契約成立

 アリアにとって実験は仕事であり趣味である。小数点以下の分量調整も、1秒単位の時間管理も、1ヶ月かかる工程も、薬品に関する研究や実験ならば苦ではない。複雑だったり難しかったりすれば余計に楽しくなってしまうのだから、病気と言われても仕方がないだろう。実際「お前のそれは病気だ」と、しかめっつらの従兄に言われたことがあった。

 アリアも、異常だという自覚はある。どんなに好きなモノでも「苦痛」が全くないということはほとんどない。たいていの場合はどこかで苦しくなったり辛くなったりするものだ。その苦痛があるからこそ結果が出た時に嬉しいということはよく聞く。しかし、アリアのようにまったく苦痛がないというのはなかなか見ない例だ。


 そんなアリアにも、嫌なことがふたつある。ひとつは同じものを作ること。それが次につながるのならばいいが、ただ同じものを作るだけというのはどうにも苦手だった。趣味ではなく仕事として処理すれば耐えられるが、自分の時間を使ってまで同じものを作ろうとは思えない。

 そしてふたつめは。


「アリアさん久しぶりー! ってうわっ! あっぶな!」


 どん、と勢いよく開けられた扉。その勢いで舞った資料とぶれた手元。床にこぼれた液体が危険なものではなかったのは不幸中の幸いだろうか。そう考えるよりも早く、アリアの手が常備している薬瓶へ伸びる。そして劇薬が入ったそれを、なんのためらいもなく声の主に向けて投げつけた。

 間一髪のような声を出し、余裕をもってそれを避けるのはナンバーゼロだ。ガラスが割れて液体が飛び散るが、一滴も余すことなく避けきると、持ってきた鞄を抱え込んでへらりと笑う。


「私が嫌いなことはふたつ。そのうちのひとつは、成功するはずの実験に失敗することだ……!」

「へ?」


 飛び散った劇薬によって溶けた紙。床に散らばったそれらを器用に避けて、アリアの側までゼロがやってきた。俯いていたアリアが顔を上げてゼロを睨む。


「あとこの一工程だけだったんだぞ!? 2日間の成果が、お前のせいで……お前のせいで……!」

「あー……えーっと、その、ごめんね?」


 ようやく事情を把握したゼロが謝罪を口にした。「謝って済むか!」という至極当然の怒りは甘んじて受ける。ふたりは古い友人だ。彼女が研究にかける熱意を、ゼロは十分知っていた。


「そもそも、どうしてここにいるとわかったんだ。昨日のアレでお前が戻ってきたことはわかっていたが……」

「ああ、それはシャーロに聞いて。アリアさんに会いたいって言ったら今は研究室だって教えてくれたんだ」


 ゼロの口から出た名前に納得する。アリアの次に《眠る心臓ドルミート・カルディア》で権力を持つ彼もナンバーゼロとは既知の仲だ。送られてきた手紙のことも知っていて、伝言よりもとアリアの居場所を教えたのだろう。


「――ふん、まあ、いい。いや良くはないが、今回は許してやる。……まずは、これだな。良く戻ってきてくれた。お前が生きてコンコルディアに帰ってきてくれたことが、私は何よりもうれしい」

「うん、ただいま。ちゃんとやるべきことはしてきたよ」

「そうか。それならよかった。……しばらくは都市に留まるのか」

「うん、今のところは外に出る予定もないから。コンコルディアでダラダラしようかなって思ってる」

「ならばこれは何のために作らせた? これが必要になるほど、お前はまだ衰えていないはずだが」


 そう言ってアリアがゼロに見せたのは5本の試験官だった。コルクではなく硝子栓で封された中身は無色透明の液体。ゼロが戻るよりも前に、彼からの依頼でアリアが作り上げた劇薬だった。


「おぉ、さすがアリアさん。作ってくれたんだね」

「依頼はきっちりこなす。報酬もあったしな。それで? 質問の答えは?」

「衰えてはいるよ」


 ぴくりとアリアの眉が反応する。それを無視してゼロは言葉を続けた。


「衰えてはいる。さすがに、10年だからね。年齢も――認めたくないけど、あるわけだし。でも、確かにアリアさんの言う通りで、道具に頼らないといけないほど衰えたわけじゃない」

「ならば」

「うーん、タケナカに持たせてあげたくて」

「タケナカに?」


 そう、と頷いて、ゼロは手に持った鞄を机の上に置いた。


「手紙でも言った論文と、かなり貴重な薬草や毒草がいくつかここに入ってる。これをアリアさんにあげるから、今から僕がすることを黙ってみててほしいんだ」

「どういうことだ」

「色々目的があってね。この都市に住む戦えそうな人に、片っ端から戦闘を挑んでいくつもり。その中には当然三区の……もっというなら《眠る心臓》の人もいる。だけど、絶対に僕から仕掛けた戦闘で相手の命は奪わない」

「…………それで?」

「色々な人が怪我をするだろうし、余計な争いも生まれるかもしれない。でも静観してほしいんだ」

「……いいだろう」


 少しだけ考えてからアリアは頷いた。誰かを信じる事が命取りになるこの都市だが、それでも信じられる人間も数人いる。そのうちのひとりがゼロだった。


「だがお前はいいのか。大切な四区に逆恨みをするやつも出て……ああ、そうか。だからこれか」


 言って、自分で作った薬へと視線をやる。投げつけるだけで充分な効果を発揮するそれは、狙って使えば命を奪うこともできる。軍師とも称されるほど頭の切れるタケナカが使うならば強力すぎる武器だ。


「うん、タケナカの異能とも相性がいいだろうから持たせようと思って。普通の子に持たせるにはちょっと怖いけど、タケナカならそのあたりの管理もしっかりしてるだろうから」

「確かにな。彼女ならうまく使うだろう……わかった。そこまで考えていたなら私から言うことは何もない。これはもらうから、それを持っていけ」


 ゼロの持ってきた鞄を取って、代わりに試験官を差し出す。「契約成立だね」とにこやかにゼロが言った。


「それじゃあ僕はこれで。またね、アリアさん」

「ああ、脚の調子が悪くなったらいつでも言ってくれ。腕のいい技師を紹介しよう」

「ほんと? 助かるなあ」


 へらりとゼロが笑う。社交辞令だとお互い知っていた。


 これまでも、そしてこれからも。

 ナンバーゼロが、義足のことでアリアを頼ることは、絶対にない。

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