第43話 料理教室

「りっくん、ご飯の作り方教えて」


 茜がそう言ったの昨日の夜。茜が大手出版社から内定をもらった日のことだった。


 そして今日の午後六時。茜に料理を教えるという一世一代の大仕事がやってきた。


 大袈裟おおげさに聞こえるかもしれないが、前回、茜は包丁を握って五秒で手を切るという神業をやらかしているので油断ならない。立派な記録保持者だろう。もちろん悪い意味で。


「んで、茜は何を作りたい?」


「りっくんが選んで。私でも出来そうなの」


「じゃあ、フルーチ○だな……」


「『ひとりでできる○ん!』じゃないんだからさ……」


「懐かしいやつ出してきたな……」


 『ひとりで○きるもん!』は俺が小さい頃にやっていた料理をメインとした教育番組だ。俺はこれを見て料理に興味を持った。ある時期から放送されなくなったのは悲しかったなあ……。


「りっくんは本当に私を何だと思ってんの?」


「幼稚園生」


「……否定できないのが辛い」


「頭脳は大人、生活力は子供だな」


「それただのお荷物じゃん……」


 熟年離婚を言い渡されるようなタイプの人だな。知らんけど。ただ昔よりは確実に男は家事をするようになったのではと思う。かくいう俺も家事はしてるし、ウチの親父も俺が小さい頃はしてたし。母親はしてなかったがな……。


「まあ無難にカレーとかだな」


「分かった。じゃあ、材料を調達に……」


「と思って事前に買っておいた」


「本当に準備良いよね……」


 スーパーのセールは午後五時で終わるのでもちろん買っておいたさ。俺はしがないM1だ。M1って言うとなんか格好良く聞こえるけど、ようはただの大学院一年生。修士一年とも言う。


「じゃあまず米炊くか」


「分かった」


「流石に米を量って研ぐとこまでは出来るだろ。やってみ」


「うん」


 茜は炊飯器の釜を取り出して、米を量って入れていく。よしよし……、ちゃんとすり切りしてるな……。さあ問題はここからだ。水を入れて捨てると言う工程で米粒が一緒に流れてしまわないかが不安だ。


 あれ……? 意外と手元が怪しくない。ってか、普通に研いでる。若干のぎこちなさはあるものの茜はシャカシャカと米を研いでいた。


「三十回三セットぐらいだっけ?」


「お、おう。以外に上手くてビビってる……」


「一人暮らし初期のころ、米だけは炊いてたからね」


「お前の家の炊飯器、思いっきりホコリ被っていたがな」


「それは言わないお約束」


 なんのお約束だよ……、とか思っているうちに茜は米を研ぎ終えて炊飯器にセットしていた。第一関門クリアか。


「じゃあ、お次はお野菜の皮を剥きましょう」


「ニンジン、ジャガイモ、タマネギだっけ?」


「そうだな。タマネギの皮を剥きすぎて中身がなくなっちゃった、とかはやめろよ」


「流石にそこまでベタなことはしないよ……」


 いいや、やりかねない奴がいるんだよ……。高校の時の調理実習で同じ班になった女子とかな……。結局、俺が全部作ってしまった。実習の意味ないんだよなあ……。


「ジャガイモは先に芽を取るんだぞ。ピーラーの耳でな」


「耳? ここの出っ張り? そうそこを芽に押し当てて抉り取ると芽が取れる」


「へえー、なるほど」


「あと手は切るなよ」


「うん、気を付ける」


 素直でよろしい。茜は手を切らないように気を付けながら、一個一個の皮をピーラーで剥いていく。スピードは遅いが、手元が危ないとかは無い。ジャガイモをむき終えたら、ニンジンだけだしとりあえずは大丈夫だろう。ニンジンの皮は剥きやすいしな。


「全部剥けたよ」


「んじゃ、切るか。見本を見せるから、その大きさに揃えて切れよ」


「はーい」


 ジャガイモ一個は四分の一、ニンジンは一口大に乱切り、タマネギは八分の一のくし切りにしていく。だいたいこんな感じだろう。切り終えたので茜に包丁を渡す。


「猫の手は忘れずにな」


「うん」


 茜は左手を猫の手にして野菜を固定すると、右手の包丁で切り出していく。一生懸命で可愛らしい。


 茜の手元に集中して忘れていたが、エプロン姿も中々良い……。ジーパンにTシャツというラフな格好がさらにエプロンの魅力を引き上げる。まあ一番最強なのは制服エプロンだろう。茜の制服姿、見てみたかったなあ……。


「ふう……。切り終わったよりっくん……、ってなんで遠い目してんの?」


「いや、ちょっとな……」


「私のエプロン姿に萌えた? 今度、高校の制服着てあげようか?」


「なんで分かんだよ……。あと制服は背徳感がヤバいからダメだわ」


 カノジョに制服を着せるのは色々アウトな気がする。倫理的にも、社会的にも。今度茜のアルバムを見るというところで妥協しよう。……っと、そんなことより続きだな。


「次は肉を炒めましょう。豚バラだから油はしかなくて良いぞ」


「豚のカレー美味しいよね。私の実家は牛だった」


「俺も途中まで牛だったけどな。ある日作ってみたら美味くて、それ以降はこの具材の時は豚を使ってるわ」


「こんままフライパンに入れて炒めればいいの?」


「おう、火が通り始めるとばらけやすくなるから、そこで塊になってるのは崩してってな。あ、換気扇回せよ」


「そうだった」


 後は茜に任せてみるか。俺は特に口出しをせずに、台所を片付け始めた。ついでに夏らしく、キュウリとトマトも切っておく。後は皿とか出せば良いか。


 茜は真面目な顔をしてカレールーの作り方のところを読んでいた。真剣な表情はまさに勝負と言った感じで面白い。気楽にやりゃあいいのにとも思うが。


 それから十数分後、飯の炊き上がる音と、カレーの煮込む時間を計っていたのであろうタイマーが同時に鳴る。うるせえ。一個じゃそこまで気になんないのに、二個同時に鳴るとやたらけたたましく感じるのは何故なのか。


「りっくん出来たよ」


「りょうかい」


 茜にこう言われるのは新鮮で、どこかむず痒かった。何だろう、新妻感があるのだろうか? 体に馴染んでいないエプロンがより一層、そう感じさせる。満点。


 皿にご飯をよそってカレーをつぐと、その匂いが鼻いっぱいに広がっていく。この匂いだけで腹が減ってくる。


 二人向き合ってテーブルに座るとどこか感慨深くなる。まさか茜の飯を食う日が来るとはなあ……。じゃあ食べるか。


「「いただきます」」


 俺はまずニンジンをスプーンにのせて口に放り込む。うーん……、若干固いな。けれど、それはしっかりカレーだった。もう一口、二口と食べていく。茜は緊張した面持ちで俺の様子を見ていた。


「ど、どう……?」


「美味いよ」


「正直に言うと?」


「ニンジンはちょっと固いし、ジャガイモは形が崩れてドロドロになってるな」


「なんか姑みたい」


「安心しろ、茜の姑は家事に無頓着な人間だ。何も文句は言わねえよ」


 うちのお袋が料理をしているところを見たのは、それこそ俺が小さいときに一緒にお菓子を作ったときぐらいだろう。あの人本当に何もしないからな……。まあその分がっつり稼いでいるんだけれども。


「何点?」


「九十点だな」


「甘口だね」


「今食ってるのは中辛だがな」


「ちっとも上手くないよ」


「やっぱ六十点」


「酷い!」


 味だけで考えると六十点だが、茜が一生懸命作ってくれたという事実だけで百点あげていいと思う。何だろうこの気持ちは。娘が巣立っていくのを見送る父親は、こんな気持ちなのだろうか。俺はおっさんか。


 付き合ってから三年。進んでないようで、実はゆっくりと着実に進んでいる。


 茜が料理を出来るようになったという嬉しさと来年一年間は離れてしまうんだなあという寂しさが同時にこみ上げてくるのだった。




 



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