世界の以前の感覚と今の風潮は違うのですね。昔の方が多様な感性や美が受け入れられていておおらかだったようなイメージもあります(詳しくはないのでイメージです)。今は正解や間違いといった概念が決められていて、作品に何か問題のある表現があるとされればすぐ議論になりますね……。創作世界と現実の境目がなくなってきているのかもしれません。
トンチンカンなコメントになっていたらすみません m(_ _*)m
作者からの返信
いやあ、おっしゃる通りだと思います。
今は色んな意味で人々の意識や、常識が狭すぎると私も思います。窮屈だし、気をつけなければなりません。
人間なんだから、そしてよく考えれば所詮人間も動物なのだし、もっとおおらかでいいと私は思います。
昔はおおらかで良かったと、よく思うことがあります。
たくさん読んでいただき、コメントもありがとうございます。
タジオの美しさに、ぞくぞくした記憶があります。
年を得た彼、相変わらずかっこいい男でしたが、あの映画の独特の美しさは二度と見るとこはなかったですよね
作者からの返信
やはりタジオにぞくぞくされましたか。
私はその後の彼を見たことはないのてすが、そうですか、やっぱりカッコ良かったんですね。
なんだかんだ言って、ビスコンティも大した監督だったんですね。
コメントありがとうございます。
大学一年生の時だと思います。
日曜洋画劇場で観たのがはじめて。
美少年には抵抗があって、とても劇場で見る事はできなかった(笑)
その後ヴィスコンティかボガート繋がりでレンタルビデオ観たくらい。高校生の頃に漫画の「ポーの一族」などを読んでは美少年と言うジャンルをはじめて観たくらいです。
ストレートの私には、当時あまり良く意味が分からなかったのですが、今はフィリピン人の嫁さんが居て、フィリピンではゲイに対しておおらかなので普通に見れます。
で、思うのがボガートの演技。
中年?初老の男性が美少年を観てどぎまぎするシーン。
こちらが恥ずかしくなってしまうような気持ちをうまく表現していたと思いました。
作者からの返信
やっぱりボガートは名演技ですよね。
淀川長治さんが、解説で同性愛というより、美に魅了されたということを強調していましたが、実際、美しいものは私も好きなので、そういう意味では分からなくはありません。
ただ、この映画のストーカー的なところは、今じゃ受け入れられないでしょうね。