第3話 子供に見せるなよ
大学の授業というのは面白い。
高校までとは違った視点で学べる。
経済、憲法、宗教、言語。
今まで知っているだけの存在が、自分の内側に入ってくるような感覚だ。
自分が蓄積してきた世界が一気に広がりを見せる。
それだけで大学に入った意義があるというものだ。
これでテストさえなければな。。。
俺は大学終わりに、大学の近くにあるショッピングモールをぶらついていた。
昼下がりのショッピングモールはそれなりに混んでいた。
平日なのに結構人がいるな。
高校生くらいの制服を着た男の子たち。
まだ学校の時間では。
春らしい明るい色のワンピースを着ている女性たち。
OLかな。会社は休みか。
平日のショッピングモールはそんな得体の知れない人で賑わっている。
特段買い物が好きという訳ではないが、時々こうしてただあてもなくぶらつくのを楽しむことがある。
思い返すと、大学の授業が面白かった日は特に頻度が高い気がする。
多分、今日受けた刺激をぼーっとしながら噛み締めたいのかもしれない。
ショッピングモールを一通り歩いて、俺は自動販売機などが置かれている小休憩スペースのベンチに腰を掛けた。
自動販売機の横には昔懐かしいガチャガチャが何種類か置いてある。
しばらく眺めていると、小学生低学年くらいの子供たちが、代わる代わるガチャガチャを回しに来る。
懐かしい。
俺も昔はよくガチャガチャをおやじにねだったような気がする。
一昔前まではガチャガチャといえば100円が相場だった。
200円のガチャガチャは回すのにかなり勇気がいるイメージだった。
今となっては考えられないが、欲しい景品が出なかったときは、膝から崩れ落ちて母さんとおやじを心配させていた。
この年になって、ガチャガチャに対して思うことは、ガチャガチャについて最高のワクワクを感じる瞬間は、回す直前だということだ。
実際、欲しい景品でも出た瞬間は喜ぶが、以降は時間とともに喜びは下降していくイメージだ。
逆に欲しくない景品で膝から崩れ落ちたとしても、ちゃんと景品が出てきたという安堵感にも似た感情になるから不思議だ。
結果如何にかかわらず、直前から楽しめるのがガチャガチャの楽しいところだなと、なんとなく考えていた。
もしかして、このワクワク感が忘れられない感じはギャンブル依存症のそれなのではと、ガチャガチャという商売に対して思いを巡らせた。
そういえばかなも例に漏れずガチャガチャにはまった時期があった。
そのうちまー坊も言い出すのだろう。
3きょうだいのワクワクと小銭を吸い込もうとする不思議な機械。
ガチャガチャ。
それからしばらく、俺はあいつらの事を考えながらガチャガチャを眺めていた。
そのうち考えることもなくなってきて、意識がぼーっとしてきた。
しばらくぼーっとしてると、急に人の影を目の端で捉えた。
誰かが右隣に座ってきた。
俺は座ってきた人を直視しないように、ゆっくりとどんな人物なのかを探った。
どうやら隣に座ってきたのは中年のサラリーマンのようだった。
それから右隣のサラリーマンに意識を向けながらも、左側から自分の周りを見渡した。
このスペースにベンチは3つある。
てっきり残りの2つのベンチは埋まっていると思ったのだが、空いている。
つまり、なぜか俺は知らないおっさんと不必要に相合ベンチをしているのだ。
なんだこれ。
急に気持ち悪くなって、ふと右隣を見ると見覚えのある横顔があった。
「おやじ!?」
俺は全くの予想外の出来事に、ここ最近で一番大きな声を上げた。
周りにいた小学生とそのお母さんたちが一斉に俺を見た。
俺は反射的に肩をすぼめた。
「おー竹康!こんなところで会うなんて奇遇だな!」
そんな俺の心情を飛び越えるかのように、おやじは大きな声で話かけてくる。
「いや、気づいてただろ。」
「なんで新鮮な反応なんだよ。」
「いやーそれにしても奇遇だな!」
「こんなことってある??」
「よもや奇跡だよな!!」
「俺の学校は近所だし、おやじも仕事だったら近くに来ることくらいあるだろ。」
「この辺はオフィスも多いし。」
何故か大はしゃぎするおやじを尻目に冷たくあしらう。
「いやーにしても奇跡だわ!」
「これ地球上だよ??」
「偶然過ぎない?」
「それに今日同じ家に帰るんだよ?」
「もはや運命だ!」
「。。。いや、あーそうな。」
「あれれ??」
「よく見ると竹康男じゃん!?」
「俺も俺も~!!」
「いやー奇遇だわ!」
「うぜーよ!」
マジでうざい。
うちのおやじはいつもこんな感じだ。
とにかくテンションが異常なほど高い。
これは完全にかなに遺伝しているのだが、なぜかかなとも気が合わない不思議な男だ。
母さんはしばらく相手をしているが、度が過ぎると無言でビンタをするのは我が家では見慣れた光景だ。
常にこんなテンションでいられるのだから、ある意味感情の起伏はない。
ずっとポジティブでいられるのだから、見習うべきことも多い不思議な人だ。
「おやじはさぼりか?」
俺はあえて意地悪そうに聞いてみた。
「いやいや、たまたまこの辺りで商談があるんだけど、約束の時間までまだあったから寄ったのよ!」
「俺は仕事をさぼるときはこんな人の多いところではさぼらない!」
「悪いことは裏でやるもんだ!」
「なんだそのポリシーは。」
時間つぶすためにショッピングモールに寄ったのなら、それはさぼっているのでは。
思わず声に出そうだったが、先の面倒なやり取りを見越してぐっと言葉を飲み込んだ。
「そんなことより、今日は大事な大事な商談なんだよ~!」
おやじがぐいとこちらに体を寄せてきた。
「聞いてないって。」
俺はおやじから逃げるようにベンチの左端に避難する。
「それでさ~」
そう言うとおやじは俺を追い詰めるかのように、左に寄ってきた。
「お父さんは心配なんだよ~!」
「難しい商談なの?」
俺は話を合わせる程度におやじに応えてやった。
「いやいや、竹康が将来どんな老人ホームに入るかがね~!!」
「あーもう!」
おやじの相手をしていると、めちゃくちゃ時間を無駄に使っている気がしてならない。
どの段階の将来を心配しているんだと、ツッコミたくなる自分にも腹が立つ。
「それよりさ、竹康さ、お父さんの身だしなみチェックしてよ!!」
「ほら!ほら!なんかさ、変なところない??」
「頭」
「いやいや、散髪は最近したから大丈夫なはずだよ!」
つくづく幸せな脳みそだ。
イラつく感情を抑え、俺はおやじの服装を上から下まで見ていく。
人間性は好きではないが、ファッションセンスは異常にいい。
スーツはしわがなく、3点セットが決まっている。
中年の割に締まっているいる体が一層上品さを醸し出している。
少し明るめのネクタイが、暗めのスーツの色に映えていて、その下から軽く見えるワイシャツの青色がまた出来る男という印象をあたえているようだ。
髪型も本人が言うように、散髪したてのようで、乱れることなく七三にきまっている。
「あーいいと思うぜ。」
これは心からの感想だ。
「よし!これで商談は大丈夫だな。」
目の前の中年がガッツポーズをする。
「そうだな。」
「鼻毛さえ出てなければな。」
俺は静かに指摘をする。
「え!?」
おやじが素っ頓狂な声を出す。
「いや、鼻毛。」
「出てる。内側から。」
おやじを識別した時から思っていたが、鼻の内側から決して長いわけではないが、妙に目立つ鼻毛が1本出ている。
「マジかよ!?」
「超かっこ悪い!!」
「しかも内側!?」
「抜いたらめっちゃ痛いやつじゃん!!」
頼むから自分の年齢を鑑みてはしゃいでくれ。
誰も鼻毛ではしゃぐ中年は見たくないんだ。
「そうだ、竹康!今から抜くから見ててくれない?」
「確認してよ!」
「嫌だ。」
俺の返事を聞かずして、おやじは俺に背を向けてどうやら鼻毛を抜いているようだ。
プチッ。
俺にも確かに聞こえる音で、鼻毛は抜けたようだ。
「痛って~!!」
おやじは涙目になりながら、こちらに振り返る。
「!!」
俺は咄嗟に言葉が出なかった。
抜けてなかった。
鼻毛はくりんとパーマがかかったように丸まっていたが、そこにまだあった。
おそらく抜けた音がしたのは、その近辺のもので、今回のメインターゲットではなかったようだ。
「おやじ、抜けてないよ。」
俺はおやじに教えてやった。
「マジかよ!!」
「じゃあさっき抜けたのは影武者!?」
おやじはそういうとまた背を向けて、憎き敵と戦っているようだ。
「鼻毛の影武者ってなんだよ。」
俺がぼそっとつぶやくと、おやじが戦いから生還してきた。
「よし!これで大丈夫だ!」
汚いことに、おやじの指には抜けた鼻毛が2本つままれている。
しかし、不思議なことにメインターゲットは残ったままだ。
しかも、メインターゲットは先ほどよりも大きなパーマになっており、それに触発されて、さっきまで目立たなかった別の鼻毛も飛び出している。
今度は影分身だ。
「なんでだよ!!」
「なんで状況悪化してんだよ!」
「今抜けたやつらは何だったんだよ!!」
俺は感情が抑えられなくなっていた。
「もう、絶対普通には抜けないから、トイレで抜いてこいよ。」
俺がそういうとさっきよりも涙目に、というか完全に泣いているおやじは「分かった。」というか細い声を絞り出しトイレの方に歩き出した。
鼻毛1本でテンション落ちすぎだろう。
俺は分身する鼻毛に敗れたおやじがつくづく情けなくなった。
にしても、子供にそんなもん見せるなよ。アホ。
それでも兄妹弟(きょうだい) @shinonome862
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