疑念

 廃墟ビルに本を整理しに行って、手に取った本をぱらぱらと見て……進まない片付けが終わったのは、夕日が沈みかける時間帯だった。


 二区の廃墟ビル――上半分がぽっきりと折れてしまったこの建物は、将軍マサムネの所有物ということになっている。彼は自室と客間、それから物置部屋の計3フロアをメインに使っており、他は長い間おざなりになっていた。

 そこに目を付けたのが四冠たちだ。初めに「部屋を借りたい」と提案したのは四冠最年少のレギアンシャールで、その部屋は現在四冠の執務室になっている。利用者はネイヴ含めてふたりで存在意義は怪しいが、一応、借りたままになっていた。


 その後、まだ部屋が余っているならとそれぞれが部屋を借り出した。ネイヴも1階に部屋を借りている。本当は2階の奥、余っている部屋の中では一番広い場所を借りたかったのだが、マサムネが「床が抜けたら困る」といって貸し出しを拒否した。他の四冠もこれに同意を示したため、次に広い1階の部屋で妥協することになったという経緯がある。

 部屋には現在、4つの本棚が置かれている。壁際にふたつ、中央にふたつ。本が燃えてしまうことがあってはいけないと――過去、それで蔵書の一部を失った――この部屋にランプはおかれていない。明かりは窓からの光のみなので、これを遮らないように本棚を設置する必要があった。


 ランプがないので、日が落ちる前に部屋での作業は終わらせなくてはいけない。普段は外が赤らむ前から撤収の準備を始めるのだが、その日は外が赤くなっても本の整理に熱中してしまっていた。表紙が識別しにくいと気づき顔を上げてようやく、外が暗くなり始めていることに気付いたのだ。

 原因はわかりきっている。昨日ようやく読み終えたパトラシアの本に感じたデジャヴが、どうしても放置できなかったからだ。関連する書籍を持っていたはずだとそれを探しにきたはいいが、手に取った本を懐かしんで開いてを繰り返すうちに時間ばかりが過ぎていった。悪い癖だ。自覚はあるが、直せない。


 とりあえず、と床に積んだ本を見る。今日の作業で見つかったのは3冊。あと2冊ほど気になる本があったのだが、すでに部屋は暗い。続きは明日に持ち越しだ。


「よ、っと」


 本を抱えて部屋を出る。鍵はない――扉に鍵穴はあるのだが、対応する鍵がなかった。無防備だが、ここは「あの」マサムネの所有するビルだ。盗みに入るような奴はほとんどいない。仮にいたとしても、居合わせた関係者に殺されて終わりだ。

 廊下を歩いてエントランスに向かう。部屋にはランプを置いていないが、廊下や他の部屋にはランプが設置されていた。マサムネか、他の四冠が火をつけたのだろう。廊下は明るかった。


「ネイヴ」


 ビルのエントランス、玄関代わりのそこに着いたところで、正面から声がかかる。相手の姿を確認したネイヴは小さく会釈をした。


「マサムネさん、こんばんは」

「おう、どうした。今日はずいぶんと遅いじゃねぇか」

「ちょっと夢中になってしまいまして……」


 苦笑いをこぼすネイヴに、マサムネは納得の表情を見せた。四冠とマサムネの付き合いは長い。当然、ネイヴの異常な趣味もマサムネは把握している。


「わっかんねぇな。文字なんて眠くなるだけだろ」

「そんなことありません。論文は知識の宝庫ですし、物語はまた別の世界や価値観を与えてくれる。視野を広げるきっかけにもなります。教養書や思想書の類も、感情移入をし過ぎなければ――」

「文字が読めねぇ俺には無関係の話だな!」

「……勿体ない」


 言葉を被せたマサムネに、ネイヴはため息を吐いてそう言った。マサムネは考えることを苦手とするが、頭が悪いわけではない。数日みっちり勉強をすれば、読み書き共にある程度のレベルまで引き上げられると思うのだが、本人にはその気がないようだった。


「まあ、いいでしょう。それではマサムネさん、僕はこれで。家に戻って本を読みたいので」

「まだ読むのかよ……」

「ええ。折角外の商人から、ランプではない灯りを仕入れたんです。サイズは小さいですが本を読むには十分な光源ですから、使わない理由はありません」


 ふふ、と思わず笑みがこぼれる。電池をあっという間に空にしてしまうし、本体もいい値段だったが、それだけの価値はあった。


「あれならば、倒れて家と本が燃える、なんてこともありませんから」

「お、おう、そうだな……」

「ええ。長物があったって倒れることはありません。なんとか被害を最小限にとどめて安心した翌日、外から瓦礫が飛んできてランプに直撃、そのまま本に引火するなんてこともありません」

「そう、だな」

「本ばかりでなく家まで燃えて、生活費もなくなるなんてことだってないんです」

「……そうだな、よし、じゃあ俺はこれで」

「はい、お疲れさまですマサムネさん。ところで廊下は狭いので、刀をランプにあてないように注意してください」

「だー! わかってる! んで悪かったな!」


 完璧な笑顔を浮かべたネイヴに根負けして、マサムネは逃げるようにビルへ入っていった。その背中を見送って、ネイヴの笑みが自然なものに戻る。


(からかいすぎましたか)


 ネイヴの蔵書が失われたのはもう10年以上昔、それこそ、彼らが出会ってすぐの頃の話だ。今もほんの少し――本当に少しだけ――なんてことをしてくれたんだという思いはあるが、確執とするほどのものではない。互いに笑って酒の肴とするくらいだ、マサムネもそれはわかっているだろう。

 それでも空気や雰囲気というものもあって、たまにああしてからかえば、マサムネは必ず決まりの悪い顔をして逃げる。一度、そのままの流れで別件の説教になったのが効いているのかもしれない。


(腕では勝てませんが、口では勝てますよ)


 マサムネは昔から異常なほど強かった。10年の時を経てその強さはさらに磨かれて、おそらく彼に真正面から勝てる人間はほとんどいない。彼の義姉である軍師タケナカだって、異能で逃げなければ負けるのだろう。


(そう思うと、やはり彼も異常、か)


 頭に浮かぶのはつい先日、マサムネと戦っていた男の顔だ。右頬に刺青のある、四区の異端者。ネイヴは都市を去る以前の彼を知っているが、当時もやはりマサムネ以上の実力を持っていたと記憶している。


「あれで異能を使っていない、というのも化け物だ」


 思わず声に出た言葉は本心だ。できることなら関わりたくないとすら思う。それは異能に対するものというよりもむしろ、ナンバーゼロ個人に対する忌避感だった。


(だが――)


 関わりたくない。だが、関わらざる得ない可能性がある。廃墟ビルから持ち出した本の表紙を撫ぜて、ネイヴは深いため息を吐き出した。一番上に積まれた本のタイトルは「異能の分類」というシンプルなもので、中身は都市の異能者をわかる限りで書きだしたデータ群である。


(全部あの本のせいですよ)


 数日前に購入したパトラシア・J・アルゼフの本。とりとめもないメモ書きがほとんどだったが、気になる記述はいくつもあった。

 ネイヴの趣味は本を読むことで、分析や研究は専門ではない。それでも無視できなかったのは、昔マサムネがこぼした言葉が記憶に引っかかったからである。


「『賢者の石は存在してはならない』」


 あれはいつのことだったか。正確な日時は覚えていないが、ナンバーゼロが都市から姿を消してすぐだったはずだ。コンコルディアの地下、どこから供給されているのか、未だ「生きている」電灯が明滅を繰り返すそこで手に入れた本。その内容をマサムネに伝えた時に返ってきた言葉。


「『あれは人を殺す、最悪の異能だ』」


 四冠全員がその言葉に込められた殺気を感じ取った。マサムネは間違いなくソレを嫌悪している。憎悪という方が正しいかもしれない。だから、ネイヴは彼に聞くことだけはできなかった。


「まずはこれらの本を読んで――最悪、四区ですね」


 異能のことならば四区に行くのが早いだろう。だが、それは最終手段にしておきたい。ナンバーゼロという男は、どうにも苦手だった。

 はぁ、と何度目かのため息を吐く。


「博士パトラ。あなたが求めているものは、本当に素晴らしいものなのでしょうか」


 ネイヴが解読したパトラシアの本に書かれた内容。それは。


「不老不死の異能なんて、聞いたことがない」

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Concordia 椎名透 @4173-bn

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