帰還

「着いたー! ただいま僕の故郷! おかえりなさい僕!」


 コンコルディアの第四区、異能という特殊能力を用いる者が集まるその地区で、笑顔を浮かべた男がそう言った。黒いパーカーに七分丈の迷彩柄ズボン。そこから伸びる右足が金属で作られた脚なのが特徴的な男だった。


「いやぁ、それにしても本当に久しぶりだ」


 ごろごろとキャリーケースを引きながら男は歩みを進める。義足とは思えないほどしっかりした足取りは、彼と義足の付き合いの長さを伺わせた。

 ふんふんふーん、と鼻歌を歌って周囲を観察しながら歩けば、項のあたりでまとめられた、男性にしては長い髪がひらりと揺れる。スキップでもしそうな勢いであるが、四区は観光に適した地区とは言えない。ただ歩くだけで面白いものはそうないはずだった。


 コンコルディア第四区。そこは行き場を失ったはぐれ者たちの住処であり、異能という力を身に着けた者が住む場所でもある。きれいなスラムなんてたとえがなされる地区だ、よそ者が楽しく歩く場所ではない。


「増えてるね」


 そんな場所をなぜか楽しそうに歩いて、男は小さく呟いた。視線の先には浮いた段ボール箱と並んで歩く親子の姿がある。

「あの子は、確か一区の近くの……そうか、大きくなったんだねえ。異能の制御もばっちりだ」


 笑みを深くして男が言う。その呟きが聞こえたわけではないだろうが、ふと親子が男の方を向いて立ち止まった。


「おっ! 2人とも久しぶりー! 僕のこと覚えているかい?」


 手を振りながら近付けば、がだん!と大きな音を立てて段ボールが落ちた。その音で我に返った親子が、男に向かって「ぜ、ゼロさん!?」と叫ぶ。


「そうだぜ! 異端者のゼロはここに帰ってきた!」


 胸を張って男――ゼロは言う。その右頬には彼の名前の由来であるNo.0の刺青があった。


「な、なんで!? いやいつ!? いつ帰ってきたんですか!?」


 あわあわと慌てて、子どもの方がそう叫んだ。一緒にいた父親も勢いよく首を縦に振っている。


「2人とも落ち着いて。僕はしばらく都市を離れるつもりはないよ」

「で、でも10年ですよ!? 10年ぶりのゼロさんですよ!?」

「あー、そっか。もう10年も経っちゃうんだよね」

「そうですよ! ゼロさんがいない間に四区でも色々あって……まあ《愚か者達ストゥルティ》はタケナカさんがいましたから、何とかなりましたけど」

「うんうん、そうだよね。タケナカは優秀だし、だから任せたわけだし」


 ゼロは嬉しそうに笑って頷いた。タケナカは彼にとって大切な弟子であり、妹の様な存在でもある。そんな彼女が褒められて嬉しくない理由がなかった。


「……とにかく、まずはこれを言うべきでしたね」


 ようやく落ち着いたらしい親子が顔を見合わせ、それから笑顔をゼロに向ける。


「おかえりなさい、ゼロさん。《愚か者達》はあなたが帰ってくる日をずっと待っていました」

「……ふふ、うん。ただいま」


 穏やかに笑ってゼロはその言葉に応えた。それから親子にぎゅっとハグをして「ただいま!」ともう一度言う。


「タケナカに任せたから大丈夫だってわかってたけど、少しだけ心配だったんだ。ほら、四区は異能者の集まりだろ? まだわからないことも多い超常の力だし、変な奴らに目を付けられてないかとか。異能者じゃない子もいるから、巻き込まれて怪我してないかなとか」


 異能は四区に住む一部のものが持つ超常の力だ。四区に住んでいるから異能が発現するというより、異能を持つから四区に住んでいるという方が正しい。超常の能力は他の場所では異質であり、彼らは自然とひとつの集団を作るに至った。それが四区の《愚か者達》である。

 超能力や魔法のような、現代科学では証明しきれない超常能力。異質なそれを持つものたちが同族を求めて集まった結果。組織というよりも集団を指し示す単語であり、その頂点に立つのがゼロだった。


 異端者ナンバーゼロ。それが彼の呼称である。15年前まではバラバラだった異能者たちを3年かけてまとめ、過剰防衛を武器に四区を今の形にした人物。《愚か者達》の形成はゼロのカリスマによるところが大きい。

 そんな彼は10年前「するべきことがある」として都市を出た。必ず戻ってくるという言葉を残し、タケナカに《愚か者達》と四区を任せて。


 そのゼロが戻ってきたとなれば、これは大きなニュースである。長らく不在だったトップの帰還。四区だけではない、他の区でも騒ぎは起きるだろう。


「何もないと言えば嘘になりますが、そこはいつも通り。タケナカさんのおかげで大きな被害もありませんでしたよ」


 ゆっくりと落ち着いた口調で父親がそう言った。彼は子ども違い異能を持っていない。それでもゼロに対する敬意と親愛はあった。


「そっか、それならよかった。もし何かあればこれからは遠慮なく僕に相談して。前と同じ家にいる予定だから」


 にこり、と笑ったゼロに対し、親子の表情が不自然に固まった。どうしたの、と聞く彼に、親子はアイコンタクトで会話する。


――ここは言うべきでないと思う。

――同意。


 そして今度は不自然な笑顔を浮かべて、彼らは元気よく言った。


「ありがとうございます! ゼロさんも、何か困ったことがあればうちに来てくださいね。お布団、余ってますから!」

「布団? ああ、家具が傷んでる可能性があるのか……うん、じゃあその時はお世話になろうかな」


 なにせ10年も留守にしていた家だ。あらゆるものが傷んでいる可能性がある。それに思い至ったゼロは親子に礼を言って、「じゃあ僕はこれで」と再び歩き出した。


 その背中を見送って、親子は今度こそ声に出して会話をする。


「戻ったら、空き部屋掃除して布団準備しようね、お父さん」

「ああ。まさかゼロさんも、自宅が更地になってるなんて想像してないだろうからな」



 コンコルディア第四区、《愚か者達》のトップに立つ異端者ナンバーゼロ。

 彼の家は数年前に更地になっていた。

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