第59話 昼顔

1967年のフランス映画です。


ルイス・ブニュエルという監督の映画はあまり見ていない。

「ブルジョワジーの秘かな愉しみ」という作品は映画館で観たが、あまり印象に残っていない。

結局、この「昼顔」が、彼の代表作ということになるのだと思う。



“性”というものに対する考え方、感じ方、また趣向などは、それこそ人により千差万別で、何が正常で何が異常かは決めにくい。

それよりも、このことにおいて大事なのは、人に迷惑をかけないとか、不快な思いをさせないとか、そうした道徳的なことで、あとそれ以上のことは、犯罪を犯さないということくらいで、何をしたからおかしいとか、異常だとか言うのは、偏見や差別の元でしかないと思う。


しかし、この作品の主人公セブリーヌ(カトリーヌ・ドヌーブ)は、夫がいるにもかかわらず、午後2時から5時の間、昼顔という源氏名で売春をしている。


それは違法行為だし、それ以上に観客は、なぜこんな恵まれた生活をし、ハンサムで優しい夫がいるにも関わらず、と思う反面、「悪いことだと分かりながらやめられない」というセブリーヌに、ある人は同情を、ある人は理解をも示すかもしれないが、まったく理解に苦しむ人もやはり多いだろう。


しかしこうした違法行為で夫を裏切るセブリーヌを、不幸な結末が襲うのはやはり仕方がないとも思わざるを得ない。


また、この映画はそうした“性”というものを持つ人間の悲しみを表現したとも思えない。

逆に、この映画だけでは、この女性の行動を通して何を描きたかったのだろうと疑問を感じてしまう。


結局、ただ、文芸の物語を楽しむだけの見方でこの映画は満足すべき作品なのだろう。


猪俣勝人という映画評論家がいて、昔こんなことを書いていた。

この一文を紹介して、今回のレビューを終わりたい。



『この、「昼顔」が映画になると聞いた時、私はどんなふうに作られるのかと首をかしげた。私がこの小説を読んだのは戦時中であったが、人間が性というものを持つがゆえの悲しい宿命に衝撃を受けたことを忘れられない。それはおよそ映画に表現できるものではないと思われたが、やはり私のおそれは当たっていた。この映画は「昼顔」のストーリーを綴ってはいたが、「昼顔」の恐ろしさを打ち出してはいなかった。カトリーヌ・ドヌーブのたおやかな美しさも、もうひとつ原作のはかない艶美に及ばなかった』


時に映画は原作を超えるが、どうもこの作品の場合、そうはいかなかったらしい。


ベネチア国際映画祭では金獅子賞を受賞した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る