Concordia

椎名透

序章〔役者が舞台に揃うとき〕

手紙

 役者が欠けた舞台で物語を紡げば、それは不完全なものとなる。

 だから彼らは、すべてが揃う日を待ち続けていた。



 ◆◇◆◇◆



 コンコルディア第二区には上半分が倒壊したビルがある。


 住民たちが廃墟ビルと呼ぶそれは、雑居ビルとして作られたらしい。そこそこの広さのエントランスと、いくつかのテナントスペースが建物内に確保されている。

 ぽっきり折れてしまった3階は現在屋上扱いで、誰が作ったのか小さな花壇が設けられていた。ビルの持ち主によるものではないのは明らかだが、では誰の花壇かと尋ねられると誰も知らないというのが現状だ。


 そんな廃墟ビルの2階にはビル所有者が住んでいる。テナントスペースにベッドとふたつのソファ、そしてローテーブルを設置しただけの簡素な内装だ。一応、棚代わりに壊れた冷蔵庫も置かれているが、酒の空き瓶くらいしか並ぶことはない。

 彼は昨晩も――正確に言うならば今朝も――このビルの1階でギャンブルを楽しんで、二時間ほど前にようやく部屋に戻ってきていた。窓の外には一番高い場所で輝く太陽が見える。眠りにつくには早すぎるとも遅すぎるともいえる時間だ。

 部屋の主はベッドに横になるわけではなくソファに沈んでいた。布団代わりに普段着ているパーカーを被りいびきをかいている。長めの脚は軽く折り曲げられていて、それでもソファに収まりきらず投げ出されていた。


 黒髪の男だ。ざっくばらんに切られた髪は適当なくせに彼に似合っていた。東洋人の血が入っているのだろう、彫りの深くない顔はどこか幼く見える。

 窓から差し込む日差しは暖かく、どこにでもある日常を思わせるようだった。

 それを阻害するのは男の手に握られた日本刀と、外から聞こえる銃声や悲鳴だ。国によっては所持するだけで法律違反となるそれらだが、コンコルディアにおいては日常の一部として溶け込んでしまっている。


 コンコルディア。それは調和の女神を語源に持つ単語だ。銃声や日本刀、悲鳴やギャンブルには似つかわしくないといえるだろう。事実、この都市をよく知る人間にとってその名称は皮肉でしかない。


 殺しも盗みも自己責任。

 ルールはあっても法律はなく、政府も司法機関も存在しない。

 どう生きるもどう死ぬもすべては己の選択次第であり。

 あらゆる国家から独立した無法地帯。


 荒廃都市コンコルディア。そう呼ばれることもある。


 そんな場所だから男が日本刀を持つことは何もおかしいことではなく、飛び起きると同時にそれを抜いて構えることも、何も異質なことではなかった。

 飛び起きて刀を抜き、闖入者から距離を取って武器を構えるまでの時間はわずか2秒。眠っていたとは思えない反応速度だ。閉じられていた瞳は黒色。しかしその奥には真っ赤に燃える炎が宿っている。


 殺気立つ男はいつその刀を振るってもおかしくなかった。常人であれば同じ空間にいることすら耐えられないだろうプレッシャーの中、闖入者が口を開く。


「こんな時間まで昼寝ですか、マサムネ」


 落ち着いた声だった。どこか呆れも含んだ音色。それを聞き、ようやく相手の姿をはっきりと認識した男が纏う空気を一変させた。


「んだよ、タケか」


 はぁ、と大きく息を吐きだしてマサムネと呼ばれた男は刀を鞘に納める。大きくあくびをする彼からは先ほどまでの殺気は失われていた。


「タケナカです。名前を勝手に省略しないでくださいと何度言わせるつもりですか」


 怒りと呆れを含んで言い放ったのは闖入者たる女性だ。腰まで伸びた青い髪は項のあたりでひとつにまとめられている。瞳も海のように深い青。軍服に身を包んでいるが、階級章はついていない。外の商人から適当に調達したもので本人は軍人ではないのだから当然だった。階級章の代わりに、胸元についた赤いブローチが太陽を反射して輝いた。


「別にいいだろ、タケはタケなんだからよ」


 頭をがりがりと掻いてマサムネはソファに腰掛けた。タケナカも勝手知ったる様子でテーブルを挟んだもうひとつのソファに腰を掛ける。


「全くよくありません。これだから愚弟は」

「は? おいクソババア、テメェ今なんつった」

「姉に向かってクソババアなんて吐く輩は愚弟で十分ですよ」


 テーブルを挟んでにらみ合う二人から放たれるのは紛れもない殺気だ。姉弟喧嘩にしては物騒な空気である。


「誰が愚かだってんだ? 窓からも玄関からも入らず異能で現れる奴の方が愚かだろうが」

「あら、知らなかったんですか。私は《愚か者達ストゥルティ》ですから。今更事実を確認してどうしたいのですか」


 はん、とタケナカが鼻で笑い、ぎり、とマサムネが歯ぎしりをした。こうなると勝敗は確定する。弟は姉に勝てない――少なくとも、この姉弟の場合8割は同じ結果になる。


「……クソっ、まあいいさ。ただ本気で異能はやめてくれや。斬りそうになる」


 悪態をついてマサムネはそう言った。他者の気配に反応してしまうのは都市で生きていくうちに染みついてしまった癖だ。今更直せと言われても直せないし、仮に直してしまえばそれだけ都市での生存率が下がる。ここはそういう場所だった。


「あなたに斬られるほど間抜けではありませんが――まあ、いちいち争うのも面倒ですし。前向きに検討しましょう」

「……おい、タケ。それ俺が教えた言葉だよな? 実質ノーだって教えたやつだよな?」

「そうでしたかね」


 すっとぼけてタケナカはほほ笑んだ。東洋人の義弟から教えられた言葉でからかうのは案外楽しいものである。いくら言っても名前をきちんと呼ばないのだからこれくらいの仕返しは許されるというのがタケナカの主張だ。


「でも、面倒なのは本当ですから、次からは1階に跳ぶようにしますよ。緊急の要件の時はこれまで通り」

「おー。……で? 今日は? あんたがわざわざ四区から出てくるなんて珍しいじゃねぇか」


 コンコルディアは円形の都市であり、中立地帯を含めて計5つの地区に分けられている。ドーナツをイメージすればわかりやすいだろうか。穴にあたる部分に鐘の塔――中立地帯となる建造物が存在し、それ以外が四分割されているのだ。マサムネが住む二区とタケナカが住む四区は全く別の地域であり、他の地区か鐘の塔を経由しないと行き来できないようになっている。

 とはいえ物理的距離がそうあるわけでもない。鐘の塔を横切ってしまえばなおさらだ。マサムネは散歩と称して四区に赴くことも多く、対して時間をかけず往復できることを知っている。


 それでもタケナカに事情を尋ねたのは、彼女がその立場から四区をあまり出ないためである。この都市でも異質と言える集団をまとめている彼女は、長く四区を離れることを嫌っていた。


「それこそ緊急事態ですよ」


 そう言ってタケナカがテーブルの上に置いたのは1枚の便箋だった。折りたたまれたそれを手に取って、マサムネはすぐに投げ出す。


「読めねえ」


 全く文字が読めないわけではないが、マサムネは筆記体を苦手としていた。時間を書ければ解読できるが、そこまでしてミミズを見続ける気にもならない。昔、知り合いの活字中毒者にそれを伝えて「勿体ない」と絶望した表情で言われたな、と関係のないことを思い出した。


「手紙はゼロからです」


 勢いよく背もたれから身体を離して手紙を手に取った。ミミズを読む気力を涌き起こさせるだけの力がタケナカの言葉にはあった。


「ま、は? アイツ?」

「外の商人が運んでくれたんですよ。本人は徒歩でこちらに帰ってくるつもりらしいので、時間がかかるそうですが……手紙によれば7日以内には戻ってくると」

「マジか……おいおいマジかよ……!」


 マサムネは手紙をゆっくりと読み進めながら笑みを浮かべた。欲しかったおもちゃをようやく買ってもらえた、そんな子供みたいな無邪気な笑みだ。

 それも仕方ないとタケナカは思う。彼女も手紙を読んですぐははしゃいでしまったし、思わず異能を使って義弟のもとに来るほどにはまだ興奮している。それくらい、手紙の内容は二人にとって嬉しいものだった。


「私は伝えましたからね。あとそれは返してください」


 それ、と彼女がマサムネの持つ手紙を指した。途端、彼の手からそれが消えて、なぜかタケナカの左手に収まる。


「あっ、おいタケ! 俺はまだ全部読み切れてない!」

「内容は伝えましたし、この手紙は私に当てられたものですから」

「は!? おいこら、返しやがれ!」


 手紙をきれいに折りたたみ、タケナカは「では」と言って――


 瞬きをひとつしただけで、彼女の姿が部屋から消えた。


「なっテメェ! おいクソババア! ふざけんなよ!」


 慌ててマサムネは窓に近寄り大声で叫ぶ。タケナカの姿はぎりぎり視認できる距離の道にあった。


「ここで異能はズルだろうが! おい、聞こえてるんだろ!」


 超能力のような瞬間移動。《座標指定》と呼ばれるそれこそ彼女の異能である。視認できる範囲であらゆるモノを入れ換えてしまう力は、異能を持たないマサムネからしてみればズル以外のなんでもない。普段はそのズルごと斬り捨てるのだが、義姉相手だとそうはいかなかった。


「だああああクソババアが!」


 そんな大声の叫びにタケナカは親指を下へ向けることで応じた。はっきり見えるわけでもないだろうに、本能でそれを察したマサムネは「クソッタレ!」とさらに大きい声で叫ぶ。


 今日も、二区は平和だった。

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