昔から伝えられている、姿の見えない壁のような魔物なんですって。ユーフェミアは白くていつも壁の花だから『ぬりかべ』の様だって」


「ホホホ。上手く表現したものね」


「でしょー? 笑いを我慢するの大変だったのよ」


 義母と義妹がユーフェミアに侮蔑の視線を向け、嘲笑う。こうして毎日のように蔑まれているユーフェミアは慣れたものなのか無表情で佇んでいる。


 無反応なユーフェミアに苛立った義母が大声で命令した。


「早くグリンダの手入れをなさい! 殿下とのダンスで疲れてるのよ。香油を使ってマッサージもやってあげて!」


「私はあんたと違ってお坊ちゃん達からダンスに誘われて大変だったんだから。しっかりマッサージしなさいよ。爪の先までちゃんと手入れしてちょうだい」


「グリンダのドレスも今日中に洗っておきなさい。丁寧にね!」


「今日は全く食べる暇がなかったからお腹が空いたわ。あんた何か作りなさいよ」


 次々と好き勝手に仕事を言いつける義母と義妹に内心ため息をつきながらも表情には出さず、ユーフェミアは粛々と仕事をこなす。

 屋敷の使用人達が就寝する時間もとうに過ぎ、ユーフェミアの仕事が終わったのは夜も更けた真夜中だった。


 屋根裏の自室に戻ったユーフェミアは舞踏会のことを思い返す。


 着飾った貴族や贅を尽くした料理、目に入るもの全てが豪華だった。しかし彼女にとっては全く心が躍ることがない、むしろ面倒臭い行事と言う認識だ。


 義母達に使用人扱いされる様になった当初は、母を偲ぶ間も無く慣れない仕事を押し付けられ絶望的になったものの、少しずつ仕事を覚え慣れて来る頃にはすっかり使用人スキルが板についてしまい、彼女は令嬢として振る舞うよりも、働いている方が楽しく思う様になっていた。

 ただ、今日の様にグリンダの準備に追われた上、自分も出席となると流石に疲労困憊だった。


 ベッドの中に潜り込み目を閉じると、マティアスとグリンダが踊っている光景を思い出す。美男美女が並ぶ姿はとても目の保養だった。

 王妃などに興味がないユーフェミアにとって、マティアスはただの王族の一人であり、恋愛感情は一欠片も持っていない。むしろ早くグリンダを引き取ってもらいたいぐらいだ。


 ユーフェミアは胸元からネックレスを取り出す。産みの母の形見であるそれは肌身離さず身に着けている宝物だ。


 初めは義母に取り上げられそうになったが、特に価値があるものでは無いと分かった途端興味を無くした様で、捨てられそうになったところを必死に懇願して手元に残したものだ。


 形見のネックレスの鎖には、その時はまだ無かった指輪が通されていた。使用人として扱われ出した頃に出会った、初恋の少年から貰った思い出の品だ。


「ハル……」


 思わず少年の名前が口からこぼれ落ちる。仲睦まじい恋人達の姿に当てられ、一人でいるのが少し寂しくなったのかも知れない。


 ユーフェミアはハルと名乗った少年を思い出す。ナゼール王国では珍しい黒い髪をした少年だった。今思えば多種多様な人種が集う帝国の出身なのかも知れない。平民か貴族かもわからないけれど、とても明るく優しい男の子だった。


 ハルからもらった指輪を握りしめる。


 ──せめて夢の中で逢えますように、と願いながら、ユーフェミアは眠りに落ちたのだった。

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