第13話 消しゴムで人生観が激変しちゃうこともある

「あれは小学六年生ぐらいだったかな。あの頃の俺はそれなりに男友達もいて、放課後になるとみんなでサッカーとかを楽しむぐらいにはコミュ力があったし、おまけに思春期の多感な男子だったから当然のように好きな女子もいたわけよ」


「ふぅん……それで?」


 水原の返事はかなり雑だった。つーか、やや不機嫌にすら見えるのだが。


「ただ、当時の俺は女子が相手だと緊張して上手く話せないシャイボーイだった。だからその子とは一度も話せてなくて、それでも次の日こそは話せるようになりたいって毎晩のように祈ってたら奇跡が起きた。ほら、毎学期恒例イベントの席替えがあるだろ。あれで好きな子の隣をゲットしたわけだ。それからの毎日はもう本当に幸せの絶頂。好きな子が隣にいて、たまにチラッと視線を向けると目が合ったりするから余計に気になる。それでなんとか話しかけてみようとするものの、やっぱ勇気が出なくて断念するって甘酸っぱい日々を繰り返していた。俺、健気で可愛いだろ?」


「ちょっと待って! それ何学期ぐらいのこと?」


 机から身を乗り出すぐらい前のめりに水原が聞いてきた。

 おい。俺の可愛いアピールは完全にスルーかよ。


「うるせぇよ! そんなの忘れたに決まってんだろうが!」


「はあ……もういいよ……さっさと続けて」


 今度は深いため息を吐きながらドカッと椅子に腰を下ろす。

 こいつさっきからなんなの?


「いいから黙って聞け。ここからが本題だ」


 そこまで言うと、自然とあの日のことがフラッシュバックしてくる。


 不意に転がってくる彼女の消しゴム。

 隣から聞こえる申し訳なさそうな声。

 しばし消しゴムを見つめる当時の俺。

 急に恥ずかしくなって教室から逃亡。


 翌日からは罪悪感と羞恥心で彼女に視線を向けることもできず、あっという間に月日が流れて席替えの時期になり、わざと彼女を意識しないように過ごしていたらいつの間にか小学校を卒業していた。

 こうして俺の初恋はあえなく消滅したわけだ。

 あくまでも撃沈じゃなくて消滅ってとこがポイントな。


 こんなの珍しいことじゃないし、俺と同じような経験をしたやつは結構いるだろ。

 まあ、俺の場合はそれから周囲との付き合いがすごく面倒に思えてきたってだけ。

 体裁とか外面とか他人の気持ちとか気にすることに心の底から疲れたから、少なくとも学生時代ぐらいは自分のことだけを考えて生きようと決意した結果、ボッチな花村蓮太の誕生である。ボッチ爆誕!

 

 そんなわけで、ボッチになった理由は単純明白だ。


「消しゴムのせいだな」


「はあ? 消しゴム?」


 キョトンとした顔で水原は首を傾げる。


「そう。消しゴムだ。お前も気を付けろよ。あんなちっぽけなモノのせいで人生観が激変しちゃうこともあるから」


「……マジ意味が分からないんですけど」


「分からなくていいよ。とりあえず今日のところは『消しゴム』というパワーワードだけ覚えてれば上出来だから。その前の話は忘れてよし」


「たぶん家に着く頃には全部忘れてるわ」


「お前ニワトリかよ。せめて一週間ぐらいは覚えろ」


「つーか、いきなり消しゴムとか言われても分かんないでしょ! そもそも大事な部分を話してないことに気付けバカ!」


 水原が語気を荒げてくる。はいはい。これいつものパターンです。またここから不毛な口喧嘩のはじまりだ。なにこのラブコメっぽい展開。萌え要素が一切ないのだが。


「うるせぇな! ちゃんとトラウマを披露してやったじゃねぇか! 本当は恥ずかしくて途中で八割ぐらい脚色しようかと思ったからね! まずは感謝の言葉が先だろ!」


「だから肝心なとこが聞けてないって! マジでコミュ障かよ! ったく、もうホントにウザ過ぎ! 久しぶりに女子と喋って緊張してんだろバカ! もう死ねよ!」


「カチーン。このアマ……ちょっと優しくしてやったら調子に乗りやがって。これ以上の暴言は敵対行為とみなして『パーフェクトサイレントモード』に移行するぞ」


「……なにその英語?」


「ガン無視ってことだ。お前、それも分かんねぇのかよ。どうせクソビッチな水原先輩はビッチするためだけに学校にビッチしにきてるから勉強もビッチなんだろ?」


「マジでキモ過ぎるし! 絶対ビッチって言いたいだけでしょ! つーか、アタシのこと勝手にビッチ扱いしないで欲しいんですけど! アタシまだヴァージンだし! そもそも彼氏だっていたことないから!」


「ああ? それがどうした処女ビッチ! 俺だって余裕でヴァージンだし、彼女どころか女友達すらできたことねぇよ!」


「処女ビッチってなによ! 友達もいない童貞ボッチのくせに!」


「童貞ボッチって完全に人生詰んでるじゃねぇか! 訂正しろ!」


 俺と水原はハアハアと肩で息をしながらもお互いを威嚇し合う。

 何故か途中からピュア自慢みたいな流れになっていたが、友達がいない分のポイントを含めると俺の判定勝ちだな。試合後のダメージが半端ないのが唯一の弱点。


「……もうこの話やめよう。本気で泣きそうになってきた」


「……だな。これ無駄に二人で自爆し合ってるだけだから」


 束の間の静寂が俺たちに冷静さを取り戻させる。

 後五分ぐらい早く気付けていたらノーダメージだったのにね。

 戦いの後、俺たちは健闘を称え合うわけでもなく、お互いのホームグラウンドに戻っていった。水原はスマホいじいじ、俺はラノベ読み読みである。


 部室の中は三度の静寂に包まれたが、さっきみたいな重苦しさはなかった。どちらかといえば祭りの後のような雰囲気。なんとなく心にぽっかりと穴が開いたような、まだまだ続いて欲しいと寂しく感じるような不思議で懐かしい静けさ。


 いや、やっぱりあんな無意味な戦いは二度とごめんだ。

 つーか、水原ってヴァージンだったのかよ。あんな中高年のおじさんをピンポイントで狙い撃ちするようなエロい格好してるくせに意外な事実。

 

 まあ、要するにビッチも見かけによらないってことか。

 などと勝手に納得していると、スマホをいじっていた水原が軽く背伸びをして椅子から立ち上がった。


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