神託

 荒廃都市と称されるコンコルディアだが、何も昔から無法地帯だったわけではない。かつてはその名にふさわしい栄華を見せ、多くの人々に愛されていたという。


 ただ、その繁栄は長くは続かなかった。


 今となっては何が原因かわからない。国家組織の陰謀を唱える者もいれば、開発に携わっていた巨大企業の経営破綻を疑う者もいる。土地が悪かったのだという主張もあり、実際、荒地に囲まれた都市は交通の便が悪かった。

 とにもかくにも都市は衰退し、そして見捨てられた。残ったのは中身のない建物に開発途中だった地下街、ごみとして遺されたジャンク品の数々だった。


 そのまま廃墟群となってもおかしくなかったコンコルディアは、巡り廻って再び人々に愛され始め出す。

 主要都市から離れ、国家の目が届きにくく、けれども生きていくには十分すぎる土地。遺されていたジャンク品の中に、まだ使える文明の利器が多くあったのも理由のひとつだろう。多少の不便さに目をつむれば、そこは隠れ家としての条件を満たしていたのだ。


 捨てられた都市を愛したのは、善良とは程遠い場所で息をする人々だった。研究者に殺人鬼、マフィアや危険思想団体など、一般の都市では生きにくい者たちが多く都市に流れ着き、彼らは再び都市を生かした。

 そうしてできたのが独自の文化を持つ無法地帯、荒廃都市コンコルディアだ。住む人種は様々で年齢層も幅が広い。なぜか残った金銭の文化は今も続き、外の商人とのやり取りだけでなく都市内部の売買にも用いられている。死亡率と職種を見なければ、普通の都市となんら変わりないデータが取れるだろう。

 ただ好き勝手生きる人々だけだったならば、少なくとも金銭という文化は失われていた。それが残ったのにはもちろん理由がある。


 コンコルディアに法律はない。殺しも盗みも、あらゆる悪徳は自己責任として承認される。

 だが、コンコルディアにはルールがある。4つの区域の、それぞれの頂点に立つものが定めたルールがある。

 ルールに強制力はないが、守らなければ命を落としても仕方がない。それがこの都市の住人たちの共通認識だ。各区域の頂点に立つものたちにはそれだけの影響力がある。


 主神ゼウスを讃える宗教組織《偶像の魂イドラ・アニマ》。

 戦いに狂った者たちの集団《災いの死神メルム・モルス》。

 マフィアを母体とする商業連合《眠る心臓ドルミート・カルディア》。

 異能とともに生きるはぐれ者《愚か者達ストゥルティ》。


 それぞれ違った特色を持つ組織だ。彼らが各地域のトップに立つことで、コンコルディアという都市は体系だったものになっている。その影響力の強さから、各区域が組織名で呼ばれることもある程で、特に二区と四区ではその傾向が顕著である。


 では一区と三区はどうなのかというと、基本的に組織名は組織名としてのみ機能している。三区にある商業連合《眠る心臓》に至っては名簿まで作られており、そこに名を連ねなければ組織に所属したことにはならない。

 そんな三区に比べれば、一区の《偶像の魂》は比較的緩やかな組織だ。宗教故に信仰心さえ持っていれば所属が認められる。ゼウスを愚弄することだけが禁忌であり、それを守れば信徒でなくても排除されることはない。


 彼らに教祖はいない。代わりに、神子と呼ばれる人物が組織のトップに祀り上げられている。

 神子は唯一ゼウスの御言葉を聞くことができる存在であり、《偶像の魂》になくてはならない人物だ。

 その名を、アインという。


「アイン様、食事をお持ちいたしました」


 代わりの効かない存在であるため、神子アインの扱いは特別なものになっていた。神殿に住まうアインは信頼できるものによって運ばれた食事しか口にしない。アインの近くには常に戦えるものが控えていて、不届き者の刃が届かないよう守られている。昼も夜も関係なく、神子が一人になることはない。

 窮屈とも思える体制だが、アインはそれに不満を抱いていなかった。アインにとって最も重要なものはゼウスであり、その信仰が保たれるならば他の多くは気にする理由がない。そしてそこには当然のように私生活も含まれていた。


「…………」


 信徒が入ってきても、アインは返事をしなかった。椅子に腰を掛けてじっと目を閉じている。


「…………そう、ですか」


 しばらくして、アインはゆっくりと瞳を開いた。呟かれた言葉は食事を持ってきた者に向けられたものではない。邪魔にならないよう静かに待機していた信徒は、静かな足取りでアインに近付いて「食事をお持ちしました」ともう一度言った。


「神託でしょうか」


 机に食事を並べながら信徒は尋ねた。アインが《偶像の魂》のトップである理由。その様子を直接見たのは初めてではない。


「えぇ」


 まだどこかぼうっとした様子でアインは頷く。


「ゼウスが、ひとこと。関わることなかれと」

「関わることなかれ、ですか」


 言葉を繰り返し、信徒は首をかしげる。予言の形をとることが多いゼウスの神託だが、今回はいつにも増して不明確だ。何に関わるべきではないのか、それはいつのことを指名しているのか。何もわかりはしない。

 困惑が伝わったのか、アインが「あなたは気にする必要はありません」と告げる。


「急な神託でしたし、何より皆に当てたものではないようでした。おそらくはわたくし個人に対する忠告でしょう」

「では、我々が警戒すべきことではないのですね」

「ええ。わたくしが関わらなければ、大きな危険もないでしょう。もし何か警戒すべきことがあるならば、それこそゼウスが伝えてくださるはずですから」


 口ぶりからして、アインの身に直接危害が加わるような事態ではなさそうだ。何よりもそれを恐れていた信徒は、アインの言葉にほっと息を吐きだした。


「ただ、何かが都市で起こることは間違いないでしょう。どうかお気を付けて、と皆さんにお伝えください」


 わかりました、と信徒は頷いた。神子アインより直接賜った使命。断る理由はもちろんなかった。

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