第24話 ヒロシマわが愛



1959年の日仏合作映画です。


ちなみに邦題は「二十四時間の情事」というのですが、むしろ「ヒロシマわが愛」という原題で呼ぶ方が多いので、あえてそちらを取りました。




闇の底から立ち昇ってくるような男女の肌に重なって、

「きみはヒロシマで何も見なかった。何も」

「私はすべてを見たの。すべてを」

というやり取りから映画は始まる。


これは恐らくヒロシマのどこかで、日本人の彼とフランス人の彼女が昨晩知り合い、そしてその夜を共にしたあと、明け方、ベッドの中で交わされる会話の始まりである。


「だから病院、私はそれを見たの。病院がヒロシマにあるのに、どうしてそれを見ないでいられるかしら」

映像は、現実のヒロシマの病院の入院患者たちを映し出す。


「きみはヒロシマで病院なんか見なかった。きみはヒロシマで何も見なかった」


「博物館には4度」

「ヒロシマのどんな博物館?」

「博物館には4度だわ。私は、人々がゆっくり歩いているのを見た(略)」


映像は、病院のあと原爆資料館の中を映し出す。

こうして、フランス語で、岡田英次とエマニュエル・リバにより、ヒロシマの惨劇が観客の前に再現される。


この、導入部の再現の過程で、なんだ、この映画はつまらなそう、となってしまうと、もう「ヒロシマわが愛」の卓越した芸術性に出会うことができなくなってしまう。

だからここで、少しガマンしていただきたいのだ。


この映画は、たとえばジャン・リュック・ゴダールの「勝手にしやがれ」に代表される、それまでの映画の常識を打ち破る、ヌーベル・バーグと呼ばれる作品群の1つで、それまでのように、最初から面白く、観客を物語に引き込むような作り方がされていないのだ。


しかし、間もなく映像はヒロシマの街中に移っていく。

広い道路や、土産物店や、映画館もあれば商店街もある。それに重なるのは、次のようなセリフである。


「私はあなたに巡り会った」

「私はあなたを思い出す」

「あなたは誰?」

「あなたは私を殺す」

「あなたは私を幸福にしてくれる」

(略)


ここから、ああ、彼女は詩を口にしているのだ、という感覚を少しずつ覚えるようになる。

映像も、そして音楽も、次第に郷愁を覚えるような、不思議な懐かしさをたたえたとても美しいものになってくる。


このあたりが、映画に引き込まれていくこの映画に合った感性を持った方と、そうでない、この映画と感性のタイプが異なる方が分かれていく所ではないだろうか。


つまり、ある観客はつまらないと感じるだろうし、ある観客は少しずつ心地よくなっていくと思う。


もし、多少なりとも心地よいと感じることができた観客は、とてもマイナーとはいえ、映画史に燦然と輝く不朽の名画に出会えることになるのだ。


彼と彼女は色々語り合う。

戦争が終わった頃、彼女はイヨンヌ県のヌベールにいた。彼女は20歳。彼は22歳。

「同じ年頃、というわけね」

と彼女は言う。


彼女は映画の撮影のために広島へ来ている女優だった。一方彼は建築技師。


彼女には夫がいる。彼にも妻がいる。




場所は平和記念公園へ移る。時刻は昼時だ。

そこで撮影が行われていて、もう彼女の出番は終わっていた。

群衆シーンの撮影が行われる。


群衆は、原爆がいかに恐ろしいものであるか、現在世界で製造されている原水爆の数のはかりしれない破壊力の批判などをしたプラカードを持っている。



このあと、2人は彼の家で休む。

そこで初めて彼女の過去の物語が明るみに出る。


彼女は17歳の時、ドイツの兵士と恋に落ちた。

イヨンヌ県のヌベールでのことだ。

この2人の逢瀬は名状しがたいほどの美しい映像の中に描かれる。

それは本当にただの美しさではない。写真としても完璧で、心に染み入り、心を揺さぶる、見事な映像なのだ。


しかし、ドイツ兵は誰かに殺される。

彼女は恥さらしとして頭を丸刈りにされ、地下室に閉じ込められてしまう。

音楽が美しい。映像が何とも言えない。


ここでひとつ特筆すべきことは、彼女の記憶は、時間的秩序や、物語的な連鎖が欠如しているということだ。


普通、人は何か過去の出来事を思い出す時、時間の流れに沿って順序立てて思い出すだろうか。

大抵の場合、そうではないだろう。

特に、つらい、心の中に封印していたような出来事は、必ずしもそうした秩序を伴って思い出されるとは限らない。

この映画の、彼女の場合も同様なのである。

そしてある夏、彼女は真夜中にパリに向かって自転車で旅立つ。

広島に原爆が投下された頃であった。



もう再び夜中である。

ヒロシマの街を2人さまよいながら、彼は彼女に言う。

「僕と一緒にヒロシマに残ってくれないか」

彼女は残るわけにはいかないのだ。

彼女はやがて彼を忘れるだろう。彼も彼女を忘れるだろう。人々は、戦争をも忘れていくかもしれない。2人には、そのことが分かっていた。

「1週間」

と彼は言う。

「だめよ」

「3日間」


彼女は、彼女のホテルの部屋で彼に向かって叫ぶのだ。

「私はあなたのことを忘れるのよ! もう忘れるの! 私が忘れていくのをよく見てちょうだい!」




この作品、フランスでは大ヒットしたそうだ。もちろん、日本でもそれなりには観客を動員したようだ。


この、一編の詩のようなマイナーな作品は、一部には熱狂的なファンがいるようだ。


ある意味で、これはどんな名作よりも、その支持者たちによって後世へ受け継がれていくのではないか。

そんな映画だと思う。

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