第2話 バタ足の開始
5月7日に総務から休業補償の金額として、PDF付きのメールが来た。
額面15万。厚生年金も、所得税も全て引かれており、手取りは10万7千円程度。
政府は税金を免除などと言っていたが、恐らく後々で手続きすれば控除されるという話を意味しているのだろう。
今現金が無いからみんな困っていると思う。けれど、今出してくれるのは、10万の給付金のみ。3カ月待たされたのを加味すると、1か月に3万3千円程度になるのが現実だ。
役所に相談した際、給与が13万以下であれば住宅確保給付金の対象になると聞いていたため、恐らく貰えるだろうと少し安心した。
やれる事はやっている。5月末の休業補償と給付金を合わせて何とか1か月は暮らせる。その後はどうなるか分からないが、どうにかやるしかない。
在宅業務は、二束三文の稼ぎにしかならない事に愕然としたが、最終的には「今の状況じゃ下請けに出して出来るだけコストを下げたいと考えてるのだろう。まあ、よく考えたら仕方ないし、当然の話しだわ。」と、苛つかないように努めた。
在宅業務は、何でも受けたし応募した。
ナレーター・ライター・アンケート回答。スキルがそんなに無いとは思いつつ、コーポレートサイト作成や会社のロゴ作成等のデザインに至るまで。
食費や光熱費は出来るだけ節約もして、1食あたり300円以下に抑える。エアコンは極力使用せず、電機は1か所以上つけない。徹底した。
まさに、爪に火を点すとはこの事。
猫の餌はいつも通りに出す。1匹は10歳になる高齢猫。健康に配慮した餌のラインナップを変える事は避けたい。その代わり、自分に掛かる費用は全て削る。
各種申請書の作成をし、金策に勤しむ。生活は切り詰める。どんどん卑屈になるし、不安で仕方ない。
会社の人から個別にSkypeでメッセージが飛んで来る。
ご心配、有難う御座います。そう伝えるけれど、内心は「君はいいよ。こんなひっ迫した生活送らなくて済むだろうから。」と卑屈になっていた。
休業期間が始まった直後は、そんな考えが頭の隅から隅まで支配していたから、さぞかし嫌な奴だったに違いない。
開き直った現在、気持ちは落ち着いているけれど、自分から繋ぎ留めたい人というのは1人2人程度しか居ない。
その人たちに共通している事は、人の気持ちを考えられる人だったり繊細な部分・・どこか脆くて、どこか柔らかい何かを感じたという事。
結局、人を惹きつける能力って、人間性を抜きにしては語れない。
会社に入って、その人たちと出会えた事。そして、今後も何だかんだ繋がっていられる事だけは収穫だと感じている。
色んな人と話して、笑って。前向きに、と11日まで過ごすようにした。
こんな状況なのに、仕事しながら、家事しながら、犬の散歩しながら・・忙しいにも関わらず、私の相手をしてくれる人が居る。
人徳とはよく言ったもので。私はとても人に恵まれている。だから、そこまで気持ちが腐らずに保っていられるのだと思う。こういう大変な時こそ、人間の本質が見えるのだと思った。
そして、相変わらず社長からは解雇なのか何なのか、もう答えは出しているはずなのに何も連絡はしてこなかった。私からすると、本質的な部分が腐敗してるのは彼と愉快な仲間たちだと感じる。
もっと労働者に配慮する動きを見せてくれていれば、こんな事にはなっていない。
社長面談で何を言われたにせよ、”もうこの会社には居たくない。関わりたくない。”と、結論は出ていた。
そして。
5月11日13時頃。
休業要請があった時と全く同じ流れで始まった。
上司からSkypeが入り「社長に電話して下さい。」とメッセージが入る。
ボイスレコーダーの電池を新しいものに変える。電源を入れ、電話をかけた。
軽く沈黙が流れる。その時点でもう予想はついていた。
社長が言葉を濁しながら、話し始めた。
「あのー・・今日はね、君にお願いがあってさ。ご存じの通り、新型ウィルスの影響で経営困難な状態が続いてるんだよ。それで、お願いっていうのが・・君に退職をお願いできないかと思ってね。もちろん、ただ応じろって訳じゃない。応じて貰えるなら1か月の給与は保証する。別にね、こちらも争いたい訳じゃないし、1か月の給与で譲歩しようと思ってるんだよ。」
予想通りだった。それよりも悪い内容だ。何がって、その上から目線の言動が。
社長は何度も「譲歩」と言っているが、明らかに譲歩ではない。私の希望を何も聞かない状況で、譲歩というのは間違いだ。譲歩という言葉の意味を知らないのは、譲歩した事が無いからなのでしょう。
その口ぶりは、”譲歩してやっている”感じが言葉の端々に滲み出ており、かなり不愉快だった。コロナウィルスを隠れ蓑にして、単なるリストラをやっているとしか思えない。数名だけ切り離す準備に入り、該当者には直前になって追い込んでから「好条件だろ?悪くないだろ?」と金をチラつかせて、その場で回答を迫る。
その反面、会社の経費は普段通り使っている。
簡単に言うと、無礼者以外の何者でもない。
私は相槌だけ打って話を聞いた。
「いやさ。色々と努力はしたんだよ?役員報酬だってカットしたし。それでも厳しいのには変わりがないんだよ。」
大して何かしてるとは思えなかった。経費を普通に使っている事をホームページにも掲載している。私が見ていないと思っているのだろう。
「社長。仰る意味は分かりますが、申し訳ありません。直ぐに回答はできません。私にも生活がありますので。ちなみに、私が退職を拒否した場合は、どうなりますか?」
退職勧奨の場合、応じる義務はない事くらい知っている。恐らく、退職をお願いするのではなく「退職させる」という頭でしかないのだろう。
休業1か月を経て、生活に困窮した後で1か月の給与をぶら下げたら応じると思っているのだろうか。どちらにしろ、泣き寝入りは避けたいと思いつつ話を進める。
「え?いやー・・断られると困っちゃうなぁ。会社としてはお願いするしか無いんだよ。」
休業要請の時と全く同じ言い回しをしている様が、滑稽に思えた。
私、思ったより冷静だ。でも、感情的になると良くない。生活が掛かってる。どちらにしろ、今結論を出すのは回避しよう。
そう思いながら、続ける。
「ご存じの通り、今回の件で生活は困窮しています。私は実家暮らしでもないし、一人で賃貸の家に暮らしています。今後の生活もあるので、この電話で回答は出来ません。周囲にも相談したり、電卓を叩いた上で回答したいのでお時間下さい。」
社長が被せるように言う。
「うちの締日は15日だからさ。無期限で待つって訳にはいかないでしょ?いつまでに回答くれるのか出してくれないと、休業1か月延長ってなったらまた人件費掛かって困っちゃうんだよ。」
言ってる事が滅茶苦茶だ。社長は退職日を4日後にしたいのだろう。
一寸先すら見えない闇に放り出すというのに、たった4日しか時間を与えないなんて非道すぎる話しだ。
休業延長で人件費が掛かると言うが、国から休業者に対しての助成金は出る。満額の赤字でもない。少なくとも、社内の消毒を我慢すれば捻出できる話しじゃないのか?と、色々な考えが頭を過る。
「君が誰かに相談して不当解雇だと言うのであれば、それは会社として対応する。ただ、そんな争うつもりは無いんだよ。だから、譲歩するって言ってるんだよ。」
社長は私の”周囲に相談する”というのを、弁護士だか社労士に相談するのと完全に勘違いしている様子だった。実際は、家族を中心とした人に相談するというだけの話し。要するに、やり方がマズイという認識はしているのだろう。
「こちらも争うつもりはありません。ただし、出された条件が妥当か吟味をする時間は必要です。今週末には一度ご連絡をします。」社長に告げた。
社長が返す。
「ちょっと僕は急に電話されても出れない場合があるから。着信入れてくれれば折り返しするようにするから。宜しく頼むよ。」
分かりましたと伝えて電話を置いた。
そして、バカな人だと思った。こんなやり取りを電話でやる訳が無い。
言った言わないの話になるリスクがある手段を、どうして私が選択すると思うのか。こんな判断や対応しかできない人が自分の会社の長なのだと思うと、「早いうちに切られて良かったわ。」と思ってしまった。
そして翌日。5月12日。
弁護士の無料相談を申込、13日の17時から予約を取った。
バタバタしつつ、在宅業務で請けていたライターの仕事に勤しむ。
13日締め切りのため、午後から役所に行き、弁護士の電話相談を受ける予定を考えると午前中までには完了させる必要があった。
深夜まで原稿を書き、完了したのは夜中3時。このまま徹夜で役所へ行こうと決意。
明日は忙しくなる。
さあ、足掻く時。
バタ足を開始しよう。
→3話へつづく。
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