第21話 サムライ



1967年のフランス映画です。


「太陽がいっぱい」から8年。

アラン・ドロンが孤独な殺し屋を演じて、そのカッコ良さで多くの観客を釘づけにした作品だ。


この映画を初めて観たのは高校生くらいの時なので、話は、特にラストが良く分からなかった記憶がある。


一応記憶にある範囲で書けば、次の通りである。


殺し屋ジェフ(アラン・ドロン)は、無数の鍵の束から街の路肩に停めてある車の合鍵を見つけてその車を盗み、郊外へ行ってあるガレージでナンバーを取り替え、拳銃も受け取る。


依頼を受けたクラブの経営者を事もなげに冷徹に撃ち殺す。が、帰り際、クラブの黒人歌手バレリーに顔を見られてしまう。


恋人のナタリー・ドロンにアリバイを頼んであるが、警察はジェフの犯行を確信し、総力を上げて彼を尾行する。


この尾行されるジェフもかっこいい。映画の最初から最後まで、ほとんどトレンチコートに帽子を被っているドロンだが、これほどトレンチコートの似合う男は2人といないだろう。


数日後、家に戻った時に、飼っている小鳥の様子に異変を感じ、すぐに家に誰かが忍び込んでいるのを察する。

しかし見事に相手を組み伏せたジェフは、その男はジェフに殺しを依頼した男の手下だったと知る(確か、刑事ではなく、手下だったと思う)。


ジェフは、その後約束した鉄橋の上に、報酬を受け取りに行くが、待っていた男はいきなり銃を出し、殺されそうになり、ジェフは片手に一発の銃弾を浴びる。


自宅で自分で傷の手当てをするジェフ。


ここまで、ちょっと記憶が違っているところがあるかもしれない。もしあったらご勘弁。


その後ジェフは例のクラブへ乗り込み、ピアノを弾いている黒人歌手のバレリーに銃口を向ける。

このあたりは、私はもう話がよくわからない。

というのも、いっせいに、張り込んでいた刑事たちの銃声が響き、ジェフはその場に倒れるのだが、死んだジェフの銃を確認すると、一発の弾丸も込められていなかったのだ。


あえて、よくわからないけど解釈してみると、この最後は自ら死を選んだ、サムライのハラキリなのかな?


ちなみにこのサムライというのは、邦題ではなく、フランスの原題なのだ。


話がよく分かればもっと面白かったのだろうが、私はただ、パリの風景と、アラン・ドロンの見事なまでのカッコ良さで、2時間近く画面に見入ってしまった。


しかし、ネットで検索してレビューを色々見てみると、アラン・ドロンのカッコ良さについて触れているものが多く、物語にはあまり触れられていない。

この映画は物語よりも、やはり別の要素が大きいのだろう。

つまり、考えてみれば、たった1人の芝居で1本の映画を最初から最後まで見せてしまう俳優は、アラン・ドロンくらいしかいなかったのではあるまいか?


こういう映画もあった、そしてこういう俳優もいた。

要するにそういうことだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る