依頼
コンコルディアで最も栄えている場所はどこかと問われれば、たいていの住人は第三区を候補にあげる。商業連合である《
道には客引きの声が響き、酒場からは酔っ払いの声が聞こえる。怪しげな店も健常な店もごったまぜになった様子は、コンコルディアならではの混沌さの表れだった。
並ぶ店の多くは《眠る心臓》に所属している。というのも第三区の土地の一部は《眠る心臓》が管理していて、組織に所属することで貸し出される仕組みだ。組織管理の土地を勝手に利用すれば立ち退きを要求され、少しでも渋れば武力行使となる。これもまたコンコルディアならではのシステムといえた。
無論、彼らが管理していない土地であれば自由に使うことはできる。商売そのものに制限はなく、《眠る心臓》への所属は義務ではない。
それでも所属を希望する商人が多いのが実情だ。組織管理の土地は使わないが所属はしておくという商人もいる。《眠る心臓》による人員の派遣や設備の貸し出し、低利息の資金援助など、充実した支援がその理由だろう。
組織への加入手続きやその他の申請は、全て《眠る心臓》の本拠点であり第三区のシンボルマークでもある商館にて行われる。研究室や事務室、資料保管庫など多くの部屋を有する巨大な建物は、コンコルディアが栄華を極めていた頃から残っているものだ。もともとは銀行として作られていたらしく、多くのお部屋が用途に応じて改造されたが、巨大な金庫はそのまま再利用されている。
商館の3階には首領アリアの研究室もあった。若くして《眠る心臓》のトップになった彼女は、組織の長であると同時に研究者でもある。《眠る心臓》の活動資金の中で、彼女の薬の売り上げが占める割合は少なくない。
彼女によって開発された薬の中にはまっとうなものではないものも多くある。違法ドラッグと称されるようなものに、武器として需要がある劇薬の類。その日アリアが開発していたのはそういった危ない薬品で、無駄な事故を防ぐため部屋の扉には「入室禁止」のプレートがかけられていた。
「…………」
ひとりで使うには広すぎる研究室の中でアリアはフラスコと格闘する。パンツスーツの上に白衣を纏い、目を守る為のゴーグルも装着。セミロングの茶髪は、実験中だけはゆるくまとめるようにしていた。
アルコールランプで加熱された無色透明の液体は、それだけでも劇薬となり得る危険なものだ。ゴーグル越しにライトグリーンの瞳がそれをじっと見つめている。
「まったく、どうしてこんなものを……」
思わずこぼれ出たつぶやきはアリアの本心だった。依頼された薬品は作る予定のなかったものである。昔なじみの依頼でなければ断っていただろう。
「この薬品はただでさえ配合が面倒なんだ。それをさらに開発しろだなんて無茶を言う。第一あいつにこんなものが必要か?」
ぶつくさと文句を言いながらも手は止めない。タイミングを見て火を止めて、数分後に別の液体と混ぜ合わせる。気泡が収まったところで加熱を再開。タイマーをセットしながら異常がないことを確認し、そうしてぐっと身体を伸ばした。この工程が終われば頼まれた薬品は完成だ。朝から作業し続け、太陽はもう沈みかける時刻。わかっていたとはいえかなりの時間がかかってしまった。
アリアのもとにこの薬を作る理由――外からやってきた商人経由で手紙が届いたのは昨日の昼だった。
コンコルディアの住人の多くは外とつながりがないか、あるいはそれを断ち切るために都市に住むことを選んでいる。アリアは生まれも育ちもコンコルディアだから、当然外に知り合いなどいない。手紙を送られる心当たりなどすぐには思いつかなかった。
怪訝な表情が一変したのは差出人の名前を見た時である。封筒の裏側に書かれた0の文字に、アリアは手紙の差出人を察した。0の数字を署名代わりに用いる人物なんて、彼女が知る限り1人しかいない。
中身を確認すれば予想した人物の筆跡で文字が綴られていた。元気にしてるかい、というフランクの挨拶から始まり、無事目的を終えたこと、お土産をいくつか買ったこと、近いうちにコンコルディアに戻るといったことが記されている。
そしてその最後に、アリアが薬品開発を行う理由になった文章があった。
「外の薬品関係の最新論文を対価にされたら、応じないわけにはいかないじゃないか」
最新の論文を対価にできるだけ強力な劇薬をひとつ用意してほしい。想定される用途は対人での戦闘。女性でも扱えるよう、ガラス瓶での持ち運びができればなお良し。
手紙の最後に書かれていたその文字を、無視することができなかったわけではない。あるいはさらなる対価を要求するか。どちらにせよ相手の提示した条件で仕事を増やす必要はあまりなかったのだ。
正直、コストを考えればもう一声対価が欲しいところである。いや、絶対に倍の対価をむしり取っていた。アリアはそういう人間だ。
それでも頼みに応じたのは彼が古くからの知り合いだからであり、大きな借りが残っているからである。そのことを思えば、本当は対価なしに応じてもいいくらいなのだが、相手は毎回律義に対価を提示してくる。文句を言いながらも口から笑みをこぼしてしまう理由はそれだった。
「お前たちの頼みなら、そんなものがなくてもいいのにな」
アリアの心の奥深くに残る傷。それは10年という月日を経てもなお痛み続けている。向こうは気にするなと言っているが、その言葉を受け入れられるほどアリアの罪は軽くない。少なくともアリア自身はそう思っていた。
「まあ、貰えるものは貰うさ」
何もいらないといったところで向こうは納得しないだろう。それどころか、アリアがどうしてそう言ったのかを気づいて「気にしなくていい」なんて言葉をまた吐かせてしまう可能性がある。それだけはどうしても避けたい。アリアは彼らにこそ全てを忘れて生きてほしかった。
(そんな願いも身勝手か)
これ以上考えても思考は余計に後ろ向きになる。頭を振って思考を切り替え、彼女はセットしたタイマーを見た。残り7分と少し。それが鳴り終わるまでは、気を抜いて椅子にもたれかかるくらい許されるだろう。
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