第3話 灰村シンディの決意


 シンディは気を取り直すため顔を洗い、制服に袖を通し髪にブラシを掛ける。


 いつもの事とはいえ朝から陰鬱な気持ちになる……しかし学校だけはしっかり通っておきたい。

 卒業と同時に就職して家を出て一人暮らしがしたい……実の父と母との思い出が詰まったあの家から本当は出て行きたくはない。

 しかし今の家族は血の繋がらない言わば他人……他人に全てを乗っ取られてしまうのは癪だが、今のこの最低の生活から抜け出すにはそれ以外に方法がない。


「きゃっ!?」


 通学路を歩くシンディの肩に強い衝撃が走る……急な事に身体のバランスを崩し路面に膝と手を突く。


「トロトロ歩いてんじゃあねえよ根暗女!!」


 捨て台詞を吐き、目の前を走り去っていく男子生徒……彼はシンディのクラスメイトだ。


「……くっ」


 フラフラと起き上がりスカートに着いた埃を手で払う。

 周りには同じく登校中の生徒が何人もいて、今の出来事を目撃していながらも彼女に声を掛ける者も手を貸す者も誰一人いない。

 こういった嫌がらせを受けるのもシンディの日常の一部であった。


 昇降口に入り自分の下駄箱を開ける。


「……いやあっ!?」


 中には黒猫の死体が詰められていた……死後何日か経っているのか身体が腐り始めており、鼻が曲がりそうな異臭が立ち込める。

 その様子を見た女生徒たちがひそひそと耳打ちしながらこちらを伺っている。

 いたたまれなくなりシンディは鞄からビニール袋を取り出すと、猫の死体を急いで詰め込み今来たばかりの昇降口を出て校舎にある裏山へと向かった。

 何故シンディが用意周到にビニール袋を持っていたかというと、以前にも似たような嫌がらせを何度も受けた事があったからだ。

 裏山に着いたシンディはスコップで土を掘り起こし猫の死体を埋め、手を合わせ丁重に葬った。

 スコップも前途の理由によりここに置いてあったのだ。

 木の枝や大き目の石が置かれた墓標がこの場にはいくつもある……すべてシンディが弔ったものだ。

 

「あっ……」


 遠く校舎から登校時間の終了を知らせるチャイムが聞こえてくる。

 これで何回遅刻しただろう……シンディはもう回数を数えるのすら止めていた。


「遅刻して申し訳ありません……」


 ホームルームのさ中、クラスメイトの注目を浴びつつ頭を下げる。


「灰村、お前またか……何でもっと早く家を出ないんだ 今月に入って十回目の遅刻だぞ?」


 担任の教師は口調こそ穏やかであるが眉間にしわを寄せシンディを睨みつける。


「本当に申し訳ありません……」


「もういい、早く席に着きなさい」


「はい……」


 とぼとぼと力なく歩くシンディをせせら笑うクラスメイトたち


「あっ……!!」


 足を掛けられ床に倒れ込む……あまりに急だったので手を突く暇がなく顔面から床に落ちる。

 倒れ込んだ机と椅子が大きな音を立てる。


「灰村!! 何やってるんだ!! 気をつけて歩きなさい!!」


「……ううっ」


 顔を押さえながらなんとか自分の席に座ったシンディは鞄を開け本日使用する教科書を取り出そうとした、その時……。


「あっ……」


 鞄の中にはあのシンデレラの童話本が入っているではないか……確かに朝、自室の机の引き出しにしまい鍵を掛けてきたはずだ。

 

(どうして……?)


 慌てて鞄を閉じた。




 昼休み。


 シンディは弁当と件の童話本を持って屋上へと上がった。

 下手に教室に居るとまたいじめや嫌がらせを受けるからだ。

 学校に友達が居ないシンディは何時もお昼は屋上で一人でとっていた。

 しかし今日はそれ以外に一人でいなければいけない理由があった。


「ちょっと……聞こえてるんでしょう? 何であんたが鞄に中に居るのよ」


『ふぁあ……もう朝ですか?』


「もうお昼よ」


『申し訳ない……私、低血圧なので朝は弱いんですよ』


「嘘ばっかり……本のくせに低血圧な訳ないでしょう?」


『ええ勿論、本に血は通ってませんからね』


「………」


 シンディは童話本とまともに会話をしようとしたことを後悔した。

 この本がのらりくらりと夢の中でもくだらない戯言を言っていたことを思い出したからだ。


『あなたの疑問にお答えしましょう、仮とは言え契約者と我々本は常に一緒に居なければならないからです……気が付かなかったのですか? あなたが朝の掃除をしていた時、私は既にあなたの近くに居たのですよ?』

 

「何ですって?」


『朝からあなたの事を見守らせて頂きましたが、シンディ……あなたよく自分を抑え込んでいられますね』


 シンディの心音が早まる……童話本が常に自分の側にいたというなら朝から今までの自分に起きた出来事を全てこの本に知られたという事になるからだ。


「仕方ないじゃない、今の私には現状を打開する術がないのよ……あと一年、学校を卒業して働きさへすれば少しはマシになるわよ」


『あと一年も耐え忍ぶおつもりで? あんな見下げ果てた人間どもの為に? あなたは聖人か何かなのですか?』


「……それ以外にどうしろというのよ?」


『あなたを貶めている者どもは何の罪の意識も無くあたかも息をするように自分勝手にふるまっているのですよ? 何故あなただけが我慢をしなければならないのです?』


「それは……」


 シンディは答えられなかった……しかし童話本に言われて今までの自分が何故我慢していたかについての疑問が心の中で首をもたげ始める。


『いじめてるつもりではなかった、からかって遊んでいただけだった、犯罪でなければ何をしても許されるのですかこの世界は? いえ、寧ろ犯罪でしょうあなたが受けて来た仕打ちは……ならばこちらもそれ相応の報復をしても許されるとは思いませんか?』


「確かにそうだわ……」


 シンディの目の色が変わっていく……瞳からは光が失われ、次第に虚ろになっていく。


『本当はあなたとの本契約は今宵の夢の中で、と思っていたのですが前倒しにしましょう……』


「契約……契約するとどうなるの?」


『あなたに童話のヒロインが持つ特別な力が宿ります』


「特別な力……」


『そうです、あなたには私に書かれたシンデレラの物語にちなんだ人知を超えた力が使えるようになるのですよ……例えるなら『シンデレラの魔法少女』とでも言いましょうか』


 荒唐無稽な童話本の申し出ではあったがシンディには不思議と懐疑の感情が湧いてこなかった……いつもなら絶対に否定し聞き入れないはずなのに。

 やはりシンディの心は度重なる心労で限界に達していたのだ。


「『魔法少女』になればこの地獄のような日々から抜け出せる?」


『勿論!! あなたの行動次第でどんどん生活が好転していく事でしょう!!』


 童話本は一層晴れやかに軽やかに答える。


「私、なるわ……『シンデレラの魔法少女』に……」


『エクセレント!! あなたならそう言ってくれると思っていました!!』


 シンディはとうとうシンデレラの童話本の誘いに自ら乗ってしまった。

 その事で後の自分に違ったベクトルの辛く苦しい出来事が待っているとも知らずに……。

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