第3話 バタ足は続くよ どこまでも

現実は厳しいものだった。


必要書類をかき集め、役所の相談窓口に向かう。

15時半、丁度の時間に到着した。

窓口をのぞき込むと、小太りな女性がカップラーメンをすすっている。

「あの・・すみません。予約していた者ですが・・・。」

中に入って声をかけると、女性は慌ててラーメンを机に置くと担当者を呼びに行った。

しばらくすると、奥から同世代の女性が出てきた。

「本日担当させて頂きます。先日お電話で話したのも私です。宜しくお願いします。」

お互いにマスクを着けたままで挨拶をした。電話で話した相手なのもあって、事情をそこまで詳細に話す必要もないだろうと思い、少しだけ安心した。

大きな会議室の一角にある、パーティションで区切られた机に向かう。置かれたパイプ椅子に深く腰掛け、何とか間に合った書面が詰まった鞄を右隣りの椅子に引っ掛けた。

「今の現状はどうなっていますか?休業中でしょうか?」

女性職員が会話を始める。

「一応は休業期間になります。ただ、つい数日前に社長面談として電話で話したのですが、その際に退職勧奨を受けました。実質上、退職以外の選択肢は用意されていないので、形は勧奨ですが内容は解雇と同等ですね。」

職員が大きくため息をつく。

「そうですか・・・。皆さん同じですが、会社の対応は本当に二分化されています。

酷い会社さんですと、一方的に解雇を言い渡して何も処理しないというケースもあります。

恐らく、ホームページで必要書類等は見て頂けたと思いますが、改めて説明させて頂きますね。」

女性職員は、用意して並べた冊子を開いて説明を始めた。併せて会社名や所在地、会社の代表者名を聞かれたので、全て答えた。万が一、何か会社にペナルティーでも生じるのであれば、それを切望したからだ。

給付金の内容について話を進めるうちに、力が抜けてきた。

13万以下の給与で給付されると言われたので、必要書類を必死でかき集めて間に合わせた。

だがしかし。職員は「額面で」13万が対象になると言った。

「結構勘違いされる方もいらっしゃるのですが、額面基準になるんですよ。なので、残念ですが今回は受給の対象外になります。」

頭の中をグルグルと言いたい事が駆け巡る。

何で勘違いする人が多いならば、電話で話した時に念押しをしなかった?そこで受給対象外だと分かっていれば、余計な諸経費も交通費も掛けなくて済んだのに。

イラつき始めた私をよそに続けて職員が言う。

「あなたなら、専門的な技能もお持ちのようですし、今月か来月には就職先が決まると思うので・・・・・・・」

何を根拠に言っているのだろう。この失業率が上がっている最中に、なぜ私が仕事をすぐに見つけられると言い切れるのか。実際に今、会社にクビを切られるという話に直面して必死になっていると言うのに。

余りに怒りが込み上げてしまい、その後の会話はあまり聞こえなかった。

結局のところ、生活保護を受ける話しになったりした人じゃないと満額は支給されない。そして、一生に1回のみ受けれる給付金になるため、給付を受けてしまうと今後同じ給付金は二度と受けられないと言うのだ。

仮に支給されたとしても、申請してから1か月程度は時間が掛かると言われた。

今、この瞬間で困っているから申請をしたいと願い、書類をかき集めて出向くのに、受給まで1か月程度は掛かるというのは「待たせてる間に死んでくれたら金を払わずに済むから有難い」と国から言われているような気持ちになる。

世の中では、マスクを作るのに莫大な金額が動いていると聞く。ほんの小さな国民一人がクビになって生活に苦しむ事なんて、マスクを作る事以下なのだと言われた気がして怒りを通り越して悲しくなってしまった。

13万以下であれば受給できるという話を鵜呑みにして、概算を組んだ自分がバカに思えた。何で役所の人間を信じてしまったのか。いつもの事じゃないか。人によって言う事が違ったり、適格な情報を与えてくれないのなんて。そんなの過去に何度も味わったじゃないか。

「役所仕事」

頭の中にポンと浮かんできた。そうだね。正しくそうだよ。条件を満たさないと事務処理として切り捨てられるやつ。

何を言っても仕方ない。帰ろう。結果は変わらない。


「分かりました。失業保険を受けていても、休業手当も貰っていても、私の場合はこの制度は利用できないと言う事ですね。であれば、大丈夫です。他の方法を考えます。本日は有難う御座いました。」

私は大会議室を後にした。

エレベーターのボタンを押し、駅の改札へ続く3階へと向かう。

3階でエレベーターを降りると、作業員がフロアガイドに載っていた店の名前を白いテープで消していた。

”マッターホルン”と書かれたその店は、私のお気に入りのパン屋だった。

つい数日前にパンを買ったところだったが、突然店が蛻の殻になっていたのだ。何となく察しはついていた。今回のウィルス騒動で潰れてしまったのだろう。

こんな事になるだなんて、誰も思っていなかった。

事実として言える事は、今回の件は私から多くのものを奪っていったという事だけだ。仕事も、お気に入りのパン屋も、慎ましやかな生活も。本当に多くのものを失った。誰が悪いとかではない。ただただ、憤りを感じずには居られなかった。


駅へ向かう途中、電話が鳴った。

先日、ネットから申し込んだ仕事の話で折り返しが来たのだ。

担当者からは前向きになれる言葉も多くあり、役所で絶望しか感じなかった後なので余計に救われた気分だ。

「あなたの経歴であれば、ご紹介できる案件も他にご用意できると思います。つきましては、職務経歴で現在までの抜けている部分をWEB上から追記して下さい。」

完了したら、その旨を連絡すると伝えて電話を置いた。

時計は17時を指していた。


本当であれば、自宅に帰宅して弁護士と話す予定でいた。

派遣会社から連絡が入り、思った以上に時間を要してしまったのだ。

帰っている最中に電話が取れないといけないよな・・。私は駅の改札に向かう足を止め、そのまま逆方向へ向かい駅ビルを出た。

すぐそこに見える植え込みを見つけ、出来るだけ人の往来が無い場所の縁に腰かけた。時間は17時を少し過ぎている。

ちょうど腰かけた瞬間に電話が鳴った。

「ご予約頂いていた弁護士事務所の者です。」

自分よりも若いであろう男性の声がした。

私は今までの経緯を弁護士に説明する。

事前に雇用や給与に関する事は生活に関わるので、早急に連絡が欲しいと伝えたにも関わらず無視されていた事。退職させたい日付の4日前に退職勧奨をされた事。

何より、譲歩と言いながら会社の提示する条件を飲む方向で話がされており、こちらの希望は聞いて貰えてない事。

今までため込んでいる憤りをぶつけるように、ひたすら話し続けた。

「お話しを聞いていると、解雇ではなく退職勧奨になりますね。弁護士が和解に入った場合、その費用は最低でも20万掛かります。そうすると、会社に要求したい2カ月分の給与にプラス20万を乗せて話をする、という事になります。正直に言って、勤続年数を考えると、2カ月であれば妥当と言えますが3カ月分になると決別する可能性が高くなります。弁護士に入って貰うと、あなたの取り分が希望額に達しない。私としては、相談を受けつつ交渉はご自身でされた方がいいと考えます。」

1時間の無料相談。結論が出るまでに30分程度しか要しなかった。

分かっている。弁護士も仕事でやっているので、私のような利益率が低いのに手間が掛かる仕事は受けたくないのだろう。

それに、費用を捻出する余裕が無いのは事実だ。

「分かりました。今の事情を踏まえて交渉する場合、どのように話を進めるのが最善なのかアドバイスを頂けますか。」

話を切り上げたくて、それとない質問を投げかけた。

やる気のない返事が返ってきたのを相槌だけ打ってやり過ごし、電話を切った。


さて。ここからどう続けようか。

もう今日はガッカリする事が多すぎて、やる気が失せていた。

なんでこんなに不愉快なのか。

帰宅して、職務経歴書を作成しなくてはいけない。

最優先されるべき事なのに、色んな場所に時間を掛けた結果何も収穫が無かった。

どうしても頑張った自分にご褒美が欲しくて、帰りにコンビニでアイスを買った。

一口食べると、甘さと冷たさが体中を駆け抜けていった。


もう少しだけ頑張ってみよう。

満身創痍な自分を奮い立たせながら、家へと急いだ。


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