求める先にあるもの

 四冠と呼ばれる存在がいる。《災いの死神メルム・モルス》の絶対的存在、将軍マサムネを支える者たちだ。

 4人いるから四冠。将軍の故郷を思えば四天王の方が良いのではと訴えた者もいたが、将軍はもちろん他の面々も、熱心な教徒ではない。すぐ隣の《偶像の魂イドラ・アニマ》に睨まれるのも面倒だ。そもそも、そんなことにこだわるほど学がある人間が少ない……と大体そんな理由で却下された。


 四冠は12年前に形成され、今日まで一度も顔ぶれを変えずにいる。一癖も二癖もある彼らだが実力は確かだった。

 それでも全員が全員、マサムネのように戦いを好むかと言えばそうでもない。

 四冠のひとり、影法師ネイヴもどちらかと言えば戦いを好まないタイプの人間だ。その気質は第二区よりも第三区のそれに近い。

 彼は戦いに娯楽も悦楽も求ない。人並み以上の実力は、あくまで目的のための手段に過ぎず、それ自体は目的でない。マサムネの持つカリスマ性に惹かれたということだけは他の四冠と同じであるが、逆にいえばそれしか彼を第二区に引き留める要因はなかった。


 ネイヴにとっての娯楽は読書だ。知識を蓄えることと言い換えられるかもしれない。

 二区と三区の境界付近にある彼の家は、外にある図書館を真似た作りになっている。通路だけを残しておかれた本棚には隙間なく本が並べられていて、収まりきらなかった本は寝室――といっても、知り合いから押し付けられたソファベッドを部屋の隅に置いただけの、形ばかりの寝室だが――の床へと積み上げられていた。

 それでも収納には限界がある。読み終えた本を売ってしまえばまだ違ったのだろうが、ネイヴはコレクター気質もあって、自分から本を手放すことはほとんどなかった。そう大きくない家はすぐに限界を迎え、現在はマサムネが住居としている廃墟ビルの一室を倉庫として間借りしている。


 そんなに本を集めてどうする、と問われることもある。ジャンルにも言語にも拘らず、気の向くままに集めた本は、正直なところ読むスピードが追い付いていない。このままのペースで増え続ければ、人生のすべてを読書に費やしても読み切れない量になる。

 ネイヴだってそれは理解していた。それでも本を集め続けるのは、理屈では説明できない欲求のためだ。常識人とからかわれることもあるネイヴがコンコルディアに辿り着いたのも、その欲求のせいである。

 彼の欲は一般的な書籍にとどまらなかった。禁書として歴史の闇に埋もれた本。権力者のエゴで世の中には出なかった本。わずかに数冊写本が残るだけの貴重な品も、不吉だと蔑まれ一般の目からは隠されてしまった稀覯本も、興味があれば欲しいと望んだ。

 都市の外で暮らしていたころはそれが原因で危険に巻き込まれることもあった。コンコルディアも当時並み、下手をすると当時以上に危険だらけだが、常識が違って法もないのでやりやすい。金さえ積めば手に入る本が多いのも、ネイヴにとっては嬉しいことだった。


 とはいえ、孤立した都市では本の供給も限りがある。学校がない割には識字率も本の需要も高いコンコルディアだが、仕入れの半分以上が外の商人頼みだった。

 都市内部にも本を書く人間はいるが、印刷技術が全く発展していない。印刷技術と言うよりも発電技術か。コンコルディアで灯りといえば蝋燭やランタンで、電灯はメジャーではなかった。

 そんな都市では当然、大掛かりな機械が少ない。全くないわけではないのは、荒廃都市以前のコンコルディアで用いられていた発電装置が一部生き残っているからである。

 それでも印刷技術を支えるほどの電力供給にはならない。結果として都市内部で生まれる本のほとんどが手書きで原本限りの貴重品だった。


 そうなると当然、店の数も限られてくる。外の本だけを扱う店は数があるが、手書き本を扱うとなると店舗の数が減った。ネイヴが知っている限り、一定の質を保った内容を扱う店は片手で足りてしまう。その中のひとつ……珍しいことに、三区ではなく二区に店を構える本屋が、ネイヴのいきつけの店だった。

 その店は看板を出していない。店名がないのだ。玄関のすりガラスに「本」と書いた紙が貼られているだけで、他には何も目印がなかった。


「こんにちは」


 挨拶をして扉を開ければ、ネイヴに気付いた店主がにっこりと笑う。


「そろそろ来ると思ってタよ」


 独特の訛りで店主が言った。褐色肌の彼女は数年前からここに店を構えている。ネイヴとの付き合いも長かった。


「それにしテも、いいタイミングで来たね」


 クスクスと笑って、店主がカウンターに置かれた本へ目をやった。自然とネイヴの視線もそちらへ向き、表紙の文字を確認して目を見開く。


「それは、まさか」

「ああ、新刊さ。《眠る心臓ドルミート・カルディア》のやつらヨり先に見つけられたのは幸運だった」


 慌てて駆け寄り、ネイヴは食い入るように本を見た。店主が本を差し出してくれたのでありがたく受け取って、ぱらぱらと中を見る。

 都市で作られる本の多くは手帳やB5サイズのノートに文字を書き連ねたものである。ネイヴが手に取ったそれも例にもれずノートに文字を綴ったもので、表紙には油性のペンで著者の名前が記されていた。


「……いくらですか?」


 最初のページを軽く眺めた後、ネイヴは店主に聞いた。頭の中では相場と値切りと手持ち金がぐるぐると回っている。


「そうサね、お得意様だし……これでどウだ?」


 ピン、と5本の指が立てられる。ネイヴの眉間にしわが寄った。


「お得意様、という割には高いと思うのですが」


 言って指を3本立てる。今度は店主の眉間のしわが寄る。


「おいおい、稀代の天才学者さま直筆だよ? これでもかなり負けテるさ。480」

「直筆だからこそですよ。彼がノートに、読ませるための文章を書く人間じゃないのはご存じでしょう。350で」

「さすがのそれは安すぎサ。450までだ」

「450ですか。もう少し下げる余裕はあるでしょう? 390でどうですか」

「ッチ、ならいいだろう。430まで下げテやるよ」

「……400」

「430」

「……わかりました。そこで手を打ちます」


 少し悔しそうにネイヴが口にした。言われただけの代金を、満足げに笑う店主を渡せば取引は成立だ。

 自分のものとなった本を、ネイヴはその場でパラパラとめくった。英語ではない言語。仏語や西語とも違う気がする。解読には時間がかかりそうだ。

 もう一度表紙を見る。こちらはネイヴにも読める言語で書かれていた。


「『不老、万能の書』……タイトルにもなっていない単語。明らかにメモ書きですね。この端は『タブレット』……エメラルドタブレットのことでしょうか」

「サあて、あたしにはさっぱりだよ」


 けらりと店主は笑い、別の本を取り出した。こちらはきちんとした装丁で、外から仕入れた本らしいとわかる。ネイヴの家にも同じものがあった。


(しかし……)


 視線を手元に落とし、ネイヴは表紙の文字をなでた。魔術という単語を連想させるだけで、学者が研究するには不向きな内容ではと思ってしまう。

 コンコルディアという都市で言うのも皮肉だが、現代は科学が発展した時代だ。魔法は否定され、魔術は迷信とされる。


(それでも――)


 この都市に生きる人間は知ってる。迷信ではなく、現実に「科学では説明できないもの」があることを、よく理解している。


(パトラシア博士は、いったい何を追い求めているのでしょうね)


 彼が異能に関連する事象を研究しているのをネイヴは知っていた。だが、その先。パトラシアが本当に知りたいことが何なのかまではわからなかった。


「……一度、お会いして話してみたいですね」


 そう言って、ネイヴは小さく笑った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る